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武器になる哲学 — 山口周

この本『武器になる哲学』は、最近コテンラジオの深井龍之介さんや山口周さんの本を続けて読んでいる中で、哲学や山口周さんの著作にもにも興味が湧いて手に取った一冊です。
深井さんと周さんの本はこちら。

哲学史に埋もれてきた概念を、ビジネスパーソンが実務で使える道具として切り取り直す、実践的な一冊になっています。
今回は長いので、投稿を2本に分けます。まずは前半の2章分(「人」「組織」)です


0. 要約

この本『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50』は、経営コンサルタントとして企業の意思決定や組織変革に携わってきた山口周が、哲学や思想の概念を「教養」ではなく実務で使える思考の武器として提示した一冊です。

哲学は「役に立たない学問の代表」のように扱われがちですが、実際にはビジネスパーソンが目の前の状況を正確に洞察し、他人や組織の不合理な行動の背景を理解し、意思決定の質を上げるための道具として機能する、というのが本書の出発点です。哲学史を体系的に学ぶのではなく、現実の課題に直面したときに「引き出しから取り出して使える」形にキーコンセプトを整理し直している点が、最大の特徴だと言えます。

構成は、序盤で「なぜビジネスパーソンが哲学を学ぶ必要があるのか」という総論を示したうえで、50個のコンセプトを紹介する二段構えです。50のコンセプトは、人に関するキーコンセプト組織に関するキーコンセプト、社会に関するキーコンセプト、思考に関するキーコンセプトという4つのカテゴリーに整理されており、アリストテレスのロゴス・エトス・パトスやハンナ・アーレントの「悪の陳腐さ」など、哲学史・思想史の著名な概念が「ビジネスや日常でどう使えるか」という視点とセットで解説されています。経営やチームマネジメントの現場で「なぜこの意思決定がうまくいかないのか」「なぜ組織はこう動いてしまうのか」に直面しているビジネスパーソンに向いている本だと思います。

1. 哲学を学ぶ意味 — 無教養な専門家という危険

本書の冒頭で紹介される「無教養な専門家ほど、我々の文明にとって危険なものはない」という言葉が、まず印象に残りました。地位のある人には教養と倫理観が求められるというノブレス・オブリージュの考え方は、SNSやインターネットで誰もが発信できる時代になったことで、地位を持たない一般のビジネスパーソンにも広がってきているのではないかと感じます。影響力を持てる人が増えた分、教養や倫理観を持って発信する責任も、同じように広がっているということなのだと思います。

もう一つ面白かった観点として、周さんは哲学を学ぶことで得られるものとして批判的思考の型が上げています。哲学の歴史は、先人の思考に次の世代が疑問を投げかけ続けてきたプロセスの積み重ねなので、そこには批判的に考えるためのパターンが蓄積されています。
哲学者を「何を考えたか」というアウトプットではなく、「何を、どんな問いから、どんな背景でそこに至ったか」というプロセスで切り取る本書のフレームワークも、それだけで学びの多い分解の仕方だと感じました。

ノブリスオブリージュが一般人求められる現在、すべての人が哲学を学ぶべき

2. 人を突き動かすもの — ロゴス・エトス・パトス

人に関するキーコンセプトの中で最初に印象的だったのが、アリストテレスロゴス・エトス・パトスです。人を説得し、人を動かすためには論理(ロゴス)・倫理観(エトス)・情熱(パトス)の三つが必要だという考え方で、いまはロゴスが重視されがちな一方、スタートアップの世界ではパトスの重要性がよく語られています。ロゴスとエトスは時代によって求められる形が変わっていくものだと思いますが、パトスだけはどの時代でも同じようなエネルギーが要求されるのではないかと感じました。

このほか、カルヴァンの予定説が「あらかじめ決められている」ことに対してかえってモチベーションが生まれるという逆説や、ジョン・ロックのタブラ・ラサ(白紙の状態)が、常にゼロから学び直す姿勢――今で言うアンラーン・リラーンの感覚に通じるという指摘も、時代を超えて共感できるものでした。

