「世界像」そして「人類の統一」から見えてくるもの〜NHK100分de名著(2026.2)第3回振り返り〜
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「世界像」は、ドイツの哲学者カール・ヤスパースの思想が表された言葉の1つです。端的に言うと、「人間の知識の総体」(番組第3回より)を意味します。
番組テキストでも例示されているように、生き物のヘビに対する見方一つにしても、その国の文化によって大きく異なります(テキストp.61を参照)。
実在全体は、あらゆる点において自己自身のうちに関係づけられた唯一の世界として、世界全体として、世界像となって眼前に現れようとします。たとえこの世界像は常に不完全で訂正を要するものであってもそれは常に認識がもたらした成果であって、原理的には、存在が実在性として一般的に親しまれるようになるためにとるところの形体として、獲得されうるものだと考えられます。このような世界像は、それ自身のうちで相互に関連する知の全体を総括しようとするものであります。
ここで重要なのが、「世界像」は世界そのものでなく世界の「一断片」だということです。
前述のヘビを例にすると、旧約聖書において人間を誘惑する悪魔の化身として登場することから、キリスト教圏では「不吉なもの、邪悪なもの」として扱われています。
その一方で、日本では吉兆を示す存在ともいわれています。脱皮を繰り返す生命力の象徴として捉えられたヘビが神として祀られているところもあります。
このように、「世界像」は各々の土地に根付く歴史や文化によって形作られていきます。それは他者の「世界像」に接することで訂正されていくのです。
どんな実在するものも、私たちの自己確認にとって、歴史ほど重要ではないのであります。歴史は私たちに人類のもっとも広大な地平圏を示し、私たちの生活の基盤となっている伝統の内容を私たちにもたらし、現在的なものに対する基準を私たちに示し、自己が属する時代への無意識的な拘束から私たちを解放し、人間をその最高の可能性と、その不滅の創造性において見ることを教えるのであります。
この部分に言及した上で哲学者の戸谷洋志さんは「歴史を知ることは、現代の当たり前を相対化し、それによって息苦しさを緩和することを促すことができる」(テキストp.70)と述べています。『哲学入門』で「過去を眺め返し、現在を違った形で捉え直す」(番組第3回より)ことの重要性が説かれているのは、著者のヤスパース自身が「1つの“物語”を絶対化する危険性」(同掲)をよく理解していたからです。
本書が刊行されたのは、第二次世界大戦が終結してから5年後の1950年。当時は戦争の傷跡がまだ生々しく残っていました。ヤスパースはヒトラー率いるナチス・ドイツの台頭で国全体が開戦に向かうのを目の当たりにしてきた世代でした。ナチスによって示された「ドイツ民族が繁栄していく物語」(テキストp.71)のように、絶対的な歴史に基づいて行動することの危うさが『哲学入門』では示唆されています。それらを踏まえると、「世界像」はヤスパースの実体験に根差した考えといえます。
戦争の教訓からヤスパースは平和を実現するための歴史の目標として「人類の統一」を掲げています。
歴史の究極目標ではないが、それ自身が人間存在の最高の可能性に到達するための条件であると思われるようなある一つの目標は、形式的に規定されます。それは人類の統一という目標であります。
その上で「人類の統一」は、「愛の闘争」そして「無制限な交わりにおいてだけ獲得される」(同掲)と続けています。
これについて戸谷さんは「調整と交渉が継続している関係性」と番組内で解説しています。
個人間ならびに国同士の「平和的で豊かな対立」(テキストp.81)という関係性の構築は、理想論のように聞こえるかもしれません。それでもなおヤスパースは「人類の統一」を実現できる力が人間にはあると信じ続けた哲学者だったと僕は思います。
