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パラレルワールドの私と出会った

前の日、久しぶりにジムでの筋トレを再開し、熟睡して目覚めすっきりの私は、よし、紅葉が終わらないうちに秋散歩を楽しもう、と、電車に乗ってちょっと遠くの大きな公園に行った。

大きな池の周り一帯が緑で囲まれている公園だった。まるで井之頭公園みたいな。でもハイソというより、地元に愛されるゆったり公園といった雰囲気。連休最後の秋晴れで、老若男女がどっと繰り出し、賑やかだった。

小さな池もいくつも
広い敷地内をぐるっと周遊。周りには寺や神社も。
なんかヘルシンキ郊外の森みたい…

池の周りに、針葉樹っぽいのに紅葉していて、しかも、大きな丸い実がいっぱいついている木がたくさんあり、なにこれ?今人気のメタセコイア?と思ったら、「ラクウショウ」とかいう木だそうで。そして周りには、メタセコイアも混在し、実がついていなかったら、ほとんど見分けがつかない…

なにこれー!落ちてきたらこわー!
左メタセコイアと右ラクウショウ
見分け方の説明があった

今日は、紅葉を見ようと、気合を入れてきて、服装も紅葉に溶け込むようなカラーにした。

こんな感じ

また、ずっとやりたかった賞味期限切れインスタントキャンプ飯の食レポも遂行した。
よろしければ:賞味期限切れ備蓄食を安全に美味しく消費 その3|風ひかる

1年前に賞味期限切れのキャンプ飯

でも実は、一年前に一度だけ会った人と、また会いたい、と思って、来たのだった。


ちょうど一年前、ある公園の秋薔薇フェスティバル会場で、薔薇を愛でた後、薔薇アイスを買い、座って一人でぼーっと薔薇園を眺めていたときに、声をかけてきた女性がいた。

「あのー、すみません、お一人でいらしたのですか?」みたいなかんじで。振り返ると、とても小奇麗な年配っぽい女性が一人、椅子に腰かけて微笑んでいた。

はい、そうです。と、答えると、「とても素敵だと思って、つい声をかけてしまいました。私は一人で行動することが苦手で、今日も、すごく思い切って一人でこちらに来たのですが、あなたはお一人でとても堂々とされていて、うらやましいと思ったんです。」

いやいや!!自分、家族いないし、協調性もないんで、いつも一人なんですよ、はい…孤独な日常なんですよ。と返すと、その女性は、少し、ご自身の身の上を話された。

ずっと子供達と家族の面倒を見てきて、仕事も働きづくめで、自分の時間を持てなかった。だから、趣味とか、遊びとか、したことがない。今、やっと子供たちが独り立ちしたのに、自分は、子離れできず、いつも子供たちに引っ付いている。それが、情けない。何とか理由を作って、外出したいと思っていたら、今度は体調を崩して、動きづらくなってしまった、それが悔しい、と。

「自分、もう、70歳超えていて。持病も持っているし、もう先が長くないと言うか、時間が限られているから、なんとか、自分だけの楽しみというものを、持ちたいのです。ちょうど、あなたのような人を、お手本にさせていただけたらと思っているのですが…」うわ、すごい買いかぶられた…

自分は、家庭持ちの方とは、たぶん見えている世界が全然違うし、時間の使い方も違うので、話が合わないし、何かにご一緒しましょうと言われても、結局あちらの家族を理由に、キャンセルになることも多い。だから、一緒に行動するのは苦手…

でも、なんだかこの女性には、とても、差し迫った、真摯なものを感じてしまった。それにこの方のすごい半生と、勝手気ままに過ごす自分自身の軽さを比べてしまい。なので、今度、ケーブルカーでも登れる高尾山に、一緒に行きましょうか、という約束をした。そしてLINE交換をした。

しかし結局、家族との都合が合わないからということで、高尾山行は取りやめになり、その後、音信不通になった。もう、忘れられたかな、と思っていた。自分も、年が明けての退職・足の手術・母の入院、とイベントが重なり、完全に忘れていた。

そうしたら夏ごろ、「大病を患って、もう、山には登れなくなってしまいました。とても残念です。」というメッセージが来た。他人事とは思えなかった…そこで、お元気になったら、お住まいの近くで、ご一緒しませんか、確か、紅葉の名所がありましたよね、そことかいかがでしょう。と、返した。いいですね、では、その頃にご連絡します。…というやりとりの後、また、音信不通。

