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武器になる哲学(社会と思考編) — 山口周

前回に引き続き、山口周さんの『武器になる哲学』の読書日記です。前回の記事はこちらです。

前回は1章「人」2章「組織」に関する部分を記載しました。哲学の歴史からの教訓をビジネスに引き寄せる周さんの考察力がとても参考になりました。今回は3章「社会に関するキーコンセプト」4章「思考に関するキーコンセプト」を読んだ感想をまとめます。


1. 目的を見失うシステム

マルクスというと『資本論』がまず思い浮かびますが、本書では疎外という概念で紹介されています。疎外とは、人間が作り出したものが人間の手を離れ、逆に人間をコントロールするようになってしまう現象のことで、日常的に使う「疎外感」とは違う意味だと知りました。典型例がマルクスが嫌う資本主義そのものです。
ここで周さんが示唆しているのは、課題を解決するために作ったシステムがいつの間にか元の目的を離れて、そのシステムを回すこと自体が目的化してしまうという点です。

これはビジネスや職場でもよく起きることだと感じます。「目的は何か」「この解決策は本当に元の課題を解決しているか」を問い続ける姿勢がないと、中長期的な視点を失い、目の前にできあがったシステムを回すこと自体が目的になってしまいます。
資本主義に限らず、人間が作り出した小さな仕組みでも同じことが起こりうるのだと思うと、人文知や歴史を学ぶ意味の大きさを改めて感じました。

人間が生んだシステムが人間をコントロールする

2. 秩序と自由のポートフォリオ — リヴァイアサンと一般意志

リヴァイアサンで有名なホッブズの章では、巨大な権力に支配された秩序ある社会と、自由だが無秩序な社会のどちらが良いかという、新たな答えのない問いが紹介されています。どんな場面で秩序を重視し、どんな場面で自由を重視するかは時代によって変わるもので、グラデーションのある社会のポートフォリオのような大きな概念だと感じました。
個人的には巨大な権力による統治は好きではありませんが、かといって完全な無秩序が良いわけでもありません。自分の生活を一歩引いた視点で見て、どこに秩序があるべきかを意識的に見極めていく必要があると思います。

次に同じく社会契約説有名なルソーの一般意志です。市民全体の意志を一般意志と呼びますが、全員の意志を丁寧な議論と熟議で見極めていくというのは、空気を読んで流されやすい日本人には苦手な部分だと感じます。2〜3人という小さな集団であっても、一般意志を導くのは簡単ではありません。それでも理想を高く持って一般意志を出し続けようとするコミュニティを、自分の中でも一つ、二つと増やしていきたいと思いました。一般意志が出た瞬間、また次の一般意志の形が生まれてくるものなのだとは思いますが、だからと言ってあきらめてはいけないですよね。

3. 見えざる手と自然淘汰

アダム・スミスの見えざる手は、市場の自動調整システムとして知られる考え方です。改めてこの考え方に触れて感じたのは、若いころに某コンサルに言われて印象的であった「現場で起きていることはすべて正」という考え方です。現場で起きていることはすべてファクトであり、理論と現実が食い違うときは理論の方が間違っている、現実こそが真理だという考え方でした。

これはダーウィンの自然淘汰の議論とも似ていると感じます。著者の周さんは、自然淘汰で一番重要なのは突然変異だと述べていて、突然変異によってさまざまな種が生まれ、その中から環境に適応したものだけが残っていくとしています。
突然外れ値が生まれるという構造を、スミスの市場原理に当てはめて考えると、、小さなベンチャーや無数の起業家が市場に生まれ、そのうちのいくつかが市場のゲームチェンジャーとして生き残っていく。ということです。
こんなことを考えていると、市場と種がどちらもマルクスの言う「疎外されたもの」のように見えてきます。

