人間にできてAIにはできないこと - AIには一緒に笑う相手がいない
AIは、ものすごく便利です。けれど、私たちと一緒に笑うことはできません。
このnoteでは、そんな当たり前のようでいて見過ごされがちな「人間とAIの違い」について考えてみます。
AIをどう活かすか?という実用的な話ではなく、「問いを持つとは何か?」という、ちょっと遠回りな話です。
効率や正しさでは測れない、人間らしさについて、一緒に考えてみたいのです。
ある晩、ChatGPTに計算とクイズとなぞなぞに関して質問してみた。
そのうち、ChatGPTが問題を出せるので解くかと聞いてきた。
「問題を生成しているのか?記憶しているのか?」と問うと、「両方だ」という答えだった。
なぞなぞは何となく微妙な問題だった。
「パンはパンでも、空を飛ぶパンはなに?」という問題で、答えは「カレーパンマン」だった。
アンパンマンやしょくぱんまんではダメなのだろうか?
ロジックパズルの難しめの問題を出されて考え込んだ。
しばらく考えて降参。答えを聞いたら、ChatGPTが高速で思考を始めた。――答えは無かった。
私の考えた時間を返してほしい……。
このnoteは、そんな風にChatGPTとやり取りしながら考えたことだ。
「AIは人間を超えるか?」という問いはよく語られる。
そこで論じられるのは、「AIは何ができるか」という能力に着目した内容だ。たしかに、AIは計算も早く、知識も広く、言語運用もかなりの水準に達している。
人がAIに勝てない領域は、確実に増えていると思う。
けれど、そうした性能の進化とは別の次元で、「人間にしかできないこと」は確かに存在する。
たとえば「笑い」や「なぞなぞ」は、その一例だ。AIは大量の言語データから、答えを推測することはできる。
しかし、人間のように「うまいこと言うなあ」と笑ったり、問題を解いていて「あっ、そうか!」と腑に落ちたりすることはない。
なぜか?
人間が持っていて、AIが持たないもの。それは、「問いを持つ力」だ。
人間は、誰かに命令されたわけでもなく、自分の中にふと疑問が湧く。
「これってなんだろう?」
「どうしてこう感じたんだろう?」
という、自発的で意味のない問い。AIは、それに応えることはできても、自分から問いを立てることはできない。
問いは、目的や効率とは無関係な、内発的な揺らぎから生まれる。AIにはその“揺らぎ”が無い。
もう一つ、人間にあってAIにないもの。それは「感覚的な納得感」だ。
なぞなぞで答えに到達し「なるほど!」という快感を得たり、言葉遊びで「うまいな」と感心したりするあの感覚。
あれは単なる論理的整合性ではなく、身体感覚や感情、過去の経験までを総動員した“腑に落ちる”という体験だ。
AIには、どれだけ計算ができても、その「気持ちよさ」や「ここで考えるのをやめよう」と感じる“内的な基準”がない。
なぞなぞで論理的に成立する答えに達しても、それは一つの可能性としかとらえない。
納得感が無いから、別の可能性も探し続ける。
そして最後に、人間には「共有する相手」がいる。
私たちは、誰かと笑ったり、共感したり、「わかる!」と頷き合うことで、感情を確かめ合い、世界を確かめ合っている。
AIは、相手を持たない。いや、持てたとしても、「相手の反応を感じ取る」という感受性は持たない。
人間が「これは面白い」と思うとき、そこには必ず「誰かと共有したい」という気持ちが潜んでいる。
あるお笑いを初めて見たとき、「何が面白いのだろう?」と感じたとしても、他の人が面白がっていると自分も面白く感じるようになる。
それは人が持つ共感能力でもあるし、時代が作り出した「空気」ともいえると思う。
AIにお笑いを大量に学ばせれば、知識としてはそれが笑いやジョークであると認識できる。だが、ある文化ではそれは笑いになるが、別の文化では笑いにならない。
AIはそれが笑いかどうかを判断することができない。納得して、計算を終えることができない。
昔のお笑い、特に物心つく前のお笑いを見たとき、何が面白いのかわからないものがある。
それは、その時代を生きていないから、その時代の空気がわからないからだと思う。
その時代を生きて、誰かと一緒に笑った感覚が笑いには必要なのだろう。それが、たとえ会ったことの無いテレビの向こうにいる誰かであっても。
それは人間のみが持つ感覚の領域だ。
AIには一緒に笑う相手がいない。
面白さを共有する相手がいないから、何が面白いのかを判断する材料がない。
そこに踏み込むには、“思考”ではなく、“感情や身体”が必要だ。
つまり──
AIは、「言語だけで意味を閉じようとする存在」だ。
一方、人間は、言葉にならない揺らぎ、感情、身体感覚、他者との関係を通じて、「意味を再展開、再構築しながら生きる存在」だ。
こうして考えると、人間にはできるけど、AIにはできないことは結構ある。
AIはツールだ。
あとは、それをどう使うか。
そして、それをどう社会に組み込むのかが課題になると思う。
課題解決のために問いを立てる。
それは人間にしかできないこと。
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