最善手を探すAIと、意味を問う人間 - 将棋は指せても、“問い”は打てない
AIは、最善の一手を探す。
人間は、なぜその一手を指すのかを問い続ける。
将棋の世界で無敵となったAIの力。それは圧倒的でありながら、どこか決定的な“何か”を欠いているようにも見える。
本記事では、AIが見落とす「問い」の力、そして“考えること”の人間的意味について考察します。
AIは将棋や囲碁の世界で、人間をはるかに超える力を手に入れた。
トップレベルのプロ棋士ですら、もはやAIに勝ち越すことは至難だ。将棋の藤井聡太さんは、自宅でAIと対局して勝つこともあるという。それですらとんでもないことだそうだ。
しかも、その強さは「誰かに教えられた結果」ではなく、自分自身と何百万局も対局を繰り返し、そこから学び取ったものだという。
人間が一生かかってもできない量の試行錯誤を、AIは一瞬でこなす。
その学習量、その計算力、その最適化能力。確かに、圧倒的だ。
AIのブラックボックスの中では、人間が生み出した定石のいくつかは否定され、人間の知らない定石が無数に生み出されているのではないだろうか?
けれど、人間をはるかに凌駕する試行錯誤ができるAIでもできないことがある。
──AIは「問い」を打てない。指せない。
AIは「どの一手が最善か?」という問いに対しては、完璧に近い答えを出すことができる。
しかし、それは“すでに決められた勝負の中”での話だ。
ルールがあり、勝利条件があり、評価関数が与えられている。
だからAIはその枠の中で、何億回でも試行錯誤できる。
でも、人間の問いはそうではない。
人間は、「勝つ」こと自体に違和感を持つ。
このゲームに意味はあるのか?
勝ち負け以外の価値はないのか?
ルールは公平か?
そもそも自分はこのゲームが好きか?
つまり人間は、“ルールそのもの”を問い直せる。“行為そのもの”に疑問を持てる。
それはAIの得意とする「最適化」ではなく、「揺らぎ」から生まれる思考だ。
AIは、自分で決めた目的に疑問を持たない。
人間は、自分の欲望すら問い直す。
そして、この「問い直す力」には、計算では届かないものがある。
たとえば、あなたがなにかに迷ったとき。
正解は分からないけれど、なぜか引っかかる。
なんだか違う気がする
説明はできないけど、腑に落ちない
心がざわつく
その違和感が、あなたを問いへと向かわせる。
それは論理ではなく、感情の震えだ。身体がとらえた違和感だ。AIには、それがない。
AIが自分と延々と対局を続けられるのは、ルールが明示されているからだ。
でも人間の問いは、「そもそもこのルールに従う必要があるのか?」から始まる。
そこに正解はない。
ただ、向き合い続けるしかない“わからなさ”がある。
AIも質問を生成し、自分で回答することができる。人が一生をかけて行う自問自答を、数秒で行える。
それほどの自問自答を続けても、AIは定義された思考の枠から出られない。あくまでもそれは「自問自答ごっこ」だ。
AIの「問い」は、外部から与えられたルールがあるから成立する。
人間の「問い」は、ルールがないところから始まる。
──だから、AIは将棋は打てても、問いは打てない。指せない。
この言葉の意味が、自分の中で腑に落ちた気がする。
納得感は、人間のみが持つ感覚。
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