草の竪琴

【出版社Webより】
1940年代アラバマ州の田舎町。母を亡くした少年コリンは遠縁にあたるドリーとヴェリーナの老姉妹に引き取られる。ドリーは妹との諍いを機に、コリンとメイドのキャサリンを連れてツリー・ハウスで暮らし始めるのだが……。初期の名作「草の竪琴」のほか、「最後のドアを閉めろ」「ミリアム」「夜の樹」の短篇3作を収録。
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先に後半の短篇3作を読んだため(結果、その読み方が良かった気がする)そちらの感想から。
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『最後のドアを閉めろ』
カポーティの短篇『無頭の鷹』のような不気味さと、鬼気迫るものがあった。「ツケがまわってくる」系。はっと目を覚まさせてくれるような読後感。これはちょっと中毒性のある短篇かもしれない…。
『ミリアム』
これもタッチが似ているので展開が読めてくる…。一度読んで、あとでもう一度読み返したくなる印象(で、短いこともあり実際に再読する)。何かにつけ、「行きすぎは怖い」。
『夜の樹』
これも雰囲気が似ているけれど、3つとも「自分を見ている」ということはわかる。すべてに共通するのは(共通点を探して読んでいるわけではないのだが)、すぐに読み返したということと、救われないような話に見えて、「全員が救われていく」話にも見えるということ。
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次に本題作『草の竪琴』について。
ツリー・ハウス(名の通り、大きな樹の中に住まう)を舞台に、人々の声を集めた「草の竪琴」が奏でられる。語り部のような趣きがそこにはある。
語り手であるコリン君とドリーの物語だが、僕(誠心)が最も心惹かれたのはクール判事だ。
いつも小説を読んでいて、騒ぎ立てない静かな人(それでも心の中は強い感情で揺れ動き続けている)につい、関心がいってしまう。
セロー『極北』のシャムスディン、マッカラーズ『心は孤独な狩人』のシンガー、チャンドラー『水底の女』のマーロウ、フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』のキャラウェイ、など。
一見、何か「損」をしていそうな人に感情移入しやすいのかもしれない。
人々の声を集めた竪琴は最後まで鮮やかに響き続ける。それぞれがそれぞれの道に散らばってゆく。コリン君もけなげによくがんばったのだ。
個性豊かな楽しい登場人物がたくさん出てくるのも本作の魅力だと思う。
「きりぎりすベーカリー」のミセス・C・C・カウンティー、情報通の床屋エイモス・ルグランドなんかもコリン君を励ましてくれているようにみえる。
最後に、クール判事の2つのシーンを紹介して終わりにします。
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「我々は守るべき自分たちの立場を知らなくてはならん。それが原則だ。それでは、いったい何が我々を一緒にしたか?トラブルだ。ミス・ドリーと彼女の友人たち、彼らは面倒に見舞われている。ライリー、君にも私にもやはり面倒が降りかかっている。我々はこの側に属しているんだ。さもなくば我々はこんなところにはいない」 判事の確信に満ちた声の響きに、ドリーも静かになった。「今日、保安官の一行と町を出たとき、私は自分の人生は絆らしいものも持たず、何のしるしも残さずにえ失せていくものと思い込んでいた。でも今では、それほどひどいものにはならないかもしれないと思い始めている。(後略)
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「つまりだね」と判事は説明を加えた。「その人にならとにかく何でも打ち明けられるという相手のことだよ。そんなことを望むなんて、私はただの間抜けだろうか?しかし、ああ、我々はお互いから自分を押し隠すことに、どれほどのエネルギーを費やしているだろう。自分が明らかになることをどれほど恐れているだろう。しかしここにいる我々は自分を明らかにしている-樹の上にいる五人の愚か者だ。それをどう用いればいいかさえ心得ていれば、これは何よりの幸運になる。自分がどう見えるかなんて、まったく気にする必要はない。自分の本当の姿を自由に探していいのさ。誰にも我々をここから追い払うことはできないとわかってさえいればね。我らが友人たちに、人の多様性を否定するべく汲々と立ち回らせるのは、自分自身をめぐる不安と迷いなのだ。私は過去において、少しずつ、ひとかけらずつ、見知らぬ人々の前に屈することを続けてきた-波止場の渡し板の先に消えていった人々、次の停車場で降りていった人々。彼らをひとつに合わせれば、もしかすると『世界でただ一人の相手』を形作ったかもしれない。しかし彼は一ダースの異なった顔を持ち、百の離れた通りを歩いて行くものとしてそこにいる。私にとってこの今が、その男を見つける好機なのかもしれない。君たちがつまりはその男なのだ-ミス・ドリー、ライリー、君たち全員が」
