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「世間の『普通』は普通ではない」適応的な普通の定義は○○だ!

「普通に学校を卒業して、普通に就職して、普通に結婚して、普通に子供を育てて、普通の老後を迎える」

、、、世の中では、「普通」といった言葉がいたるところで多用されていますが、普通っていったい何でしょうか?

そして、「自分が普通ではない」と思う人達は、世間で言われる「普通」という概念に自分を合わせようと必死ですが、ものすごく大変そうです。ただ、それもそのはずです。

世間で言われる「普通」は、全く普通じゃないですから。世の中で言われる「普通」は、私の感覚だと全く普通ではないし、心理学的に適応的ではありません。こんなものが、普通であってたまるかって感じがしますね。


1、世間の普通は明らかにおかしい!

世間一般が語る「普通」の最大の特徴は、そこに様々な「条件」がいくつもパッケージされている点にあります。

具体的に言うと、「一定以上の定職についている」、「一定の年齢までに~している」、「空気を読んで周囲と調和を保つ」、、、などなど。

世間で言われる、「普通」という概念は「多種多様な条件の集合体」です。しかも、こうした条件はそれぞれの分野では「平均的」であっても、「総体としてみたら全く平均的ではない」ということが珍しくありません。

統計学において、ある一つの特性(例:身長、年収、学歴など)の「平均値」の枠(中央の数十パーセント)に入る人は多数派です。しかし、これが「年収も普通、ルックスも普通、健康状態も普通、家族構成も普通、性格の真面目さも普通」というように、複数の条件が掛け合わされた瞬間、すべての条件で「普通」を維持できる確率は天文学的にゼロに近づきます。

たとえば、 10個の独立した条件があった場合、それぞれで「普通(上位・下位20%を除いた中間60%)」に入る確率を掛け合わせると、0.6の10乗で、すべてを満たす人は全体の中のわずか約0.6%にまで激減します。

客観的なデータや統計学の視点から見ても、世間の言う「すべての条件を満たした普通の人」なんて、この現実世界のどこにも存在しないファンタジーとすらいえます。

私は全く詳しくないですが、いわゆる婚活の分野でよく言われる「普通の男性」などという滑稽な概念を考えてみれば、「確かに」とおもってもらえるかもしれません。

2、普通とは「何か欠けており不完全である状態」

普通を条件付けベースで定義すると、必ず何かしらの要素が外れ値になって、「普通ではない」ことになります。ここで、「まあ、このくらいずれててもしゃーないね」と開き直れるなら問題ありません。

しかし、外れ方が大きかったりあまりにも広汎な条件にわたってずれている、社会適応において重要な要素が大きくずれている、、、などとなると、生きずらさを抱える源泉となりえます。

そのため、私としては「普通」をあくまでも条件ベースではなく、「何か欠けており不完全である状態」と定義するのが適応的であると考えます。

このように「普通」を定義すれば、全ての人間について当てはまるうえ、どんな状況になろうと変わりません。ようは、「自己否定が発生する根元の1つを断つこと」に一役買うのです。

完璧な人間なんてどこにも存在しません。ある人は感情のコントロールが苦手という欠落を持ち、ある人は強烈な内向性という歪みを持ち、またある人は世間のルールを鼻で笑う適度な反社会性を持っている、、、かもしれません。

「みんな違ってみんなキモい所がある」のが人間の現実ですから、「何か欠けており不完全である事」と考える事は、無用な自己否定から自分を解放するために有効な考え方と言えます。

3、自分を条件付きで定義するのはやめよう!

自身について条件ベースで「普通かどうか?」と考えるのは、本当によくありません。なにせ、誰しも何かしら「普通ではない要素」というものを持っているものですから。

「~だから普通」なんて言い始めたら、自分に対する否定感情が強まってしまうでしょう。そのため、普通を「何か欠けており不完全である状態」と定義するのがおすすめです。この定義であれば、無用な自己否定が発生しにくくなりますからね。

ちなみに、必死に自己肯定感をあげようしてきたけど、どうも上手くいかないと感じる方は以下の記事を読んでみるとそのモヤモヤが解決するかもしれません。

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