No.91 「モリコーネ 映画が恋した音楽家」雑感
Dedicato al Maestro!
1. Introduzione
「モリコーネ」を観てきた. 公開から既に一週間以上経っているが, シアターは超満員(ただ若者(というほど私ももう若くないが)は私だけのようだったが)で
『死してなお「マエストロ」の威光は健在』
といったところか.
肝心の映画というと, 2時間30分越えの大作かつドキュメンタリー映画でありながら, 引き込まれる面白さというか, 魔力があり, 気付けば見終わっていた. 恐らくは今年の the best (正確にはこれは去年の映画なのだが)はこれで決まりだろう.「メタ的な映画」という意味では,
『もう一つの「ニュー・シネマ・パラダイス」』
のようでもあった. 実際, この映画はトルナトーレからモリコーネへの恩返し(マエストロへのレクイエム)でもあったに違いない.
そこでこの映画の雑感を述べたいと思うのだが, 如何せんこれは非常に難解な命題である. 作中でタランティーノも
「モリコーネを語るには一生あっても足りない」
と言っていたように, 私の note で何を語られるとも思わない. なので一生かかってもムリな「マエストロ」について語ることは諦め, 映画とそれにまつわる私の雑感を取りとめもなく述べる.
2. Primo contatto e…
恐らくモリコーネをモリコーネと最初に認識したのはちょうど20年前だと思う. それ以前も「荒野の用心棒」等のイーストウッド系というか, 「マカロニ・ウェスタン」系は知っていたし(多分ポリコレ等の性で, 我々が西部劇を観る機会があった最後の世代なのではないか), 「ニュー・シネマ・パラダイス」も知っていたが, その作曲家という概念にたどり着けていなかった. なのでモリコーネを最初に認識したのはちょうど20年前(恐ろしいことにもう20年経ってしまった)の大河ドラマ「武蔵」である.
アレは海老蔵(当時新之助. というか今はもう十三代目団十郎か. うわ, 言いたくねぇ…)と米倉涼子で, すこぶる評判が悪い作品なのだが, 私がテレビで生で追っかけた最後の大河ドラマ(つまりそれ以後20年, まともに大河ドラマを観ていない!!)であることと, 作曲がモリコーネだったことでよく覚えている. 当然, サントラも買ったし, 今でも折に触れて聞いている. ライナーノートには武蔵(とその生き様)への共感みたいなことが綴られていたように思う.
それからしばらくはモリコーネからは遠ざかっていたのだが, 何かの古い映画を観れば必ずどこかでモリコーネないし, モリコーネ的音楽には触れていた(触れざるを得なかった. というより避けることの方が難しかった). 要するに21世紀には既にそれはもう常識というか, 映画, ドラマ等の創作物における「空気」や「水」のような普遍的なものにまで昇華していたのだと思う.
たとえば「モリコーネ」の作中でも, 60年代にモリコーネが映画音楽にもたらした革新性(というより「映画音楽」という概念そのものを創造した)について触れられる場面がある. しかし, 残念ながら私にはその偉大さ, 革新性が全く理解できなかった. というのも, 私にとって西部劇は最初から
レオーネ-モリコーネ (+イーストウッド)
だったからである.
それで言えば, たとえば「LIVE A LIVE」で西部編の曲を聞いても, どう聞いてもモリコーネに聴こえたし, 我々の世代だけではなく, 恐らく作曲した下村陽子の世代まで含めて, もう最初からそれになっていたのだと思う. ちなみにモリコーネと下村陽子は, 件の「LIVE A LIVE」の西部編を接点にして, 私はよくセットで語りたがるが, それに留まらず「モリコーネ」でも取り上げられていた「対位法」(e.g. KH2 ver の Dealy Beloved) や「ボイス」の使い方 (e.g. Last Ranker の Born to survive), 「状況に寄せる曲」といった諸々の点に関して凄く似ていると思う. この辺はプロに分析してもらうか, あるいは下村陽子本人に語ってもらいたいところ(どこまで影響を受けたか, 意識をしたか)でもある.
