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 小林多喜二『独房』佐々木広治の読書随想

 共産主義の運動をしていたため投獄され一年、ようよう出られた田口の話、という体の作品。連作短篇集というのか連作掌篇集というのか。
 「ズロースを忘れない娘さん」「アパアト住い」「長い欧州航路」「せき、くさめ、屁」等、挿話ごとにつけられた題名からも分かりそうなものだが、窓から見える干場にむかう娘の尻を見ようとするが、いつもしっかりズロースを履いているだとか、収監はアパアト住いだとか長い欧州航路だと嘯いたり、せき、くさめ、屁に個性をもたせるだとか、滑稽噺と言えなくもない。ただし、そういうことをできる者は、共産主義の活動家のみらしい。自負や誇りをもって語っているのだろう。自己顕示欲、の気味があるように思われる。
 ドストエフスキーの『死の家の記録』について「俺も昔その本を退屈しいしい読んだ記憶がある。成る程、人道主義者には此処はあんなにも悲痛で、陰惨で、救いのないものに見えるかも知れないが未来を決して見失うことのないプロレタリアートは何処にいようが「朗か」である。のん気に鼻唄さえうたっている。」私は首を傾げる。ドストエフスキーは人道主義者だろうか。『死の家の記録』は悲痛だとか陰惨だとか退屈だろうか。私はまったくそう思わないのだが。
 これは、明記してある通り、一年ほど独房にいて、いくらか変調をきたした人の放言だと私は読む。多喜二の感想ではなく、あくまでも多喜二の創作した人物の独白、問わず語りだろうと解する。いささか常軌を逸しているさまを。共産主義活動においての問題点を示唆したものではないか。「泣いてはいけないそうだ。」「惚れてはならないそうだ。」「もの想いにふけってはいけないそうだ。」と田口は思いつつ、母を思い涙してしまうが。それはどうやら共産主義活動家の間での了解らしい。多喜二は共産主義に身を投じつつも、称賛するばかりでなく、よくするためにおかしなところはおかしいと、それとなく指摘されていたのだろうと、私は推察するもの。
 小林多喜二のユーモア、多彩な一面がありありと見える好篇。

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