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⑤婚活の舞台は海外へ


予想外の妊娠、そして中絶を選んだわたしでしたが、少しずつ元気を取り戻すと1つの決意をします。

すべてリセットする意味で、実家から離れてひとり暮らしをしよう!

引っ越し先は、地元から少し離れた県外。田舎者なので、都会への憧れは少なからずありました。遅ばせながらでしたが、30歳にしてようやく「自立」ということを意識できたんだろうと思います。

そして、大都会でのひとり暮らしは、それなりに恋愛し、それなりに独身を楽しく謳歌していました。

それでも、結婚への執着はなくなることはなかったです。かといって、それなりの恋愛だと「わたし&創価学会」の両方を受けいれてもらえずにいた、これも事実。

実家を離れて3年ほどたったころ。ネット検索でみつけた「創価学会専門出会い系サイト」で、とある男性と出会います。

どんな手をうっても結婚したいし、創価学会込みで考えるならもうココしかない!藁をもつかむ想いでした。

同じような苦い経験をもつ独身者ばかりが集まっている。そうなると話は早い!トントン拍子に出会え、結婚をみすえた恋愛がいよいよスタートしました。

メールでのやりとりは1日中止まりません。仕事中でもおかまいなし!夜中も電話しまくりです。実際まだ会ってないのに、盛り上がる盛り上がる、有頂天でした。

そして、わたしは彼に会うため、オーストラリアへ旅立ちました。

え?オーストラリア?

はい、彼はオーストラリアで仕事してました。日本人ですが。

連休をもらい、オーストラリアで数泊。次、オーストラリアに来るための、片道チケットをもらって帰国。

そう、晴れてわたしは駐在妻の座をゲットしたん!しかも、相手は創価学会の人、親も喜ばないわけがありません。

退職日も決まり、借りていたアパートの退去日も決まって、うきうきなある日、彼からメール。

それは、なななんと!別れ話でした。

震えました。なんで?なんで?

記憶があるのは、1回は彼と電話で話したくらいで、事実上、泣き寝入りでした。

仕事も住まいもなくなったので、もう実家に帰るしかありません。

親にはアパートの退去日に話しました。嬉しい引っ越しの手伝いのつもりで呼んだのに、別れの報告をしてしまう娘よ、親不孝にもほどがある。

この後はアルバイトや就活をして、実家を出る前の元の暮らしに戻っただけ。

ひたすら、怒りと悲しみにもだてながら、しばらく暮らしました。

この記事では、あえて事実だけを書いています。

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