個別最適な学びの根っこにあったもの ― 評価もまた、個別最適である必要がある
前回は,ひとつの学年の取組が,
じわりと広がっていく様子を書いた
今回は,私の学びの場で得たある言葉から綴る……
個別最適な学びの根っこにあったもの
特に印象に残っているのは,
緒川小学校で,
奈須正裕先生と直接お話ししたときのことだ
奈須先生から,
「個別最適な学びの思想の土台には,特別支援教育がある」
という趣旨の言葉をいただいた
「特別支援教育なんだよ
特支,特支の人でしょ?
できるでしょ?」
と……
私には,その言葉が深く残った
特別支援教育は,
同じように見える行動の背景にも,
子どもによって違う理由がある
一人ひとりの困っていることや特性についての
実態把握と背景理解が欠かせないのだ
だから,同じ支援を一律に当てはめるのではなく,
その子に必要な関わりを考える
どうして,その子は手が止まっているのか
どうして,その子は友だちの考えを見に行けないのか
どうして,その子は分かっているのに書き出せないのか
どうして,その子は説明を聞いても動き出せないのか
行動だけを見るのではなく,その背景を見る
そう考えると,個別最適な学びは,
決して特別な子どもだけのためのものではない
すべての子どもを,
一人ひとり違う存在として見るところから始まる学びなのだ
発達障害のある子ども
外国にルーツのある子ども
学習に強い苦手意識をもっている子ども
どんどん先に進みたい子ども
じっくり確かめながら進みたい子ども
子どもたちは,同じ教室にいても,
同じ場所から学び始めているわけではない
学びのスタートが違う
必要な支援が違う
進み方が違う
分かり方も違う
だからこそ,個別最適な学びが必要なのだ
これが,多様性の包摂へとつながっていく……
そして,ここでまた評価の問いに戻ってくるのだ……
同じことをしていない子どもを,同じように評価できるのか
授業が変わるほど,別の問題がはっきりしてきた
それは,評価の問題だった
同じ教室にいても,子どもたちは同じことをしていない
ある子は,基礎に戻っている
ある子は,発展問題に進んでいる
ある子は,友だちの考えを参考にしている
ある子は,教師と一緒に学んでいる
それぞれの学びは,確かに意味がある
それぞれの子どもにとって,必要な学びだった
一人ひとりのスタート地点が違う
つまずいている場所も違う
進み方も違う
必要な支援も違う
学年が進めば,その差も顕著になる
だからこそ,個別最適な学びを仕組む意味がある
けれど,学期末になると,それを一つの形式で評価しようとする
同じ欄に,同じ観点で,同じように示そうとする
その瞬間,授業の中では大切にしていたはずの「違い」が,
評価の中では扱いにくいものになってしまう
この子は,前の単元に戻って学び直した
この子は,友だちの考えを参考にして,自分の考えを深めた
この子は,教師と一緒に取り組むことで,ようやく次に進めた
この子は,発展的な課題に挑戦し,自分で問いを広げた
どの姿も,その子にとって大切な学びだった
でも,それを学期末の「あゆみ」にどう表すのか
同じものさしで,同じように示してよいのだろうか
難しくないですか……
教員の中から,こんな声が出てきた
「これ,同じように評価するの,難しくないですか」
その言葉を聞いたとき,私は深くうなずいた
私も,同じことを感じていたからだ
評価もまた,個別最適である必要がある
個別最適な学びを進めれば進めるほど,
従来の評価の形とのズレが大きくなってしまう
子どもたちは,学びたいそれぞれの場所から学び始めている
学習の道筋は,子どものペースそれぞれで進んでいる
学習に困ったときは,タブレットを見たり,友だちの考えを見たりと,
それぞれの支援を受けながら学びを進めている
学びの場,そのものが,学校ではない子どもも,それぞれの場で学んでいる
その姿を,一律の形式にまとめようとした瞬間,
どこかに無理が生じるのは,自明の理であろう
そして全国の先生方も,迷い,悩んでいることではないだろうか
多様性の包摂とは……
もちろん,学校教育において,一定の基準に基づいて
評価することは必要だろう
学習指導要領に示された目標があり,
観点別に学習状況を見取る必要もある
「一人ひとり違うから,何も評価しなくてよい」
という話ではない
むしろ逆だ
一人ひとり違うからこそ,
評価はもっと丁寧でなければならない
一人ひとり違うからこそ,
評価はもっと学びの途中に返るものでなければならない
一人ひとり違うからこそ,
評価は「結果を示すもの」だけでなく,
「次の学びを支えるもの」でなければならない
そして,多様性の包摂……
先述した,
すべての子どもを,
一人ひとり違う存在として見るところから始まる学び
なのだ
一歩間違えると,差別も起こってしまうと,
大空小学校初代校長 木村泰子先生も,話している
子どもたちがそれぞれの場所で学ぶからこそ,
評価はもっと丁寧に,
もっと即時に,
もっと学びに返るものでなければならないのだ
評価のあり方も,
もう一度,改めないといけないのかもしれないのではないだろうか
中央教育審議会 総則・評価特別部会委員の中村めぐみ先生は,
以下のように綴っている
そもそも評価とは何かと言ったときに、現場を見ていると子供を同じ尺度で比較し、その結果を子供に返すものという認識のほうが強いように見えます。そして教員が子供を理解するためのバロメーターとして行っている側面が強いのです。しかし、子供を理解する際に他者と比較するというのは「多様性の包摂」が求められる時代にはそぐわない
つまり……
個別最適な学びを進めるなら,
評価もまた,個別最適である必要があるのではないだろうか
「あゆみ」は,今の学びに合っているのか
あゆみは,学期末にまとめて渡される
しかし,子どもの学びは日々の授業の中で動いている
つまずいたその瞬間に,必要な言葉がある
分かりかけたその瞬間に,返したい評価がある
次へ進もうとしているその瞬間に,支えたい学びがある
その評価を,学期末まで待ってよいのだろうか
「あゆみ」は,本当に今の学びに合っているのだろうか
この問いは,学校全体で避けて通れないものになっていった
そこでこの問いを学校運営協議会(コミュニティースクール)である,
木津-CSに投げかけることにした……
すると,保護者の代表や地域の方々から,
想像していなかった言葉が返ってきたのだ……
次回は,学校運営協議会での話から,書き進めてみたい
