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2位じゃダメなんです……そのとおり、だから研究開発は無駄遣いが多くなる

前回のnoteエントリの最後でも紹介したが、《研究開発は将来の経済を強化するための先行投資というが、研究者1人1人の経済への寄与度はどんどん下がっている》という主旨の論文がある。

Bloom, Nicholas, et al. "Are ideas getting harder to find?." American Economic Review 110.4 (2020): 1104-1144.

このデータからは「研究者の数と経済成長にあまり関係はないか、または同じ経済成長をするのに必要な研究者の数が増え効率が下がっている」ということが言える。別の言葉で、「常識的に考えて研究者は価値ある研究から手を付け始めるだろうが、研究者が多すぎて『価値ある研究』の種を速攻で取り尽くし、多くの研究者が碌でもない部分で戦ってる」と表現することもできるだろう。

私が見る限り、このデータは2通りの解釈をし得て、論文ではそのうち1つの解釈で語っている。本稿では、前半で論文の解釈をベースとして論じ、後半でもう一つの解釈を紹介する。

歴史的な研究のコスパの悪化

遠すぎる到達点

物理学の研究で、昔はシンプルな室内で構築可能な霧箱や泡箱で実験できていたのが、今はスーパーカミオカンデのような巨大装置や、あるいは線源として超巨大加速器を必要とするようになっている。こういった研究は、手近な材料から初めて最先端のmarginalな領域がどんどん遠くに行き、今は研究フィールドが遠くにありすぎてそこにたどり着くだけでも莫大なエネルギーを使うようになっている。装置の構築なども人手がいるため、今の高エネルギー物理学などの論文は著者リストが膨大になることが多い。

1957年、NACAの物理学者が霧箱でアルファ線を観察している所。(NASA・パブリックドメイン)
スーパーカミオカンデ(1996)公式ホームページ

このように研究コストが上がる一方で、その成果が直接利益になっているかというと難しい。原子核反応や電子軌道のモデルなどは比較的早期に様々な実用的応用を産んだが、クォークの物理学の応用となると、研究者自身もなかなか指折り挙げられないだろう。現状、研究装置を含めそれを利用するための設備が大型化しており応用したくとも用途は限られる。遠大な叡智を利用するにも、それが遠くにありすぎるのだ。

最先端が遠くに行き過ぎたという話題では、"Burden of knowledge"という問題も言われている。《研究とは先人の積み重ねた発見の一番上に新発見となる薄板を積み重ねる営みだ》というのはよく「巨人の肩の上に乗る」と例えられるるが、巨人が巨大になりすぎて1人の人間が肩に到達することでさえ苦労とする、という主旨である。

物性という壁

今回取り上げた論文は経済学のもので、どちらかというと実用開発向けの事例が多いが、典型例として取り上げられている「ムーアの法則」とその終わりは、さらに物性の限界、原子サイズという限界が関係してくる。

半導体加工は、根っこの部分は多色刷り版画のようなもので、シリコン結晶の一枚板の上に回路図が描いてある原版を何回か転写して製品として仕上げる(ゆえに版画用語のリソグラフィやエッチングといった単語が使われる)。しかし回路図が細かくなるにつれ、転写光が短波長・高エネルギーになっていき、現在は莫大な電力を要する極端紫外線光源を使う。ここまでは物理学と同じような問題がある。

半導体ではこの先があり、シリコンの化学的性質に依存している限り、少なくとも珪素原子より小さい回路は作れない(それよりだいぶ以前の段階でもバルク部分が減りすぎると同じ物性と看做せなくなるためhigh-kやらgate-all-aroundやら必要になっているが)。次世代のCFETではゲルマニウムや窒化ガリウムを挟む(ドープするわけでなく母材として)のが有力で、その次はもうシリコン系材料では足りず本当に原子n個厚の薄膜である遷移金属ダイカルコゲナイドなどが候補に挙がっている程度、さらに原子より小さいとなると量子的な効果で計算するしかなくなる――といったような状態である。

シリコンベースの半導体に関しては、見えている終わり=物性限界に対して「毎年残りの地歩の10%ずつ進む」というような歩みで進んでおり、研究開発のコストパフォーマンスはゼノンのパラドックス(アキレスと亀)のように指数関数的に減っている。

物性などで“上限”がある場合の年ごとの研究開発の上積みの模式図

元論文ではこのような効率悪化の例として、半導体のほか、医療における寿命延長や、農業収穫の増加が取り上げられている。ヒトの医療にしろ農産物にしろ、分子機械たる生物機構の限界というのはあるわけで、こちらも上限の決まった収獲逓減の問題はあるだろう。

掘り尽くした鉱山

物理学の例では「低コストで研究できる手近な範囲はやりつくしてしまい、最先端の研究をするにはコストがかかる」という話を紹介した。次に紹介する分類学はコストではなくパフォーマンスの問題で、手近な高パフォーマンスな分野をやりつくてしまい、低パフォーマンスな領域しか残っていないことを嘆いている。

石油などの鉱物資源は、原理的には世界中どこからでも掘ることができるのが、基本的には採算がとりやすい掘りやすいところから掘りはじめ、それを掘りつくすと採算性の悪い鉱山へ移動するが、それに似た問題とえよう。

