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器が大きい、の器ってどんな器だ

自分の、人間の器が小さいと感じるとき、
それは人生の岐路なんかじゃなくて
高速道路の合流のときだったりする。

ここで自分の前に一台入れてやったとして
そんなに時間をロスするわけでもない。
なのになんか損した感じがして、
入れないように車間を詰めたりして、
ふと気づく。なんて器の小さい男だ・・

その日は友人の車で
長野のとある温泉に向かっていた。

地方の道には
たまにトリッキーな車線があったりする。
2車線の道が交差点に差し掛かるとき
普通は左車線が直進と左折、
右車線が右折のみ、なことが多い。
直進したければ左車線にいれば間違いない。

ところがごくたまに
右車線が直進と右折、左が左折のみ、
という道がある。
それにハマってしまった。
直進したいのに左車線にいた。
ちゃんと表示はあったのについ見逃したのだ。

間違ってしまったものはしょうがない。
問題はどう対処するか・・

これはもう、ひたすら頭下げて、
車線変更させてもらうしかない。
なんか割り込みみたいになっちゃうので
入れる方の器の大きさに頼らざるを得ない。
心の中ですいませんすいませんと言う。

東京のナンバーだから許されるよね、
なんて思ってしまう。姑息である。

で、入れてくれた車を見たら、
奈良ナンバーだった・・

こうなると話はややこしくなる。
長野という場所において、
東京と奈良はどっちが譲るべきか。
遠距離勝負では完全に負けている。

しかもこっちは東京と言いつつも、
ナンバーは「江東」だったりする。
最近はナンバープレートも種類が増えて
「江東」は比較的新しい部類である。
「品川」は有名だが果たして
「江東」が東京だとわかるのか・・
江戸の東、だと思ってもらえるものなのか。
いやわからんだろう。

などと考えている。
そう考えてること自体が
器が小さいと言わざるを得ない。

器が大きい、小さいという言い回しは
なかなかに含蓄のある言葉である。
心の広さ、許容度みたいなものを例えている。
心がある場所に誰もが「器」を格納している、
そう考えると面白い。
人によりそれが大きかったり小さかったりする。

器の種類も違うのかもしれない。
すぐ割れそうな素焼きの器の人もいれば、
南部鉄瓶みたいな頑丈そうな器もある。
フタもついてる人とついてない人がいる。
大きそうに見えて穴が空いてたりもする・・

器の大きな人はいっぱい入れても大丈夫だが、
たまには全部捨てて洗わないとカビが生える。

やっぱり質のいい器を持ってることが大切だ。
いい器を持つ人を「器量良し」と言う。
そう考えると器量良しとは見た目の話ではなく
人間の出来の良さを表した言葉なんだなと
この歳にして初めて気づいたのだった。

次回は「見せ物と見せ場」です。

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