6 世界は強い癖でできていた。【関与の連鎖】と【構造化】
【関与の連鎖】と【構造化】
ここまでで本稿は【関与体】を「関与を及ぼし、関与を受けうるもの」として定義した。
【関与体】それ自体には、
意味も目的も価値も意図も主体性もない。
にもかかわらず、 我々が生きているこの世界には確かに
物理法則があり
時間の流れがあり
因果があり
意識や倫理が存在する
ように感じられる。
ここからは、【関与体】を用いて、
それらが成立し、人間にそう「感じさせてきた」構造を順に取り扱う。
関与は孤立しない
【関与体】は単独では、ただ「在る」だけだ。
しかし、「在る」とされたその瞬間、
すでに関与も観念的同時に発現している。
それは【関与体】が「在る」とした時、
観念的同時に区別や観測といった関与が発生せざるを得ないからである。
関係性から始まる仏教とは、ここで逆転している。
関与は、
一度きりで終わる必要はなく
相互である必要もなく
観測される必要もない
ただ起きうる。
また【関与体】同士は関与により、
諸々の反応を起こす。
それは単純な反応としては、
反発(離散)
吸収(接合)
分解(破壊)
増大(減少)
共振(沈黙)
などの影響として現れる。
そしてそれらのいかなる影響をもってしても、関与体という条件から外れられない。
形態が変わっても、様式が変わっても、分割しても矮小しても、それは「関与体」である。
「関与体」自体は決して消滅しない。
前述した通り、【関与体】自身では意識をもたない。
よって、これらの関与は意図的でなく、意志もなく、目的もない。
ただ関与し、また関与に対する応答にも法則はない。
そして一度関与が起きれば、
その影響は次なる関与の条件となり、
多様で膨大な関与は、同時に重なり合い連鎖しながら、
直線的とも、波紋的とも区別がつかず、脈絡ない連鎖が
永続して広がり、止まることがない。
一つの関与が一つの関与だけを生むわけではないし、
関与への応答が薄い関与体もあり得る。
関与は連なりとして現れる。本書ではこの連なりを 【関与の連鎖】 と呼ぶ。
関与の連鎖
【関与体】同士の関与が重なり合うとき、
それは単なる出来事の集合ではなく、
【関与の連鎖】 として振る舞い始める。
関与の連鎖とは、
関与が次の関与を呼び
その結果が条件となり
再び別の関与を生み、
その影響度合いが強くなっていく
という、継続的な過程である。
この連鎖には、
目的も、方向性も、意味も、意図もない。
それにもかかわらず、 連鎖が持続することで、
一定の傾向や偏りが生じ始める。
【構造化する関与体】
【関与の連鎖】の中に、
繰り返し
安定
偏り
拒絶(特定の関与を許容しない性質)
が生じることがある。
このような一定のパターンを持った【関与の連鎖】を【構造化】 と呼ぶ。
【構造化】は意図して「設計される」ことではない。 意味や法則が外部から与えられることでもない。
【構造化】の結果として、 安定して崩れにくい関与の配置となったもの
を 【構造体】 と呼ぶ。
【構造体】は【関与体】の癖によってできる
【構造化】そのものに、意味や価値を持たない。
しかし【構造化】が生じることで、
ある関与は起きやすくなり
ある関与は起きにくくなり
一定の振る舞いが繰り返される
ようになる。
これを身近な【構造体】として「水」で例えようとするならば、
ある関与は起きやすくなり
→重量に従って流れていくある関与は起きにくくなり
→ 油を拒絶し、融和しない一定の振る舞いが繰り返される
→温度変化によって原子配列が変わる
これは一例ではあるが、このような癖が発現してくる。
つまり【構造体】は
【関与体】の「癖」 と言い換えても差し支えない。
このとような癖を持った【構造化】が生じ、さらに連鎖していくことで、
【構造化】はさらに進み、より複雑な【構造体】に変化してゆく。
そうして、後の章で扱う
法則
時間
因果
確率
主体
意識
倫理
が成立するための条件が整う。
【構造化】は不可避ではないが、排除できない
すべての関与が【構造体】を生むわけではない。
しかし、
関与が十分に連なり
安定したパターンが生じ(癖)
それが維持される条件が整えば
それらは【構造化】し、こんにち人間にも技術的に測定、感知できるような【構造体】となる。
【構造体】は
【関与体】の存続持続と相互関与という必然性の中で、
「まるで自由であるかのように振る舞う」(意図・自由意志ではない)という偶然性から生じる。
そして【構造体】は、
【関与体】が複雑かつ、安定的に結合した存在として、
より大きな関与(影響力)をもたらす。