前回記事のの反論に、今までの科学技術の発展の"功績"を反論に乗せてくる人がいたが、少なくともある一定のフィールドにおいては、定性的には過去ほど劇的な発見を得られる可能性は減り続け、コストパフォーマンスは悪化し続けているというのが前述の論文の主張ということになるだろう。

2位以下は全員討ち死にです、だから2位じゃダメなんです

前節では、歴史的に研究のコスパが悪化する要因を挙げてきた。ただしこの点は反論もある。研究者は同じフィールドをずっと掘っているわけではなく、経済的に有用な別のフィールドを探すこともある。最近のAI研究などはそれに該当するだろう。そのため、あるフィールドで物性の限界だからもう研究全体がダメですということには単純になるわけでもない。

ただ、そうであったとしても、ある同時代において研究や開発に携わる人間が多すぎる場合にもまた研究のコスパは悪化し無駄が出る――冒頭で紹介した論文の言う「研究者の数と経済成長にあまり関係はなく、研究者の数が増えても効率が悪化する」という事態を説明しうる。次はこれについて説明していこう。

民主党政権のいわゆる事業仕分けの時、当時の蓮舫が世界1位を目指していた科学技術開発目標に対して「2位じゃダメなんですか」と発言し、その後「少なくとも1位を目指さなければダメだろう」とさんざん擦られることになった。

「2位じゃダメだ」と言った側にはある程度根拠がある。これが研究であれば、同時期に似たような研究をしていたとしても、1番乗りで発表しない限り新規性がないとして成果として出す出口を失ってしまう。

オフィスアプリの圧倒的収益差のイメージ図

技術開発だとしても同じような問題が立ちはだかる。特許やノウハウなど知的財産は、おおよその場合は初期投資が高いが1つ1つのコピーを作るコストは安いことが多い。このため消費者は「一番いいもの」の安いコピーを買えばよく、その結果として勝者総取り (Winner-takes-all) の状態になりやすい。端的な例はオフィスソフトで、特に単独アプリの場合Microsoft Officeの独占はずっと崩れず、2番以降はOpenOfficeなどはほぼ開発コストが無駄に消えたと言っていいし、AppleのNumbers等も商業的価値はほぼ産んでいない。Google Workplaceを入れたとしても1位2位まででシェアをほぼ独占している。

このように、研究にしろ開発にしろ、2位以下は金と時間を投じて頑張ったにも関わらず、その成果が全く評価されない、ゼロになってしまうことがまま生じてしまう。「2位じゃダメなんですか」というが、研究開発においては1位になれるか否かは生きるか死ぬかというほどの大問題なのである。

討ち死にを大量に出して生産性が下がる

「2位じゃダメ」という性質はなかなか厄介である。「アメリカには負けるかもしれないけど我が国もキャッチアップしなきゃ」というような動機で研究開発しても無駄になる可能性が高くなってしまい、手が出しにくくなるからである。

また、原理的に競争が効率を下げるということが起きてしまう。模式的な例を作れば、10人のチームが5年でやるR&Dに、2社参入して1社は10人チームで4年、もう1社が10人チームで4.5年で開発したとしても、使われるのは最初の1社の製品だけであって、2位以下の開発は無駄になってしまう。3倍の人員を投入して得られたのが開発期間の1年短縮だけで、研究開発だけ取り出した生産性は60%減といったことになりがちである。

キャッチアップしたいと願ったとしても、莫大な投資をしながら1位以外は全部負けというチキンレースへの参加を求められる。それを避けようと開発力の高い競争相手との棲み分けを狙っても、競争力が高い相手は価値が高い研究から手を付け、最初から2位以下狙いでは価値の低い領域で戦わざるを得なくなる。「常識的に考えて研究者は価値ある研究から手を付け始めるだろうが、研究者が多すぎて『価値ある研究』の種を速攻で取り尽くし、多くの研究者が碌でもない部分で戦ってる」ということになるのである。

基礎研究を「国益」的な観点からとらえるならば、国間の「使えそうな研究の掘り下げ競争」が過当競争と化しても止められない囚人のジレンマに陥っている、と表現することができるだろう。

研究のコスパの説明責任

「1位以外全部負け」になる研究開発はほとんどギャンブルと言っていい。元論文で例題に挙げられていた半導体産業は、この数年は小さな先進国の国家予算並み(10兆円級)のR&D投資・設備投資を行って、それで2位や3位なら全部ご破算でもおかしくないという、気の狂った人間でないとやっていけないような環境になっている。

そしてここまで見た通り、基礎研究も根っこの部分で同じような性質となっており、ギャンブルに身を投じるか、または誰が見ているのか分からない狭小ニッチで教育的効果のために研究するか、どちらかを選べといったような状態になっているジャンルもある。

私企業であれば投資者に対して責任を負い、損得の判断は投資者が自己責任で行うことになるが、税金で基礎研究に金を出す場合どうだろうか。慣習的に金を出せばいいという人は多いが、実際問題として「研究のリターン、コスパ」が年々悪化しているというデータを突き付けられると、どうしても考えてしまうところである。





p.s.
一連のエントリーの中ではこれが一番まじめなテイストだが、これのブックマーク数が一番多くなるかどうかではてな民の科学技術への興味が分かるというものである


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