長野・諏訪「七号サミット2023」——諏訪の蔵から出た七号酵母が、いま結んでいる人と町
きょうかい7号酵母は、いま全国の多くの蔵で使われています。この酵母は、1946年、長野・諏訪の宮坂醸造(真澄)の諏訪蔵で、発酵中のもろみから見出されました。見つけたのは、大蔵省醸造試験場の山田正一博士です。
「醸造協会7号」と名づけられたその株は、真澄1社で抱えこまれることなく全国へ配られ、近代の日本酒の骨格をつくっていきます。
つまり七号は、諏訪という土地から生まれた酵母です。
その発祥蔵で、年に一度だけ開かれる会があります。「七号サミット」。宮坂醸造の宮坂勝彦さんに呼ばれて、上諏訪まで行ってきました。


■開催概要(※終了)
七号サミット2023(第2回)
2023年7月8日(土)17:00〜19:00
会場:真澄蔵元ショップ Cella MASUMI 松の間(JR上諏訪駅)
主催:宮坂醸造株式会社
ホスト:宮坂勝彦さん(真澄/社長室 室長)
ゲスト:矢内賢征さん(一歩己/豊国酒造)、髙崎丈さん(髙崎のおかん)
MC:タカマッチさん(タイタン)
参加費:5,500円(試飲・ペアリングの軽食・記念酒720ml付)/定員30名
※七号酵母の発見にちなみ、毎年7月に開催。1946年の発見から、2023年で77年目にあたる
◉ 「派手じゃない」——だから七号を選ぶ
真澄は2019年、七号系の自社株酵母への回帰を決めています。勝彦さんが蔵に戻った2013年あたりから少しずつ舵を切り、いまではほとんどの商品が七号でつくられています。

では、その七号のどこがいいのか。会のなかで勝彦さんが挙げたのは、まず自由度の高さでした。18号や19号を使った酒は、飲めばだいたい分かります。七号は、そこが広い。
温度帯の幅、食中酒としての幅、そして蔵ごと・造りごとに出てくる味わいの幅。酵母を変えることでバリエーションをつけていた蔵が、七号一本に集約してもなお、十分に幅が取れるのです。

そして、もう一つ。
「派手じゃない。派手なものはたまには必要だけど、毎日だと疲れるじゃないですか」
七号発祥蔵という肩書きは、それだけで売り文句になります。それを承知のうえで、勝彦さんは売り文句としては語りません。

会の終盤、会場から核心を突く質問が出ました。熊本の9号は、協会が頒布するものと、蔵で培養されているものが別だといいます。では、七号はどうなっているのか。

真澄が使っているのは、協会から頒布される7号ではありません。自社の蔵で保存してきた株です。社内には20〜30種類の自社株があり、そこから常に選抜をかけて、5〜6種類を手元に置いています。冷凍で保存しているものも、そうでないものもあります。保険をかけて、複数を持つのです。
「財産ですよね」
他社に売る考えはありません。ただ、では協会7号は今後もっと広がるべきなのか——という問いには、こう答えました。それは自分が言うことではない、蔵元が選ぶことだ、と。
発祥蔵が、酵母の所有権を主張しない。1946年に山田博士が持ち帰った株を全国に開いた選択と、この態度は、たぶん地続きなのだと思います。
◉ 「絶対に燗にしない」と決めて造った酒
ゲストの一人、矢内賢征さんは、福島県石川郡古殿町(ふるどのまち)にある豊国酒造の9代目です。2010年末に自ら立ち上げた銘柄が「一歩己(いぶき)」。

この日の一歩己は、初夏から夏にかけて出す季節限定酒「裏柳(うらやなぎ)」。緑色は一歩己のブランドカラーで、山あいの町の風景を、そのまま酒の色にしています。ラベルにわずかに入る水色は、川のせせらぎ。アルコール度数を落とした、涼やかな一本です。
その一歩己も、じつは定番から七号系を使ってきました。福島県のF7と、701号。どちらも七号にゆかりのある株だそうです。
裏柳では、アルコールを下げるぶん、変異株ではなく正統な七号を選びました。他の酵母とブレンドしても淘汰されず、もろみのなかでしっかり育つ。その強さが要るからです。

そして矢内さんは、二部が始まってすぐに、こう言いました。
「この裏柳は、絶対に燗にしないと決めて造った酒なんです」
続けて、燗をつけるのが丈さんだと聞いたから、今日は個人的にすごく楽しみにして来た、と。
勝彦さんが出した大吟醸も、燗を想定して造ってはいません。
◉ 燗は、調理だ
髙崎丈さんの前には、道具が4つ並んでいました。銅のチロリ、錫、ステンレス、そしてガラスのビーカー。銅は焼く料理、ビーカーは蒸し料理、錫は煮込み、ステンレスは揚げ物——そんなイメージで使い分けます。

「お酒を温めるって、火を入れるということ。つまり調理なんです」
温度は、香りが沈む瞬間で決めます。酒によって、その瞬間は1か所から3か所あります。香りが立たなくなった瞬間が、味の混ざった瞬間です。

この日、一歩己は70℃、真澄は65℃で出されました。器の形でも、温度帯は変わります。
飲んで、驚きました。冷やのときにあった輪郭が、消えません。むしろ、酸のアクセントがやわらかくなりながら、芯だけが立ってくる。両蔵元も、驚いていました。
「丁寧に造られている酒は、温めても美味しいんです。なぜ冷たくなきゃいけないのか」
丈さんは、そう言います。昔のように、燗向きの蔵の酒でなければ燗にならない、という時代ではありません。蔵の技術が、そこまで上がっている。だから燗を、もっと信じていいのです。

