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『生きる意味』があることが嬉しくて

みなさんこんにちは、Sesiruです。
Noteの更新は約10ヶ月ぶりということで
大変お待たせしてしまいました(誰も待ってない)

流石にフロアも冷め切ってるところだと思うので
爆笑ものの一発ギャグでもかまして
フロアを爆笑で沸かせたいところですが
私のギャグセンスでは”到底無理”と判断したので
一旦「狩野英孝さんのPRAGMATA」を見て笑ってください。(全力他力本願)

(ちなみに私はゲームは全くせず
ゲーム実況なるものもほとんど見たことがないのですが
狩野英孝さんにはハマってしまいました。)

明日からGW明け…みんな大丈夫そ?

明日から仕事、学校、保育園、幼稚園…
そんな方も多いのではないでしょうか?

「明日から保育園ヤダ〜」なんて駄々こねてる
保育園児もきっと日本のどこかにはいることでしょう。

「学校だるすぎ…」
そう感じる学生さん、アナタ間違ってませんよ。

「仕事マジで無理…」
そう思ってる大人の方もきっとたくさんいます。

ちなみに私もその1人です。

どんだけ嫌なのかというと
どうしたら不労所得を投資で得られるかを
午前中の時間全部使ってChatGPTに相談してました。(曲作れ)

生きる意味は、あります

どうでもいいことばっかり話してるので
流石に本題に入ろうと思います。

私はここ数年、怒涛の日々を送ってました。

「ヒトが人生の後半あたりで経験するもの
 人生の前半で全部経験したんじゃない?」

そう思うくらい、いろんな出来事が起こりました。

母の死、養父と法的離縁…

身内的な話なので、詳しい話は避けますが、
とにかく苦しかったのは間違いありません。
一歩間違えたら、私も両親と同じ心の病に
なっていたのかもしれません。

ただ、その頃は「両親と同じ病気になりたくない」その一心で
ひたすら心身の健康にいいことをやりまくっていたので
(家族としてその病の苦しみを見てきたから)
私自身が心の病にかかることは決してありませんでした。

状況が落ち着いてからも
これまでの苦しい日々の影響なのか、
はたまた、私の生来の特性なのか、

・とにかくネガティブ
・未来に対しての絶望感
・反芻思考

これがやめられなかったので
この頃から【CBT(認知行動療法)】を独学で学び始めました。

少しずつですが、これまでの環境で
自分を守るためにやっていた”歪んだ認知”を認識し、少し意識して考え方を変えられるようになりました。

「このままいい感じに人生進むかも」
「超絶ポジティブモンスターになりたい」

そう思っていた矢先…
まさかの診断が私を襲います(ドキュメンタリー風)

私は「お金を稼ぐ」ことがてんで苦手なようだ


実は去年の8月あたりにやっていた仕事があったのですが
それまで任されていた仕事が少しづつ変わってきて
私が一番苦手な「電話でのクレーム対応」業務が多くなってきてしまい、
それがストレスでまた仕事をやめてしまいました…

「電話でのクレーム対応」業務が増えてきたあたりから
なぜか平日の朝に激しい嗚咽、咳を繰り返すようになり
夜には意味もなく涙が出る…

そんな状況が続き、
ついに希死念慮が強くなりすぎることが多くなったので
慌てて病院にかかったところ…

「適応障害」

と診断が下りました。

今まで絶対に「心の病」にかからないように
いろんなことをやってきた私にとって
その病名は私をさらに絶望へと陥れました。

みんなが当たり前にできることができない

私にはお金を稼ぐ能力がないのかも…
社会人として失格だ…
こんなに心が弱かったら今後社会でやっていけない…

そう思うのも無理はありません。
いろんなアルバイトをしては
すぐに辞めてしまう。
そして経済的に苦しくなり、
自己嫌悪に陥る。
の負のループに陥ってしまいます。

周りの同級生はみんなちゃんと仕事してるのに、
私はまだこんな昔の夢を追っている。
普通のこともできないのに、
夢なんてうまくいくわけがない。

でも夢がうまくいかないなら
私には生きる意味がない…

生きる意味も分からない。
未来への希望もない。
頼れる人もいない。

そこまで追い詰められた時、
私は一冊の本に出会いました。

「夜と霧」が生きる意味を教えてくれた


知っている方は知っていると思いますが
ユダヤ人精神分析学者が、自身が体験したナチス強制収容所を
赤裸々に書いた本です。

「なんか読むのに勇気いるかも」
「落ち込んでるし読まないほうがいいかも」

そう思ってましたが
私はなぜかスラスラと読めてしまいました。

想像していた以上に、スルッと読めてしまったのです。
これは私にとっても予想外でした。

私たちが人生の意味を問うのではない

その昔、この世界には神様や仏様がいて、
”神様信じるだけで極楽浄土”
”これ唱えるだけで天国行けるぜ”
みたいなのが普通に信じられていたそうです。

どれだけ苦しい現世でも
神様を本気で信じてれば、
死んだあといずれは極楽浄土…ならば
なんとなくいまを生きる気力も湧いてきそうですよね。だって信じるだけで天国いけるんだから。

では、現代に生きる私たちは、果たしてどうでしょうか?信じられる神様は、いなくなりました。ニーチェもそう言ってます。

生きる意味なんて、考えたことない。
もしくは、生きる意味なんてない。

そんな風に考える方もいることでしょう。

ただ、私の経験上、人間は苦しくなると
「生きる意味」を探してしまいがちです。

例にもれず、私もその1人でした。

何のために生きているのか
私の人生には何の意味があるのか
なぜ私は生まれたのか。

その答えは、ヒトそれぞれ。
時代によっても変わることでしょう。

生きる意味なんてないのが当たり前の今の時代ですが、ヴィクトールフランクルは
この本の中で、私たちにこう問いかけるのです。


私たちが人生の意味を問うのではなく
人生が私たちに意味を問い続けている。
人生にどう向き合い、どんな態度で、どう生きるか。
その問いに応え続けること。

そして、この世に生まれた人間の
たった一つの義務は「最後まで生き延びること」 たったこれだけだと。


私はこの本を読んだ時
ハッとしました。

どれだけ惨めでも、恥ずかしくても
成功しなくても、とにかく生き延びれれば
それだけでいいんだと。

仕事を何回も辞めようが
心の病になろうが
失敗しようが恥をかこうが

それが人生という長い旅を自ら終える理由にはならないと。
だって、最後まで生きることが私たちに与えられた
たった一つの義務なのだから。

「どんな人生にするか」をひたすら問われている

その問いに応え続けること。
人生の意味は、私たちが問うのではない。
人生から問われているのだということ。

このことを知った時、本当に心が軽くなったんです。

どれだけ苦しい人生でも
最後にどんな人生にするかはアナタ次第。

この言葉に尽きると思います。

とにかく生きるだけでオッケー

とにかく現実に耐える皆さんに
私が伝えたいことはただ一つ。

「とにかく生きてるだけでオッケー。」

生きることだけが、たった1つの義務なんです。
だから、人生の旅を途中で終えないでください。

これからどう生きていくかは、アナタ自身が決められるのだから。

私自身にもこの言葉を投げ掛けたくて
このNoteを書きました。

どうか、1人でも救われる人がいますように。
最後まで見ていただいてありがとうございます。

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