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「包括者」という道標〜NHK100分de名著(2026.2)第4回振り返り〜

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 「包括者」は、ドイツの哲学者カール・ヤスパースの『哲学入門』にしばしば出てくる言葉です。本書において最も難解で抽象的な概念についてヤスパースは次のように述べています。

このおのおのの瞬間に現われる主観=客観の分裂の秘密は何を意味するのでしょうか。しかし存在は全体としては客観であることも、主観であることもできないで、むしろ《包括者》であらねばならないということ、そしてこの包括者が分裂して現象となって現われるということは明瞭であります。

カール・ヤスパース著、草薙正夫訳『哲学入門』p.41-42、新潮文庫

 主観は「私」、客観は「考えられている対象」にそれぞれ置き換えられます。両者をつなぐ概念の例として哲学者の戸谷洋志さんが挙げているのは、山登りで自分が山と一体化するのを感じる瞬間です。その上で「言葉で説明できなくてもそれに包まれる感覚は感じられる」と語っています。
 「包括者」の掴みどころのなさは、ドイツの哲学者・ニーチェが提唱した「超人」に通ずる部分があります。虚無主義(ニヒリズム)を克服するために持ち出された「超人」は、断定的に表されていないという点で「包括者」のイメージと共通しています。
 真理を追い求める過程で人は「包括者」という概念の曖昧さとどのように向き合えばいいのでしょうか。そのヒントになり得るのが、『哲学入門』第六講にある記述です。

 生涯のうちに起るいろいろな決定を要する問題に関して永い間疑い迷ったあとで、突然確信が生れるということは、いろいろな自叙伝の中で報告されています。このような確実性は途方に暮れるような動揺のあとに起ったところの行動能力の自由であります。しかし人間はこのような明晰な確実性において自由を決定的に知れば知るほど、それだけ人間存在の根拠である超越者もまた彼にとっていっそう明白になるのであります。

カール・ヤスパース著、草薙正夫訳『哲学入門』p.100、新潮文庫

 番組テキストでは元プロ野球選手の桑田真澄さんが引退を決めた時のエピソードを例に「永い間疑い迷ったあとで、突然確信が生れる」瞬間について解説されています。司会の伊集院光さんが言うところの「 “理屈の限界”で本能が目覚めてくる感じ」は、アイドルグループからの卒業を決めた人たちも経験しているのではないでしょうか。その看板を下ろした状態で自分の道を切り拓いていくのは、相当な覚悟が必要だと思います。
 『哲学入門』を通してヤスパースの思想に触れる度、真理の探究には大変な困難が伴うものなのかと思い知らされます。本書のエッセンスを読み解くには、戦時下における彼の動向を辿っていく必要があります。
 第2次大戦中、反ユダヤ主義を掲げるナチス政権によって多くのユダヤ人が強制収容所に入れられました。ヤスパースの妻・ゲルトルートもユダヤ人だったことから迫害の対象になっていました。レジスタンスと呼ばれる人たちが各地で武装蜂起するのに対し、ヤスパース自身が積極的に行動を起こすことはありませんでした。ナチス政権に反対の立場を取りながらも、そこから逃れるために息を潜めていたのです。
 戦争が終わった後、ヤスパースは「人生の重要な局面において、選択によって課せられる責任」(番組テキストp.97)を「罪」と呼びました。この時、彼はまさに『哲学入門』でいうところの「限界状況」に直面したのでしょう。そこから「交わり」「愛の闘争」「世界像」そして「包括者」といった言葉に象徴される思想の土台が形成されていったのです。


 ここまで振り返ってきたように、『哲学入門』は、異なる「世界像」を持つ他者との共存について考えるきっかけにもなります。その際、「包括者」の概念は、「多様な価値観をつなぐ基礎」(番組第4回より)として捉えられています。

そこで歴史はいっそう重大な意義を有するのであります。すなわち歴史は神性の存在が顕になる場所であります。存在は他の人とともに人間のうちにおいて顕になります。と申しますのは、歴史においては、神は唯一の独占的な方法によっては明らかにならないからであります。人間は誰でもその可能性に従えば、神と直接に関係しています。歴史的な多様性のうちには、絶対に代置できぬもの、絶対に導き出されえぬものの独自の権利が存立しているのであります。

カール・ヤスパース著、草薙正夫訳『哲学入門』p.158、新潮文庫

 「決して他者を知り尽くすことができない」(テキストp.102)というのを前提に「共通の真理へと向かう」(テキストp.104)ための道筋がここでは示されています。
 本書はこれからも挫折から再出発するための道しるべとして読み継がれていくのでしょう。

#NHK100分de名著
#カール・ヤスパース
#哲学入門

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