勝彦さんの言葉が、この日いちばん腹に落ちました。
「僕たちは、飲み方まで強制すべきじゃない。僕たちが造った素材をどう扱うかは、料理人であり、飲み手なんだと気づいたんです」

矢内さんも、自分の側を振り返っていました。冷やしてください、温めないでください——そう指定してきたのは、提案しなければちゃんと飲んでもらえない、という怖さがあったからです。制限を与えることで、造り手の側が安心を得ていたのです。

この30〜40年、日本酒の消費量は落ち続けています。その理由の一つは、冷やを進めすぎたことではないか。勝彦さんは、そう言います。冷たい酒は、そんなに量を飲めない。丈さんも、冷酒だと燗の半分しか飲めない、と応じます。

たしかに、そうです。わたしも燗を飲みはじめると、冷酒には戻れません。飲み口もそうですが、なにより身体がラクなのです。
◉ DMから、すべて始まっていた
この夜の3人は、業界のしかるべき筋から引き合わされたわけではありません。
コロナ禍のさなか、矢内さんは蔵の行く先に迷っていました。酒蔵とは何なのか。この蔵をどうするのか。2021年、面識のない勝彦さんにメールを送り、諏訪へ来ます。そこで得たのは答えではなく、大きなヒントだったといいます。酒蔵としてのあり方。まちとの関係性。
翌2022年、今度は勝彦さんが古殿町を訪ねています。
「思った以上に田舎でした。福島というレッテルを貼られたまま、そこで酒を造り続ける。震災のとき20代だった矢内さんが、これから20年、30年この蔵を背負うと決めたのは、相当な決断だったと思う」

矢内さんはその後、髙崎さんの活動を知ります。丈さんが心を動かされていたのは、絵描き集団オーバーオールズが福島県双葉町の壁に描いた絵でした。双葉アートディストリクト。人の戻らない町の建物に、10棟ほど絵が描かれています。

矢内さんも、その絵を見て動きました。オーバーオールズに自分でDMを送り、豊国酒造の蔵の壁——横30メートル、高さ4メートル——に絵を描いてもらうことにしました。取材した週の、その翌週から作業が始まる、という話でした。

同じやり方で、矢内さんはもう一人にDMを送っています。南相馬市小高で「haccoba」を醸す佐藤さんです。丈さんが生まれた双葉町の、隣の隣の町にあたります。この日、佐藤さんは客席にいました。急に指名されて立ち、こう言いました。
「うちの酒は、全部七号酵母です」

米以外の原料を一緒に発酵させる、これまでにない造り方をしています。それでも米の旨味を引き出すために、発酵力の強い七号を選ぶのです。
歴史の長い蔵には「こうでなくてはならない」がある、と勝彦さんは言います。
「売上だけ見れば、下がり続けた歴史のほうが長い。苦しい、売れない、という話になりがちで、楽しい顔をしている自分を偽らなきゃいけない気になる。でも彼らみたいに楽しんでいないと、仲間は集まってこないんですよ」
◉ ここで生きていく
会場の入り口に、赤と黄の色が塗られた太鼓が置かれていました。
もとは酒樽です。冬に仕込んだ新酒を詰めて売り出した樽を、諏訪大社に奉納する太鼓を打つ「お諏訪太鼓」の人たちが、太鼓に作り替えました。この日、その音も聴かせてもらいました。酒を運んだ樽が、神社に納める音を鳴らす。



昼間、勝彦さんは、こう話していました。
「僕たちはここでやってきて、今後もここでやっていくんです。だからこの町は、賑わっている必要があるんです」


矢内さんは、酒質の向上や社内の整備と並べて、町の再生に力を入れています。丈さんは、店を失った双葉町を想う活動を続けています。震災とコロナが、それぞれの人生観を動かしました。その先で縁がつながって、この3人が、ひとつの部屋にいます。
七号が諏訪の蔵のもろみから出てきたのは、たぶん偶然です。けれど、その偶然を抱えたまま蔵がいまも諏訪に立っていることは、偶然ではありません。酵母は土地から出る。蔵はその土地に残る。順番は、いつもそうです。
◉ 諏訪まで行く理由
上諏訪は、わたしの出張のなかでは、むしろ近いほうです。あずさに乗って2時間ほど。駅のホームには足湯があり、まちには温泉が湧いています。


この会は、東京では成立しません。肩肘を張らない距離で、中身のある話が交わされます。運営が張りつめていないぶん、聞くほうも構えずに済みます。
この日が3年ぶりのリアル開催だったと知ったのは、会場に着いてからでした。雨のなか、30人が集まっていました。また上諏訪へ行こうと、決めました。



七号は、この土地の空気から生まれた酵母です。その酒を、その土地で飲む。それだけで、一杯の意味が変わります。
なお、山田博士が七号を見つけたのは1946年。この記事を出す2026年で、80年になります。


DATA
宮坂醸造株式会社/長野県諏訪市元町1-16
創業:1662年(寛文2年)
代表銘柄:真澄、MIYASAKA
諏訪蔵・富士見蔵の2蔵。1946年、諏訪蔵から協会7号酵母が見つかった
豊国酒造合資会社/福島県石川郡古殿町竹貫114
創業:1830年(天保年間)
代表銘柄:東豊国、一歩己
髙崎のおかん/東京都・池尻大橋
▼訪問直後のInstagram
▼翌日に訪ねた高島城については、別の記事に書きました
