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七月三十二日┃風まかせ文芸部

その日は気温が三十六度まで上がる酷暑の日だった。

図書館の冷えた空気に身を包み、読書する。

ふと隣に座る作務衣姿の人は姿勢が良くて、私の視線が度々揺れる。

ノートを開き、ペンを走らせる。

ただ、それだけの姿が書を書くように美しい。

ペンは三本、縦にならび、ペンを持ち替える姿は筆を取るようだった。

その書く字を見てみたくて、そっと視線を移す。

七月三十二日

達筆な字は美しかった。

しかし、日付を間違えている。

今日は三十一日で、七月最後の日だ。

わざわざ言うほどのことではないが、気にはなった。

やがてその人は席を立ち、姿が見えなくなった。

スマホの通知が振動し、メールをチェックする。

そして、目が止まる。

スマホのホーム画面に映る今日の日付は三十一日ではなかった。

七月三十二日

図書館のカレンダーにも目を向ける。

七月三十一日の隣に、見たことのない「三十二日」が並んでいた。

私は外へ出た。

今まで見たことのない、七月三十二日の世界へ。

少し離れたところで、作務衣姿の人の後ろ姿を見つける。

反射的にその姿を追う。

背筋を伸ばし、歩く姿は真夏の中でも涼やかに映る。

どこへ行くのか、何をしに行くのか、その背中に惹きつけられた。

蝉の声が木々の中でざわめく。

強い陽射しを受けて、まるで蜃気楼の中を歩くような感覚に襲われる。

やがて古い寺が姿を現した。

山門の前に立った時、作務衣姿の人はお辞儀していた。

私は慌てて立ち止まり、お辞儀を返す。

「このような暑い日のご参拝、ご苦労様でございます」

その丁寧な言葉に恐縮する。

後を付けていたと分かっていたのだろうか。

「よろしければ冷たいお茶をお持ちしますので、こちらでお待ちください」

その人に言われるまま境内の椅子に腰掛ける。

境内は広くはないが、掃除の行き届いた綺麗な所だった。

カランと氷の揺れる音に顔を上げる。

小さなお盆に冷たい緑茶が置かれた。

お礼を言うと、お茶を口に運ぶ。

冷たいはずなのに、生ぬるかった。

「こちらへは今日が初めてですか?」

いただいたお茶を何も言えないまま、お盆に置く。

私は小さく「はい」と答える。

作務衣姿の人は微笑む。

「そうですか。ここにはそういう方がたまに来られます」

「しかし夕方には帰られた方がよろしいでしょう」

まだお昼を回った頃なのに、夕方まで私がいると思われているのだろうか。

それとも居場所のない人だと思われているのだろうか。

何気なく腕時計を見る。

四時七分。

私は目を疑った。

図書館を出てから、数分しか歩いていないはずだった。

陽光は黄昏の空へと姿を変えた。

蝉の声はヒグラシの声になり、心細い気持ちを誘うようだった。

「さあ、七月三十二日は終わりましたよ」

その声はふいにザッと吹いた強風の中に消えた。

目を開けると、夕日もヒグラシの声もなかった。

真っ暗な境内がぼんやりと浮かぶ。

鬱蒼と草が生い茂り、山門の扉は壊れている。

隣にいた作務衣姿の人はおらず、手元には板切れの上に置かれた古いコップ。

私は慌てて立ち上がる。

雑草をかき分けるように、山門を出て振り返る。

古びた寺は廃屋のように、あちこちが崩れていた。

こんなところに入って、私は何を飲んだのか。

背中が震える。

スマホを開く。

ホーム画面に映る日付。

七月三十一日

私の見た三十二日はなんだったのか。

作務衣姿の人は何者だったのか。

しかし分からない。その人は男だったのだろうか。女だったのだろうか。

どんな顔をしていたろうか。

口角を上げて笑うところを見たのに、フォーカスをかけたように顔が見えない。

誘われたのだろうか。

図書館であの美しい所作に。

引き込まれたのだろうか。

あの達筆な字で書かれたー

七月三十二日。


あれから、数年経っても見ることはない。

二度と迎えたくはない日だと、今でも思う。

だけれど、時々思い出す。

あの背筋の伸びた姿と、なめらかに筆を運ぶ作務衣姿を。

美しいものに囚われた七月三十二日が――

今年も誰かのもとへやってくる。


お読みいただいて、ありがとうございました。本作は風まかせ文芸部さんの企画に参加しております。


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