シミュレーション仮説の検証 ~宇宙はコンピューターで生成可能か~
以前の記事では、ホログラフィック理論を紹介した。ホログラフィック理論によると、私達が目で見ている世界は一種のホログラムである。今回は異なる視点から宇宙の成り立ちを考えてみたい。人間、あるいは人間を上回る知的生命体が存在したとして、それらの生命体は宇宙を創造できるのであろうか。シミュレーション仮説によると可能である。シミュレーション仮説とは、私達がコンピューターによってプログラミングされたシミュレーションの世界に住んでいるという学説であり、オックスフォード大学教授であったニック・ボストロムなどが提唱している理論である。
1.現代のコンピューターと人間の能力の比較
映画「マトリックス」では、人工知能を搭載したコンピュータが支配する世界が描かれている。そこでは、機械が本物の人間をポッドに入れて眠らせ、脳にケーブルをつないで、人間に仮想現実を見せている。人間は生涯、マトリックスというプログラムの仮想世界の中で生きるというストーリーである。それでは、私達と同じような人類、もしくは他の種がそのような高度な人工知能を開発できる可能性はどの程度であろうか。
現代のコンピューター技術の発達は目覚ましく、AIや3Dプリンターなどによって人間が行っていた作業を機械が行うことが可能になっているが、現実と区別がつかない仮想世界を構築できるレベルには至っていない。
ここで現代のコンピューターの能力と人間の能力の比較をしてみたい。
■コンピューターの演算能力
2020年に4つのスパコンのランキングで世界第1位を獲得した「富岳」の計算速度は、1秒間に44京回(10の16乗)である。
■人間の脳の演算能力
カーネギーメロン大学教授のハンス・モラベックによると、コンピューターベースのシステムを脳と同等なものにするには、毎秒100兆回(10の14乗)の演算が必要だという。別の科学者の推定では、毎秒10の17乗の演算が必要だとされている。
上記のように人間の脳の演算能力の推定値には幅があるが、例えば、毎秒10の15乗のスーパーコンピューター100台で演算をすれば、毎秒10の17乗の演算をする人間の脳の計算能力に近くなるという。
しかしながら、このような計算による比較は、あまりに単純すぎて、人間の脳の多面性が考慮に入れられていないと言うべきであろう。以前の記事で紹介したとおり、現在の科学では脳と心・意識の関係性が解明されていない。そのため、現時点では、人間が毎秒10の17乗の演算速度のスーパーコンピューターを利用して、現在の人間の脳の完全な同等物をつくることは不可能である。
2.ニック・ボストロムのシミュレーション仮説
ボストロムによると、私達はコンピューターによってシミュレートされた生命としてシミュレーションの中に住んでいるかもしれないという。私達がシミュレートされた世界に存在するのであれば、人類あるいは、その他の種が現実と区別がつかないようなハイパーリアルなコンピューターのシミュレーションを創り出せる段階の文明に到達していることになる。ボストロムはこの段階に達した文明を「ポストヒューマン文明」と名付けている。そして、ある段階まで達した文明が作り出したシミュレーションを「祖先シミュレーション」と呼んでいる。祖先シミュレーションとは、自分たちの祖先、あるいは祖先に似た人の詳細なシミュレーションのことを指している。
3.私達がシミュレーション世界に存在している可能性
ボストロムによると、もし祖先シミュレーションの実行段階に到達できる種がいるのであれば、私達はシミュレーション世界にいる可能性が高いという。そして、その点について以下の3つの可能性を挙げている。
(1)この段階に到達する文明は存在しない。
(2)この段階に到達する文明はあるが、祖先シミュレーションは禁止されている。
(3)この段階に到達している文明があり、たくさんの祖先シミュレーションを生成している。
ボストロムによると、(3)の仮定が正しく、祖先シミュレーションが実行されているとすれば、シミュレートされた世界の数は、現実の世界の数を大幅に上回るはずだという。
4.量子エンタグルメントとシミュレーション仮説
前回の記事で、テレパシーの事例と量子エンタングルメントについて、説明した。量子エンタグルメントとは、一度ペアになった粒子どうしは、どんなに引き離されても、瞬時にコミュケーションをとれる現象をいう。光の速度より速く瞬時に情報伝達される現象であり、ノーベル賞科学者のアラン・アスペの実験等でその事象が生じている科学的証明はなされているが、その現象がなぜ発生するかという根源的な原因は分かっていない。