話をモリコーネに戻すと, 彼をある意味最後に意識したのは, 「ハンチョウ」で「ワンス・ア・ポン・ア・タイム・イン・アメリカ」ネタをやっていて(2巻の一番最初の話. あの「長いわ!! タイトルも! 尺も!」ってオチなヤツ), ちょうどその頃に「午前十時の映画祭」でやっていたので観にいった時である. それがもう4年も前で, その時に
「モリコーネってまだ生きてるのかな?」
と思ってググッて生存確認したのが最後だったように思う. 彼は私の祖父と同い年だったので, そういう意味でも割とその辺の事情には注意を払ってはいたのだが, ちょうどコロナ騒動の初期の頃のドタバタで訃報に触れて少なからず驚いた. ちょうど諸々の動画サイトに入っていたから, 訃報後のあの時期に色々モリコーネ作品を見直した(それももう2年半前か).
そんな感じで私のとってのモリコーネは, 21世紀に入ってから, 恐らく彼の晩年を共に生きた, 付かず離れずの20年だったわけである. なんというか全く思いもかけない形で不思議と彼とは「縁」が切れなかった. この辺は, 本来はモリコーネよりもずっと近いはずなのに, もう20年ご無沙汰の宮崎駿や庵野秀明(あるいは音楽で言えば植松伸夫とか)らとは対照的で, そういう意味でも面白い.
3. Diligent e prodigio
「モリコーネ」の作中で正に「これでもか」と(やや食傷気味な程に)モリコーネへの賛辞が成されるが(正直ここはやりすぎだったと思う), その多くの賛辞とは裏腹に, 私は彼を「天才」とは思わない. 実際, 「天才」で片づけてしまうにはモリコーネは余りに規格外で, 偉大すぎる(私が良く例にあげる「るろ剣」における二重の極み習得時の安慈和尚と左之助のやりとり)と思うし, 彼自身もそう呼ばれることを余り好まなかったのではないか.
私に言わせれば
『モリコーネは非常に勤勉なる努力家, 異端の秀才』
だと思う. たとえば,
『彼が殆ど即興でたくさんの曲を作った』
とか
『「今の曲を何々調にアレンジしてくれないか」と言われて, 即興でやってのけた』
といった「モリコーネ」で語られる数々のエピソードもその事象だけをみれば, 如何にも天才的エピソードに聞こえるが, 事実は恐らく違う. あくまで私の個人的な見解に過ぎないが, 思うに
『彼はその思考, あるいは試行をもうやっていたからその場で吐き出せた』
という方が正確な気がする. つまり彼は四六時中ありとあらゆる音楽的思考, そして試行を膨大に行い続けていて, 膨大な数の手札を持っていた. だから, 即興に見えたそれも十年前とか, 二十年前に試行した断片が陽の目をみたということだったように思う(何故, そう言えるかって? それは私も同系統の戦闘スタイルだからです. 「何でそんなの思いついたの?」と聞かれたら, 「10年前から考えていたから」と答えるからです). 彼はその努力を何十年も怠らなかったし, また映画音楽という媒体, 表現技法が, その彼の膨大な試行を引き出すのに最適な形式だったのだ.
無論, 作曲家, 音楽家にとって, 音楽的思考, 試行を積み上げるという行為自体は「当たり前」であり, モリコーネだけが特別というわけではないだろう.
モリコーネが特異だったのは, 「正統」へのコンプレックスに由来するものなのか, その range が恐ろしく広かったこと(「音楽でない」ものまで取もこうとする「ゲリラ戦法」)と, 彼自身がただ音楽的試行を積み上げるだけでなく, 映画音楽という形式を用いて
「それらを如何に出力すべきか」
ということにも, 試行と同様に注力し続けたことにこそあると思う.
私もわからなくはないのだが, どうも生粋の音楽家, もっと一般に芸術家を気取る連中というのは, その試行を積み重ねることそれ自身が目的化してしまい, out put の仕方, あるいはされ方には無頓着なことが多いようだ. モリコーネの革新性, 現代性の本質は正にそこにこそ注力したことにある. ただそれは彼の慧眼や天才性によるのではなく(事実彼自身も「最初は映画音楽を作ることは屈辱的だと思っていた」と述べている), そう生きざるを得ない環境の中に適応し, その中で最大限の努力を行った結果という方が正確だと思う.
