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助けて!note記事が頭に入ってこない問題。日本語をAIに翻訳してもらう人がここにいます。

こんにちは。オアハカ在住のさるです。

最近、noteを読んでいて、自分の読解力に少し不安になることが増えた。

文章は綺麗。

よどみなく流れて、構成も整っている。
言葉選びも丁寧で、読む人への配慮も感じる。

なのに。

最後まで読んだあと、

「あれ? 結局何を伝えたかったんだろう?」

そんな疑問が残る。

いや、待って。

もしかして、バカすぎて私の理解力が足りないだけなのか?

私には読み取れないほど、崇高なことを書いているのかもしれない。

そんな不安まで出てきた。笑

そこで私は、日本語なのに全文をコピーしてAIに聞くという、ちょっとおかしい行動に出た。

「この文章、なんとなく理解できる。でも、よくわからない。理由を教えて」

すると、AIの説明が妙に腑に落ちた。
っていうか、AIに頼りすぎ。笑

整いすぎた文章は、情報としては正しい。
でも、正しい情報が並ぶだけではリズムが単調になりがち。
読む時に必要な「誰が書いたのか」という部分が薄くなることがあるとのこと。

私、note記事じゃなくてウィキ先生読んでた?って脳がバグったのかもしれない。 笑

日本語は頭に入ってくる。でも、さらーっと右から左へ流れていく。

文章というよりも、言葉が「記号すぎ」て、機械同士がデータをやり取りしているような感覚に近い。

私が読みたいものじゃない。

書いた人の情緒もツッコミもボケもなんもない綺麗な文章。

いや、ツッコミとボケはいらないか。笑

あと、私には同じくらい理解できない記事がある。

「魔法の呪文」みたいな横文字が大量に並んでいる文章。

なんとなく凄そう。

専門的に見える。

でも、読んでいる側(私だけかもしれん)にはまったく意味が入ってこない。

こちらも、AIに翻訳、要約してもらう。笑

すると、1500文字くらい書いてある内容が、日本語で200文字くらいで済んでいたりする。笑

実は、前から感じていることだけど。

難しい言葉を使うこと自体が悪いわけじゃない。
同業者やその筋の人?なら、専門用語が必要な文章もある。

でも、読者に伝えるためではなく「自分は詳しい人です!」と見せるためだけの言葉になると、逆に何も届かなくなると思う。

記事引用ってさ…人の発見を借りるなら、自分の視点を入れよう

もうひとつnoteを読んで気になることがある。

誰かが見つけた情報。

誰かが書いた話。

誰かが発信した考え。

読んで影響されて「創作意欲」が湧くことはいいことだと思っている。

むしろ、note界隈において記事投稿の活性化になる。

「ネタみっけ!記事書いちゃお」

となる気持ちはわかる。

私もそうだ。

そして、元記事は基本的に紹介するようにしている。

それは、ある意味暗黙ルールだとも思うし、最終的にはクリエイター同士の交流にもなると思っている。

▼例えばこれは、元記事のクリエイターさんも友達もみんな巻き込んでマイクロフォーサーズOM-5への愛が駄々洩れ記事になった。


誰かの記事に影響を受けたなら。

「自分はそこから何を感じたのか」

を書かないと、ただ情報を移動させただけになる。

もし、自分の視点を加えずに情報だけを書き換えるだけなら、その人がその記事を書く意味って何だろう?

同じテーマでも、記事の違いって、書く人の経験だと思う、その部分が欠如している記事は、経験談があまりにも薄くない?(失礼)

インスタント味噌汁を3倍くらいに薄めている感じ。

それ、もうお湯だろ?
(でも、白湯が好きな人もいるよね。)

逆に、具材をどんどん放り込み、濃厚で大量の煮込み料理みたいになっている記事は、味わい深いと感じることが多い(私だけ?)
人によっては胸焼けするかも。笑

しかし、あまりに「当たり障りない」文章は、右から左へ流れて、読後。

「え? 結局なんだったの?」

という私の魔の無限ループが始まる。

そして、その無限ループを終わらせるために、またコピペしてAIに聞く私。笑

私の頭に入りにくいのに、AIはあっさり要約してくれる。

それって、AIは情報処理として読むから?
人間は、文章を意味や体験として読むんだと思うんだよね。

綺麗な文章だから頭に入らないのではない。
その人自身が見えない文章だから頭に残らないのだと思っている。

AI時代だからこそ、書く人のクセが好まれる

結局、AIが出てきてから、何度も言われていることだけど。

今はAIを使えば、綺麗な文章はいくらでも作れる。情報だって盛り込める。

もちろん、AIを使うこと自体が悪いわけではない。

私も使っている。

問題は、AIを使った結果、その人自身まで消えてしまうことだと思う。

今の時代、バーチャルの世界なら私たちは、なんにでもなれる。

なんなら、難しい専門用語をガッツリ入れ込んできて、

「その筋のことをよく知っている人」

みたいな顔もできる。

でも、やっぱりAIがどれだけすごくても。

私は、その記事ならウィキ先生でよくない?ってなる。(失礼)

最終目的地の読者に「面白かった」「わかるー」「何か気になる」と思ってもらえなかったら意味がないと思う。

人間には、まだ微々たる野生の嗅覚が残っている。(と、思いたい。笑)

「あれ? この文章、AIっぽいな?」

だから、ちょっとした違和感も感じ取る。

むしろ、AIを使う人ほどAIっぽさに気づいてしまう時代。

だからこそ、AIは補佐的に使って、自分が書きたいものを、自分の文体で世に送り出すのが今の上手なAI利用法だと思う。

……なんて、ちょっと偉そうなことを書いたけど。

それが、私が「また読みたい」と思う記事の共通点なんじゃないかと思う。

▼いまのAIって、平成のMac導入期と同じ歴史が繰り返されているかも?


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