見えざる手と自然淘汰の共通構造

4. 贈与とギバーの衝動

マルセル・モースの贈与という概念も印象的でした。人間が人間らしく生きるためには、見返りを求めない「ギバー」であり続けることが重要で、それは経済合理性のない活動の中にこそ存在するのだと感じます。
それが好きだから、衝動的にやってしまう、という感覚は、以前読んだ谷川嘉浩さん的に言うと「衝動」の話にも通じるモチベーションだと思いました。自分自身で言えば、AIを使ってギバーとして関われる時間を増やしていくことが、経済合理性だけに縛られず人間らしく生きることの一つなのだと感じています。

5. パラノとスキゾ

正直に書くと、ジル・ドゥルーズのパラノスキゾについては、うまく理解しきれませんでした。アイデンティティへの執着と、アイデンティティに縛られない生き方の対比のようなのですが、まだ自分の中で消化しきれていません。すべての概念をきれいに腹落ちさせられるわけではない、というのも今回の気づきの一つです。

6. 格差が生むルサンチマン

セルジュ・モスコヴィッシの格差についての議論も紹介されています。大きな格差そのものより、同じ階層の中にある小さな違いの方が、妬みや嫉妬というルサンチマンを生みやすく、それが差別につながっていくという指摘です。
他者に嫉妬を感じるということは、裏を返せば自分がその相手を、自分と同じ階層にいる存在として認めているということでもあります。自分の中に生まれるルサンチマンをしっかり受け止めて、自分は本当は何がやりたいのかを紐解いていくことが、自分の感情をコントロールするヒントになると感じました。

7. 消費に表れるアイデンティティと、報われない努力

ボードリヤールの「消費の仕方」についての議論も、興味深いです。
私は最近、お金の稼ぎ方(職業)や年収よりも消費の仕方の方にこそ、その人のアイデンティティが表れると考えています。
勉強するとわかるのですが、消費はマーケティングの専門家にある程度コントロールされてしまっている面があります。内発的な欲求をしっかり理解して、外発的な消費に流されないようにすることが大事です。

ラーナーの公正世界仮説、努力すれば必ず報われるとは限らないという考え方にも触れられていました。報われないことをいつまでも悔やんでいても仕方がありません。努力にも、絶対に成功させたいものへの努力と、安全な努力・リスクの高い努力があると思うので、その配分を自分の中でポートフォリオを組んでいきます。

年収ではなくて年出

8. 知っていることを知らない — 無知の知の4段階

4章「思考に関するキーコンセプト」に入ると、まず無知の知の4段階が紹介されています。第1段階は「知らないことを知らない」、第2段階は「知らないことを知っている」、第3段階は「知っていることを知っている」、第4段階は「知っていることを知らない」という構造です。

第2段階は、転職して新しい職場でまざまざと感じました。まさに「何がわからないのかわからない」という状態で、何を調べれば、聞けば、やればいいのか全く見当がつかない状態になり完全に手が止まることもありました。それを意識的に克服してきながら「何がわからないか」を言語化する能力はだいぶ上がってきたと感じます。
また、専門的になりすぎると、自分が何をわかっているのかをうまく言語化できなくなっていきます。これはいわゆる暗黙知の状態で「自分が知っていることをちゃんと説明する」というのも非常に難しいことです、
これができるようになると、自分がどういう人間かを相対的に知ることにもつながるのだと思います。

9. 権威を疑う勇気 — イドラとコギト

フランシス・ベーコンのイドラ(偶像)には、種族のイドラ・洞窟のイドラ・市場のイドラ・劇場のイドラという4種類があり、自分や他者の主張がこうしたイドラによって歪んでいないかを意識するという考え方が紹介されています。これは現代でいう確証バイアスや権威バイアスに近い発想だと感じました。心理学的なバイアスの概念は比較的新しいものだと思っていたのですが、実は16〜17世紀のベーコンの頃から同じような発想があったことに驚きました。

デカルトの「我思う、ゆえに我あり」(コギト)についても触れられています。これは周さん風に言うと、結論は現在の我々に当たり前の事であるがプロセスからの学びが多い事象とのことです。
この短い言葉に、宗教戦争の時代に、あらゆる権威を疑い、そもそもの前提に立ち返ろうとした覚悟の強さに驚かされます。