実際,「モリコーネ」のキャッチコピーのように「波乱万丈」とは言うものの, 映画音楽が確立された後世からその結果だけを見ると, ややもすれば極めて優等生的サクセスストーリーに見えてしまうだろう. ただその本質は
『「映画音楽」が「音楽」になっていった』
という歴史的変遷であり, とても「才能」なんてチンケなものだけで一足飛びに辿り着けるモノではなく, モリコーネをはじめ多くの関係者の半世紀にもわたる膨大な積み重ね, そしてドラマがあってこそのものである. そして正にそれこそが今回の「モリコーネ」の主題と言っても過言ではない.
実際に「モリコーネ」に非常に印象的なエピソードが出てくる. それはマリア夫人に「映画(音楽)はもうやめる」という話で
『
1960年代には1970年にはやめると言った.
1970年代には1980年にはやめると言った.
1980年代には1990年にはやめると言った.
1990年代には2000年にはやめると言った.
そして, 2000年にはもう何も言わなくなった.
』
というものである. つまりかの「マエストロ」をして, 「映画音楽をやめる」と言わなくなるのに実に40年もかかったということである. これがそのまま苦闘の歴史そのものを言い表してもいるのだろう.
「モリコーネ」のタイトルには
『映画が恋した音楽家』
とあるが, 正にその通りで, 彼が映画音楽から離れようと思っても, 映画の方が彼を離さなかった. そして, そのことが彼自身のキャリアを何十年もつなぎ続けた. 事実, 映画音楽との出会いが無ければ, もしくはどこかで縁が切れてしまっていたら, 彼はそこで終わっていただろう. 結局彼は, 「正統」音楽へのコンプレックスを抱えつつも(結局これは最後まで無くならなかった), 最後は映画音楽との関係を運命として受け入れた. 「モリコーネ」で描かれるのは正に「マエストロ」のその物語なのである.
4. Una domanda
少し話を変えて, 昔から不思議だった一つの疑問をここに述べる. モリコーネをはじめ, 映画音楽というものは
「状況に寄せる曲」
が多い (もう一つは「情景に寄せる曲」だが, モリコーネは前者が圧倒的に多いと思う). たとえば「モリコーネ」では「ワンス・ア・ポン・ア・タイム・イン・アメリカ」において,
「レオーネは撮影中にもモリコーネのテーマ曲を流していた」
というエピソードが出てくる. 確かに「ワンス・ア・ポン・ア・タイム・イン・アメリカ」は絵の方を曲に合わせたような場面が多かったので, その疑問もそれで解けた. そもそもそんな
「本来はありえないような倒錯が起こった」
ということ自体, 「映画音楽」のステータスが上がっていった歴史の一幕なのだが(実際, 「モリコーネ」では, 師匠のペトラッシをはじめ, 「正統」音楽の面々が兜を脱いだのが正にこの「ワンス・ア・ポン・ア・タイム」だったというエピソードも併せて語られる), ここで問題にしたいことは
「そのような極めて局所的な場面を想定して作られた曲が, 何故に映画とは独立の, それ自身が名曲として認識されるような普遍性を獲得しえるのか」
ということである.
これはモリコーネに限らず, それ以後の諸々のサウンドトラックに関してしばしば見られる現象なのだが, この理由は正直未だにわからない. 一つには
「曲の普遍性というよりは, その映画, ドラマ, 舞台, アニメ, ゲームのそのシーン自体が持つ思想や普遍性がその「状況に即した」曲により表現されるから」
だと考えているが, 感触としては場面とは独立に音楽固有のナニカによる力の方が大きい気がしている. その「魔法」の正体は未だに謎のままなのだが, あるいはかの「マエストロ」であれば, その答えを何か知っていたのだろうか.
5. Maestro e Giappone
既に下村陽子を例にモリコーネとゲーム音楽というか, 日本との接点, 関係を指摘したが, 恐らくモリコーネ的サウンドは日本と相性がよいというか, 関係が深い. そもそもレオーネ-モリコーネの出発点は黒沢の「用心棒」だったし, 伴奏ということで行けば, それこそ「用心棒」や「ゴジラ」の佐藤勝, 最近俄に復権(?)した古関裕而をはじめ, 宮川泰, 富田勲, 小林亜星等々こちらも負けてはいないと思う. もっと遡るならば, 歌舞伎の長唄や鳴物なんて, 60年代, 70年代のモリコーネ的発想そのものではないか. だからこそ, 「マエストロ」のその辺の見解も気になる所なのだが(あれほどの「音の探求者」だった彼が, それらの存在を知らぬはずはなかっただろう), 「モリコーネ」ではその辺は(記録が無いのか, マニアックすぎるのか)触れられてはいない(というより日本との関りで触れられたのは「用心棒」だけである).