3. 仮面と素顔、主体的であることを選ぶ

ユングのペルソナの考え方は、示唆に富むものでした。人は誰でも仮面をかぶっているものの、どこまでが仮面でどこからが素顔なのか、その境目がわからなくなってしまうという話です。自分自身も、所属するコミュニティごとにかぶっている仮面が違うと感じることがあります。最も仮面を外せているコミュニティが、自分の本当の素顔に近いのかもしれないと考えると、新しい自分の見え方に気づかされます。周りにいる「いつも自然体だな」と思える人たちを見本にしながら、自分がどこで仮面をかぶり、どこで外しているのかを問い続けたいと感じました。

もう一つ響いたのが、サルトルのアンガージュマンです。世界に偶然は存在せず、すべてを自分のこととして主体的に関わるという考え方ですが、自分自身を振り返ると、外部からの刺激や他人の声援に流されやすい自覚があります。これは三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』で語られていた「選択しない」ことを選んでいるという感覚にも近いものだと思いました。『7つの習慣』の第一の習慣にある「主体的である」ということを、改めて主体的に選択すること自体が、自分にとって次の大きな課題だと感じています。

もう一つ考えさせられたのが、ハンナ・アーレントの悪の陳腐さです。アイヒマン裁判を題材に、悪とは特別な人間が起こす特異なものではなく、システムを無批判に受け入れてしまう普通の人物こそが悪をなしてしまうのだという考え方が紹介されています。いまのシステムに疑問を持たず、それを変えようとする行動力や思考を持たないまま時代が過ぎてしまうと、後から見返せば外側からは完全に「悪」に見えてしまうことがあるのだと思います。倫理観を育てていかないと、自分がいる組織の色にそのまま染まってしまいやすいので、これは自分自身も十分に気をつけなければいけないと感じました。

仮面をずっとかぶっていると自分の素顔がわからなくなる

4. 行動が意思をつくる — 認知的不協和と分業の責任

フェスティンガーの認知的不協和も面白い視点でした。意思が行動を決めるのではなく、行動によって意思が後からつくられていく、つまり人間は自分の行動を後から正当化する生き物だという指摘です。これは自分にも思い当たる節が多く、単なる自分の癖ではなく、ホモサピエンス全般に共通する傾向としてフェスティンガーの時代から語られてきたのだと知ると、こうした一般論として自分を眺め直せること自体が、メタ認知や人文知を学ぶ意味なのだと感じます。アンガージュマンと同じように、「自分がそうなんだ」ではなく「人類みんなが乗っているもの」だと捉え直せれば、この特性にも主体的に向き合えるように思います。

有名なミルグラムの服従実験からは、分業が責任のなすりつけ合いや希薄さを生んでしまうという点が印象的でした。資本主義や産業革命の文脈では、分業は効率化のキーワードとして語られてきましたが、責任を分担することで一人ひとりの責任感まで軽くなってしまうとしたら、倫理観を持って臨まなければ自分の役割の範囲だけしか見えなくなってしまう危うさがあるのだと実感しました。

自分だけのことだと思っていたことが実はホモサピエンスの特徴だったりすることに気づく

5. 挑戦と能力の釣り合い — フローとマネジメント

チクセントミハイのフローについては、本書で紹介されている条件の中でも、「行動に対して即座にフィードバックがある」「挑戦と能力が釣り合っている」「時間感覚が歪む」という三つが特に面白いと感じました。
なかでも「即座のフィードバック」は、ゲーム理論でも重要な役割と位置付けられているものとして、実務的でもあり印象的なキーワードです。
即時フィードバックと挑戦・能力の均衡は、意図的に環境として作ることができるものです。自分自身がフロー状態に入るためだけでなく、チームメンバーに素早くフィードバックを返すことが、周囲の人がフローに入れるマネジメントやチームづくりのコツになるのではないかと思います。

フロー状態のいくつかの特徴は意図的に作り出すことができるのではないか?

