見出し画像

未来予測をする新しい意義

僕は未来予測系のネット記事に気持ちを揺さぶられるのが嫌いで、冷めた視点で受け取るようにしている。

わかりやすい例は「人間の仕事は機械に奪われるからもっと高度なスキルを身に付ける必要がある」といった類のもので、結局のところセミナーなどに誘導される流れになっているもの。

仕事が奪われる傾向は間違っていないと思うが、産業革命の頃からそう言われ続けてきて、21世紀になってからも人間の労働時間は一向に減る気配が見えないなか、そんなことを言われてもピンとこない。

そう思っていたのだけれど、内田樹の音声配信を聴いていたところ少し考え方が変わってきた。面白い考え方だと思ったのでここで書かせてもらう。

内田樹が言うには、二つの世界大戦を経験した人類は、1940年代頃から「世界が滅亡する」系の小説を大量に書くようになったそうだ。そしてそれらは小説だけでなく映画化もされて世間に知られていく。

代表的な作品はオルダス・ハクスリーの「素晴らしき新世界」とジョージ・オーウェルの「1984年」で、当時の時代背景から予測し得る最悪の結末を、作家が持つ想像力を最大限に爆発させて書かれたものだ。

これらの作品は当時から物凄くたくさん書かれているが、特にアングロサクソン系のアメリカ人はこの手の話が大好きらしい。(日本では小松左京の「日本沈没」や村上龍の「愛と幻想のファシズム」、島田雅彦の「パンとサーカス」がせいぜいで、日本人はこれらの世界滅亡系小説を評価しない傾向にあるとのこと。)

こういったディストピア小説を人類はたくさん書いて、たくさん映画化して、たくさん見続けてきたことによって、多く人が「こういう世界になってほしくない」と思う様になった。そのおかげで第二次世界大戦以降、なんとか核兵器が使われずに済んでいるというのだ。

未来予測というのは、そういう未来が起こらないようにするために行われる側面があり、起こって欲しくない未来を予測しているから、予測が外れたことによってようやく予測した者の願いがかなうことになる。(しかし予測を外したと言われてしまうジレンマがある)

つまり、僕が嫌っていた「人間の仕事が機械に奪われる」系のネット記事も、たくさん書かれて吹聴され続ければ、人間の仕事は結局のところ残ることになる。

実はこの手のネット記事も「人間の仕事が機械に奪われてほしくない」という人たちのディストピア小説的な役割を果たしていたのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!