「マエストロ」の見解ということで行けば, 先述したように, 90年代から2000年代にかけての日本のゲーム音楽とかに関して, 彼がどう思っていたのかも知りたい. 尤も, 「モリコーネ」でもあれほど映画音楽の確立に尽力したはずの「マエストロ」でも,
「アニメの曲を作るのは嫌った」
というエピソードがあったから, そもそも(あれほどの探求者だったにもかかわらず!!)興味を持っていなかったという可能性も十分ある. だとすると, これは, かの「マエストロ」の一つの「限界」を示すエピソードであって, それはそれで興味深い. ただ,
『それこそ「LIVE A LIVE」の曲でも聴かせたら, 彼は何と言っただろうか』
という「妄想」もやはり捨てがたい(気に入ったなら, 手塚治虫ばりに「俺ならこう作る」ぐらいのものを吐き出してくれたかもしれない).
6. L'eterno maestro
以前私は「正統」音楽というか, classic批判をしたことがある:
No.54 某日本classic業界雑感
https://note.com/shibushibuyanyan/n/n144b811a1a0a
その時にも述べたが, 所詮, classicなんてものは
「金と暇を持て余した絶対王政の頃の西欧貴族の数少ない娯楽の一つ」
の名残であって, まぁ使える場面も無くはないが, それ以上でもそれ以下でもない代物である. 少なくともそれのみを「音楽」とする理由など何もないはずなのだが, 多分21世紀を生きる一個人に過ぎない私がその当たり前の認識を持てているということにも, かの「マエストロ」の影響は少なからずあると感じた.
つまり「マエストロ」の功績は
『「映画音楽」を「音楽」にした』
ということだが, 言い換えるならばそれは
『「音楽」の可能性, 世界を押し広げた』
ということに他ならない. 本来であれば, 生粋の音楽家, 作曲家こそが常に
『「音楽」とは何か?』
を問い続け, その在り様を模索し続けなければならぬはずだが, 全く奇妙なことに芸術家を気取る連中程, 燃え尽きた「灰」を崇めることに執着しがちで, 新たな「火」やその「灰」を嫌うらしい.
真の「マエストロ」とはそんな中にあって, 新たな灯りを求め, 灯す者であり, 図らずもモリコーネはその運命を引受けた. そしてその結果として, 「正統」音楽もまた彼に救われたのだ. 事実, 映画音楽, ゲーム音楽, アニメ音楽, 等々の諸々のサウンドトラックのレパートリーが無ければ, 今の楽団の殆どがとても食ってはいけないだろう(この期に及んでもそのことに気付かない愚か者は消えるより外に術はなし).
他方で, そのような人材を自身の中から生み出したという点に, 「正統」の正統たる所以があることも忘れてはなるまい. 「異端」もまた「正統」無くして生まれはしないのだ. その意味において, 彼らは共にそれぞれの歴史的役割を果たしたとも言えよう.
しかしながら, 何事にも功罪はある. かの「マエストロ」とて例外ではありえない. モリコーネの「罪」についてあげるならば,
『「音楽」のステータスを上げ過ぎてしまった』
ことだろう. つまり映画において「音楽」が主張しすぎるようになった(無論, これは映画だけに留まらない). 音楽無しに成立しえない映画はあってもいいし, またあるべきだと思うが, 全てがそれでは今度は映画の可能性, 潜在力の方を潰してしまう.
当然, モリコーネ自身もそれを反省して, 主張しすぎない曲も作っているが, 一度足されて常識になったものを間引いていくというのは, それを創造し加えていく過程と同等以上のセンス, 労力等を要求されるわけで, 今はこの辺の塩梅は映画サイドの方に投げられているような気がする. ここをもう一度, 作曲家まで引き戻してその工程を自在に行えるようになるには, もしかすると新たなる「マエストロ」が必要になるかもしれない.
ただいずれにせよ, それまでにはなかった音楽, 映画双方における可能性, 選択肢を与えたこととその功績が計り知れないことに何ら変わりはない. もし後の世に, モリコーネの「罪」を贖う(というよりそれによりモリコーネの思想と方法は真の完成をみるのだろう)新たなる「マエストロ」が現れたとしても, その名は決して忘れ去られることはないであろう.