結果ではなく、考えに至る背景やプロセスが重要

10. 螺旋を描いて変わる — 弁証法とパラダイムシフト

ヘーゲルの弁証法は、私が職場でもよく使う言葉の一つです。周さんはこれを社会形態にも当てはまると紹介しています。ある社会形態が栄えても、それだけでは立ち行かなくなり、新しい社会形態(アンチテーゼ)が生まれて新しい形(ジンテーゼ)になっていくという考え方です。古い様式にそのまま戻るのではなく、循環しながら螺旋的に社会形態が変わっていくという捉え方です。

トーマス・クーンのパラダイムシフトも似た構造を持っています。パラダイムシフトは長い時間をかけて起こるもので、ある日突然天才が変えるようなものではありません。旧パラダイムと新パラダイムの間には深い溝があり、議論によって一方が説得されて変わるのではなく、旧パラダイムを支持する世代がいなくなることで、新しいパラダイムに置き換わっていくという捉え方が印象的でした。

11. 言葉が世界を規定する — シニフィアンとエポケー

ソシュールのシニフィアンシニフィエ(言葉と概念)は、言葉がその概念を規定し、概念が言葉を生むという関係性です。日本語だけで考えていると日本語の枠組みでしか概念を持てませんが、外国語を学ぶことで、その言語が表す意味の違いから相対的に自分の概念を広げられる、というのが「シニフィアンを増やす」ということなのだと理解しました。
英語を学んで「ガラスの天井」(性差別の文脈)や、「Pronoun」(代名詞)と概念から、Xジェンダーを表す三人称代名詞など、日本語にはない概念に出会うことがあり、それ自体が学びになっていると感じます。

フッサールのエポケー(判断中止)は、わかったつもりにならないという態度で、ネガティブ・ケイパビリティに近い概念だと感じました。認知の仕方として判断を留保するという視点は、自分にとって新しい気づきでした。

言語と概念は切っても切れない関係。言語を学ぶことで概念を広げる。

12. 使えるかどうかで考える — 反証可能性とブリコラージュ

ポパーの反証可能性は、科学とは反証可能性に開かれているものであり、明らかに反論のしようがないものは科学とは言えない、という考え方です。
企業の中では誰かが言ったものは絶対になってしまうことがあり、反論の余地がありません。このような「あの人が言ったから」というだけで、反証可能性がなく主張が通るのは、そもそも科学的な議論とは言えないのだと思います。

レヴィ=ストロースのブリコラージュは、何に役立つかわからないものがイノベーションにつながるという考え方です。目的から逆算するのではなく、手持ちの道具でとにかくやってみる中から新しい価値が生まれます。
自分に引き寄せて考えると、自分の得意分野であるIT・AIをまったく違う領域で活かしてく活動が該当し、今後取り組んでいきたいテーマの一つでもあり勇気づけられました。

13. 軸を疑い、感情を信じる — 脱構築とソマティック・マーカー仮説

ジャック・デリダの脱構築は、二項対立を問い直す考え方です。コンサル的な仕事では論点を軸として整理することが多いのですが、その「軸を立てる」こと自体が視野を狭めてしまうことがあります。視野を広げたいときは軸を一旦取っ払い、AかBかではなく多元的に発散させるという思考訓練が必要だと感じました。

アントニオ・ダマシオのソマティック・マーカー仮説は、前頭前野を損傷した患者の症例をもとに、感情を失うと合理的な判断ができなくなるという、まだ仮説段階の考え方です。
AI社会の中ではエビデンスや数字だけで機械的に判断できるように思われがちですが、最終的な意思決定には人間の感情が重要な役割を果たすのではないか、という新しい問いを持ちました。

合理的な判断にこそ感情が必要

まとめ

全体を通して、哲学者たちは何かの結論を出すというより、既存の時代に対して新たな問いを立てること自体に価値があるのだと感じました。自分も今、明確な結論があるわけではありませんが、新たな問いを持ち続けていきたいと思います。前編で触れた「人」「組織」の視点と合わせて、社会と思考のキーコンセプトも日々の意思決定に持ち帰りながら、目的を見失わず、権威や軸を疑う姿勢であり続けたいものです。

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