その場所が、この公園だった。結局連絡は来ず、かといってこちらから誘うのもどうかな、体調のことも分からないし、と思って、放置。

で、そろそろ終わる紅葉を見たい、今まで行ったことない場所で見たい、そういえばこの公園が紅葉の名所だったよね、と思いつき、結局、ここに来ることにした。それにこの近くには、あの人が住んでいる…もし、偶然でも会えたらどうかしら、なんて思いつつ。


そんな偶然があるはずもなく、一人で公園を一周し、池のほとりのベンチに座り、賞味期限の切れたインスタントキャンプ飯に熱湯を注ぎ、蒸れるのを待つ。その間、連絡しようかどうしようかと迷った挙句、さりげなく、メッセージを送った。お久しぶりです、今、あの公園で紅葉とキャンプ飯を楽しんでいます、お元気かと思ってメールしました、もしお元気なら、何よりです!みたいな。

そうしたら、瞬時に返信が来た。今から向かいます、待っていてくれませんか、と。

お互い、一年前に一度会ったっきりで、顔もほとんど覚えていなかったので、すれ違いがあったが、とにかく、なんとか、再会できた。「風さん?風さんですよね?」「はい、お久しぶりです。お元気そうで、良かったです!」

もしかしたら、歩くのも辛い状態ではと思っていたので、元気に駆け寄ってきたその方を見て、ほっとした。自転車を漕いできたという。感染防止のためにマスクをしていた。「呼吸器系の病気を持っていて。しかも今、孫がインフルにかかってしまって、家の中でも自分を隔離しています。だから食事も自分の部屋でお湯をかけるだけのインスタント。ちょうど今日は外に出たいと思っていて…それのお味はいかがですか?」その方は、私が食べていたキャンプ飯を指して言った。偶然ですね…どちらもインスタントとは。


一緒に公園を散歩しながら、いろいろ話した。私の職業が教師で、この春退職したことを伝えると、その方は、詳しく自分のことを語り始めた…

・・・自分も実は、教師になる予定だった。しかし教職に就く直前に結婚することになり、子供を産んだ。そして、その結婚が失敗だったと気づいたときには遅く、家庭を顧みない夫の代わりに働きながら、4人の子供を必死で育てた。義父母の面倒さえも丸投げされた。ようやく末の子供が成人したときに、離婚して、今は、末の子の家族と一緒に暮らしている、住ませてもらっているので、できる限り家事を担当している、とのこと。

要は、苦難続きの人生だったとのこと。

にもかかわらず、自分の行動決断を家族のせいにするような言い方を、一切しない。ちゃんと、「自分はそうすべきだと思った(思う)から、した(する)」と言う。また「自分はこうしたい」と言う。

この方は、主体的な人なんだな。自分の人生は自分が舵取り役になるべきだと考え、常に正しい行動を起こそうとされている。そういう人には共感できる。

そうすると、先ほど聞いたばかりの、この方の半生も、自分ごととして、想像できるようになる。

もしかしたら、私だって、ダメな結婚をしていたかもしれない。実際、だめんずウォーカーだったし(死語)。

もしかしたら、私だって、子供がいたら、配偶者が逃げても、自分ひとりで必死に育てたかもしれない。ダメな配偶者の親も、ついでに面倒見たかもしれない。使命感や責任感が強いから。

もしかしたら、子供が成人するまではと、ダメな配偶者と縁を切らずにいたかもしれない。ダメな親でもいたほうが子供のためにいいかもしれないと思って。

私だって、自分の子供の家族と同居したら、できる限りのことをしたいと思うかもしれない、きっと。だって必死で育てた自分の子だもの。

もしかしたら、こんなふうに家族のために全力で自分の時間を使い切って、趣味とか娯楽とかを味わう気力も、なかったかもしれない。ピアノも自転車も海外旅行も、何もなし。完璧主義だから。

そして今頃、第二の人生を迎え、どうしたらいいかと、これも精いっぱい、模索しているかもしれない。一人で身軽に行動している女性に、思い切って話しかけたりして。

おごっていただいた焼き団子

しばし、この方とひとときを過ごし、じゃあ、また、お会いしましょう、と、笑顔で別れた後、電車の中で、こんなふうに、今の自分とは違う世界の、もうひとりの自分のことを、いろいろと空想してしまう自分がいた。

今まで苦手だった、家庭を持つ人の人生に、こんなに感情移入してしまうのは、初めてで、驚いた。自分とこの方とは、似ている部分や、共感できる部分が、たくさんあるような気がする。まるで、違う人生を歩む自分。

もう一人の自分だったかもしれない、この方の今後の幸運を、心から願うし、この方とのご縁も、大切にしていきたい、と思った。同時に、今、自分は日々、ちゃんと自分の人生の舵取りをしているだろうか、と、自問した。














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