しかし、シミュレーション仮説では、量子エンタグルメントの現象について上手く説明できる。そのために、まずコンピューターで2つのセルを使って計算処理する場合を考えてみよう。例えば、Excelソフトで「A1」のセルに、「=Z100」という数式を入れたとしよう。その場合、「A1」セルの値は、「Z100」セルの入力値を変えるごとに連動して瞬時に変わる。「A1」セルと「Z100」セルの距離は離れているが、瞬時に同時に連動することができるのは、「Z100」の値が「A1」セルの地点まで、人間のように歩いていくのではなく、「A1」セルも「Z100」セルも、コンピューターの計算処理装置であるCPUの命令によって数値を変更するからである。つまり「A1」セルも「Z100」セルも同じ場所から情報を取得するので、瞬時かつ同時に数値を連動することが可能なのである。そのため、「A1」セルと「Z100」セルの間の物理的距離は関係なく、両セル間の瞬時の情報伝達ができる。
量子エンタグルメントにおいて、ペアになった粒子間の距離がどんなに離れていても瞬時に情報伝達できるのも、同じ理論で考えると分かりやすい。すなわち、この世界は一種のコンピューターのような仕組みで成り立っていて、ペアになった2つの粒子は、どこかにある演算装置から情報をダウンロードしているという理論である。
5.シミュレーション仮説の真偽
ボストロムは、人類はシミュレーションの一部であるだけでなく、本物の生命ではないシミュレーションされた意識である可能性が高いと言っている。
筆者は、ボストロムの説の全体に対して、全面的な賛成も、全面的な反対もしない。ここで、シミュレーション仮説を検討するにあたり、以前の記事に記載したホログラフィック理論について再度、記載するが、ホログラフィック理論は、ホーキングの数学的証明がきっかけとなって生まれたものであり、二次元の平面の情報が三次元の宇宙に反映されていると考える理論である。同理論では、ホログラムとして映し出された世界は仮想現実のようなものであり、別の場所に基底現実(ベースリアリティー)があるということになる。シミュレーション仮説においても、シミュレーションを構築した種が存在する基底現実の世界と、シミュレーションの中の仮想現実の世界が存在することになる。今までの記事で紹介した量子力学の神秘的作用や数々の超常的事例に鑑みると、おそらく基底現実のような世界、仮想現実のような世界の両方が存在しているという理論は否定しがたい。しかしながら、ボストロムの主張の中でも、人類の意識が本物の生命ではないシミュレートされた意識である可能性が高いという説については、筆者は賛同していない。以前の記事で述べたとおり、意識や心と呼ばれるものは、脳の物質的機能だけで説明できないほど複雑なものである。また、多数の超常的事例から考えても、心的事象は物質的空間とは別の空間で発生していると考えるのが妥当であると考えている。そのような意識の複雑性・多面性から考えると、意識というものがシミュレートされたニューロンなどの物質によって引き起こされる単なる化学反応とは考え難い。以前の記事で述べた通り、東洋の伝統的な宗教の教義では、この世は意識と結びついた一種の幻想であり、意識が世界を出入りしていると考えられているが、意識とは何かという問題については、筆者の考えでは、ボストロムのシミュレーション仮説よりも、仏教やヒンドゥー教などの東洋の神秘思想の方がより真理に近いのではないかと思っている。
※参考文献:
「量子テレポーテーションのゆくえ」アントン・ツァイリンガー (著)、大栗 博司 (監修)、田沢 恭子 (訳)
「THE UNIVERSE IN A BOX 箱の中の宇宙」アンドリュー・ポンチェン (著)、竹内薫 (訳)
「二重スリット実験 量子世界の実在に、どこまで迫れるか」アニル・アナンサスワーミー (著)、藤田 貢崇 (訳)
「エレガントな宇宙」ブライアン グリーン (著)、林 一 (訳)、林 大 (訳)
「量子超越: 量子コンピュータが世界を変える」ミチオ・カク (著)、斉藤 隆央 (訳)
「宇宙を織りなすもの(上)・(下)」ブライアン・グリーン (著)、青木 薫 (訳)
「われわれは仮想世界を生きている」リズワン・バーク (著)、竹内薫 (監修)、二木夢子 (訳)
「隠れていた宇宙(上)・(下)」ブライアン・グリーン (著)、竹内 薫 (監修)、大田 直子 (訳)
「量子力学の多世界解釈 なぜあなたは無数に存在するのか」和田 純夫
「ARE YOU LIVING IN A COMPUTER SIMULATION」Nick Bostrom
https://simulation-argument.com/simulation.pdf