6. リーダーシップは文脈と対話に宿る — マキャベリズムと悪魔の代弁者

組織に関するキーコンセプトでは、マキャベリのマキャベリズムが印象に残りました。MBAのリーダー論でも触れた書籍ですが、リーダーシップはコンテキスト依存であるという山口周さんの切り取り方は改めて腑に落ちるものでした。
マキャベリが間違っていたわけではなく、その時代に最適なリーダーシップだったというだけであって、今の自分がどんな環境で仕事をし、生きていくのかによって、求められるリーダーシップの形も変わっていくのだと思います。
この話は、周さんの「コンテキストリーダーシップ」の中で、詳しく語られています。まだ、書評を上げていなかったので後日アップします。

そして、今回一番面白かったのが、ジョン・スチュアート・ミルの悪魔の代弁者です。もともとカトリックの伝統的な役割だった「悪魔の代弁者」。
仕事の中で議論が一周して元の結論に戻ってくると、若い頃は「議論が無駄だった」と感じていました。しかし最近は、批判的な意見に晒された上で生き残った主張ほど、論拠が淘汰され強化されているのだと感じるようになりました。
これは議論がより多様な集団の中で揉まれることで起きるものなので、ダイバーシティやGIとの相性がいい考え方なのだと思います。最近意識的に行っている1on1でも、いろいろな意見に触れるだけで自分の中に反論が思い浮かぶようになりました。これも哲学を学ぶ意味の一つなのだと思います。

悪魔の主張のためにはダイバーシティやGIが効果的

7. 終わりから始まる変化と、積み重ねる強さ

クルト・レヴィンの解凍・混乱・再凍結は、組織を再構築するための考え方として、MBAの組織論でもよく出てくる内容です。「始まりのためには何かが終わらなければならない」という解凍の考え方が特に面白く、何も終わらせずに次のことだけを始めることはできないのだと思います。アンラーンで何かを手放さなければ、次には進めないということなのだと感じました。

マックス・ウェーバーのカリスマについては、組織を支配する方法として①伝統的支配、②カリスマ的支配、③合法的支配の三つがあるという整理の中で、カリスマは単なる人気や生まれ持った性質ではなく、意図的・人工的に作り上げられるものだという捉え方が新鮮でした。周囲から見える行動量の積み重ねが、その人のカリスマ性をつくっていくのではないかと最近感じています。

ロバート・キング・マートンのマタイ効果からは、自分が積み重ねてきたものの上にこそ、次の成功や活動の芽があるのだと考えさせられました。
「巨人の肩に乗る」というよりも、自分の場合は積み重ねてきたIT・AI・ビジネスを携えて生きる、これは過去の自分の肩に乗るというイメージに近いものです。

最後に、タレブの反脆弱性(アンチフラジャイル)は、今回のキーコンセプトの中でもとりわけ面白い概念でした。単に外圧や衝撃に耐えて壊れない「頑強さ」とは違って、反脆弱性は外部からの圧力やストレス、変動にさらされることで、むしろパフォーマンスが高まっていくという性質を指しています。今まで自分の中になかった概念で、失敗しないことや傷つかないことを目指す発想とはまったく別の軸で、変化や逆境そのものを力に変えていく在り方があるのだと知り、組織論として非常に興味深く読みました。
単に打たれ強い・失敗の回数が多いというだけでなく、その打撃や失敗によって次のパフォーマンスが底上げされていくという点が、頑強性との決定的な違いなのだと理解しています。これは以前読んだ帚木蓬生さんの『ネガティブ・ケイパビリティ』にも通じる考え方だと感じています。

反脆弱性とネガティブケイパビリティは逆境でパフォーマンスをあげるキーワード

まとめ

『武器になる哲学』を通して、哲学者たちの思想は歴史の中の知識としてではなく、目の前の意思決定や人間関係を見つめ直すための道具として使えるのだと実感しました。
1on1でのフィードバックやチームづくりの場面でも、フローや悪魔の代弁者といった概念を意識しながら、自分だけでなく周囲の人が主体的に力を発揮できる環境をつくっていきたいと思います。

次回は3章(社会)、4章(思考)を紹介します。

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