私が見ているのは、肩書ではなく「その人の本質」
こんにちは、オアハカ在住のさるです。
今日は、ちょっとした「宣言」のような記事です。
私は、noteの記事を下書きで2〜3本まとめて書くタイプなんです。
そのたびに、AIを編集者のような相棒として使っています。
すると、ある日、AIがこんなことを言ってきました。
「さるさんの記事って、別のテーマを書いているようで、実は最後はいつも同じところに着地しているんですよ。」
え? なにそれ?
実は、このAIの発言には心当たりがあった。
前に、相互フォロワーのめのさんが
「ChatGPTに1年間観察され続けた結果」という記事を書いていて、
「そうそうAIって、そういうことするよね。笑」と思ったばかりだったんです。
AIを相棒として使い続けていると、過去の会話や記事から、その人の「いつもの癖」まで見えてくることがあるらしい。
実は、うちのチャッピーも、過去の記事を引っ張り出して、同じようなことを言い出す。
と、いうか定期的に忘れた頃に言ってくる。笑
「いままでの記事から、あなたが惹かれているのは、その人の本質が、言葉だけではなく、行動から伝わってくる瞬間ではないでしょうか。」
その一文を読んで「あ、そうかも!良くみてるねアンタ!」と思った。
そう考えると、これまでの記事が全部つながるんです、とAIが言ってきた。
職人さんを追いかける。
踊り手の表情を撮る。
ゲラゲッツァで村の文化を書く。
機材より写真そのものを語る。
AIより書き手を語る。
書いてきた記事は、表面上は民芸品、踊り、写真、note記事と、テーマはバラバラに見える。
最近書いたAIの記事も、結局は同じ話だった。どれだけ綺麗な文章でも、書いた人が見えない文章には惹かれない。
その人が何を感じて、何を伝えたかったのか。
私は、そこを読みたいらしい。
そうか…だから、職人さんの工房へ何度も通う。
だから、祭りになると朝から晩まで写真を撮る。
だから、文章を書く人の「その人らしさ」が気になる。
私が見ているのは、立派な肩書きよりも、その人が何を大切にして、何を積み重ねてきたのか。
偏愛も強いから何度でも。笑
そして、昔から肩書ではなく、言葉と行動が一致している人に惹かれる。
これはガチで。
あと、自分で自分はこんな人なんです!ってアピール(圧)されてもなっ。笑
もちろん、私はこれからもオアハカの情報も書き続けると思う。
でも、書いているテーマはいつも同じところにたどり着く。
オアハカで生きる人たち。伝統を受け継ぎ、未来につなげようとしている人たちが、オアハカにはたくさんいる。
その姿を見るたびに、私まで元気をもらっていた。そんな人たちの姿を追っていきたい。
人が、自分の大切にしているものと向き合っている姿を書く。
それが、20年オアハカで人を見てきた私が、これからも書いていきたいこと。
……とは言え。
そういう綺麗なことを、綺麗に崇高なままに書かないのが私。(こら)
観察して、反応して、ツッコんで、書く人。
たぶん、これからも脱線して、やらかして、笑って、ツッコミを入れながら「さる節」全開で書くと思う。
ちなみに、この「さる節」。
20年前のブログをAIに分析させた。
暇なの?笑
私は昔から、短い文章の羅列が癖らしい。
今でこそ、スマホで読む人が多いので、「短い文章のほうが読みやすい」と言われますが。
私、20年前からです。
時代を先取りしてるスゲー! と思ったけど。
たぶん違う。笑
昔のブログを読み返すと、
「バスこねー!!!」
とか書いてある。笑
ただ、目の前で起きたことに、
「なんでだよ???怒」
と反応しているだけ。
たぶん、今の「さる節」も、そこから大して変わっていない。
目の前のこと、体験したことに
自分が感じたことを直感で言葉にする。
そこに、意味があるわけでもなく本当に「ただの実況報告」笑。
でも「バスこねー!!!」を、20年かけて少し長い文章にできるようになった。
noteで成立しているのは、その「自分が感じたこと」をなんでそう感じたのか?掘り下げていくからかもしれない。笑
これからも、テーマの根底は変わらない。
情報を伝えるだけではなく、その背景にいる人の姿まで届けたい。
それが、ちょっと自分のことが見えてきた「さる。オアハカの人」です。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
▼最近、自分の中にあった「しこり」を文字にしたら、もやもやが言語化できたシリーズ。
今回の記事は、いつの間にか3連作になっていました。
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