第3回:「デブは本当は病気だ〜私が辿り着いた答え〜」 (第5章)
私がデブを辞めれたきっかけはコカコーラとのお別れだった。それまで沖縄の実家にはコカコーラがパックで冷蔵庫に入っている環境だった。一人暮らしをきっかけにそれをきっぱり辞めた。コーラだけじゃない。コンビニの紙パックの甘いミルクティーや100円のもも水やレモン水も辞めた。とにかく飲んで脳が「甘い」と感じる飲み物を摂取するのをやめたのだ。代わりに緑茶やノンシュガーの紅茶を水筒に入れて持ち運んだ。これが私の飲み物、それ以外を飲んだ瞬間に体が風船のように膨らみ破裂するイメージを徹底的に植え付けた。これだけで1日に飲み物から取っていた糖質がご飯半膳分近く減ることになった。
普段の炭水化物の量も徹底した。昼以外取らなくなった。朝はコンビニでウインナーかゆで卵だけ。昼はおにぎり1つと糖質が少ない春雨スープ。夜はささみと白菜と豆腐を茹でてポン酢で食べることをひたすら続けた。2ヶ月で体重が大幅に落ちた。(56キロ→46キロ)
しかし若い時は健康でいるより、痩せて可愛いと言われることが何よりも価値があると勘違いしていた。500gでも増えたら強迫観念に襲われた。学生時代に「白豚」と呼ばれた記憶や、太っていることで告白を拒絶されたトラウマたちが一気に襲いかかってきた。痩せたら本当に人生は変わったことに味をしめた私は、500gの増減でさえ容赦しなかった。せっかく食べた夕飯を吐き戻すことを繰り返し、ダイエットを始めて3ヶ月で私は過食症になっていた。デブじゃなくなっても、私は精神的に病んでいた。

痩せることで人生が変わったのは事実だった。でも同時に、私は別の地獄に落ちていた。別の地獄とは、痩せることで急に高まった女性としての自尊心を保つために、健康を犠牲にし続けることだった。デブだった頃に積み重なった「人権の剥奪」が、今度は承認欲求の地獄として私を縛り始めていたのだ。
そしてある時気づいた。自分の顔色が悪く、やつれていることを友人に真剣に心配された。そしてやっと気づくことができた。私が本当に戦うべき相手は、自分の体じゃなかった。
多くの差別者たちはデブの人生の背景を想像しようともしない。彼らにとってデブは蔑みの対象でしかない。デブたちが何を犠牲にそうなってきたのか、社会が私たちに何を提供して何を奪っているか、大きな視点で物事を見ることができない。
だからもしこの記事を読んでいるあなたが、食べることに悩んだり体が無気力だったり、苦しんでいるなら、まず伝えたいことがある。あなたは悪くない。社会が作り出した架空の女性像が、あなたを追い込んだのだ。あなたを病気にさせたのは意志の弱さじゃなく、構造だったと気づいてほしい。
今もしあなたが太っていたとしても、私は決してあなたの人生を批判するばかの一人にはならない。むしろ一人でずっと誰にも悩みを相談できず、自分の体を犠牲にすることで社会のストレスを一人で受けてきたあなたを立派だと思う。
この記事を読み終わる頃、あなた自身をもっと大事に、自分の心の声や体の声にもっと耳を傾けてほしい。
30歳を過ぎて、社会が私をもう「若い」と呼ばなくなり、一般男性から女性としての人気に陰りが出てくる頃、私はやっと男性が一方的に女性に押し付けてきた幻想から解放された。
日本は女性が若ければ若いほど良いというのが正義というロリコン文化だ。女性が仕事で期待されず、生理や女性の体を考慮に入れない経済社会が、架空の女性像を私たちに押し付けてくる。ルッキズムの妄想で作られる社会は美人はイージー、ブスは努力3倍求めらる。(私はもちろん後者で苦労した。)痩せることで得られる「優しくされる経験」は、その構造が作り出した幻想だった。
でもその幻想から解放された時、私は初めて「自分のために食べる」ことを選べるようになった。
体を罰するためじゃなく、体を慈しむための食事。それは地味で、派手さのないものだった。
まず毎月の生理で失う血の為に、血を作ることから始めた。鉄分を意識して肉を食べ始め、鉄分のサプリも取るようになった。過酷なダイエットやストレスで増えた白髪は海藻、黒ゴマ、黒豆茶を食事に取り入れることによって少しずつ緩和していった。脳にいいと言われる青魚の油を摂りたくて、鯖も献立の常連にした。(塩鯖、鯖味噌、唐揚げなど)
味噌汁には野菜、わかめ、卵、豆腐といったタンパク質とミネラルをたっぷり入れてボリュームを出した。
副菜には胃腸に良い野菜や食物繊維を意識した。(キノコ炒めや小松菜のお浸しなど炭水化物を減らすのではなく、炭水化物以外のメニューに力を入れる、という発想の転換だった。
そして砂糖入りの飲み物は、友人や家族との祝い事の時だけと決めた。クリスマス、お正月、そういう特別な日だけ。それ以外は緑茶かノンシュガーの紅茶。それだけで体は静かに変わっていった。

そうすることで小さい時に感動した瓶コーラとの思い出も大事にできる気がした。
そして沖縄時代に食べていた大量のポテトチップスやドーナツ、甘いもの、そういうものは日常的に取らなくなった。お土産でいただいたときだけはありがたくいただく。(食べ物に罪は無い!)
どうしても食べたい時は自分で作る。できれば米粉を使い、砂糖の代わりに蜂蜜を使う。
もっとカロリーを抑えたい時は豆腐やオートミールを使う。それだけでお菓子を食べる罪悪感が消え、同時に家族にも健康でヘルシーなおやつを食べさせることができる。何事も多くの食材から違う栄養素を補完する。それが今の私の食の哲学だ。
思い返せば、もし学生時代の貧困世帯に青魚や新鮮な野菜や肉が届けられていたら、あの子たちはヤンキーにならなかったかもしれない。栄養が足りないから頭が回らない。栄養が足りないから食べ物と向き合えず、インスタントの食品を摂取する負のサイクルの中にいる。栄養が足りないからまともな判断ができず、安易に手に入る酒に逃げ、理性的な思考から遠ざかる。
ヤンキーも、不遇の子供時代を生きた私も、肥満や糖尿に苦しむ大人たちも、みんな栄養が足りないから病気になっていた。ただ、それだけだったのだ。
栄養学が社会や教育の場で広がり、公共のサービスが充実して多くの人々に栄養や知識が行き渡るようになれば、子供たちの将来も明るい。女性に一方的に向けられた幻想によって自分の体を犠牲にする女性たちも減ることだろう。男性たちは酒より栄養のあるフルーツのスムージーを彼女とストローをさして飲む、そんなトロピカルでロマンチックな時間も増えるだろう。
デブだった私は病気だった。身体的にも、精神的にも。でも逆に言えば、体を健康にしてあげることで、私たちが思っている以上に多くの人が救われる。それだけは確かだ。
そしてこれだけは覚えておいてほしい。あなたが今、自分の体を嫌いなら、それはあなたのせいじゃない。社会があなたにそう思わせたのだ。
デブと呼ばれた私が、過食症になった私が、男性の幻想に振り回された私が、今こうして自分の体と和解できているなら、あなたにもできる。
体を罰するのをやめて、体に語りかけてみてほしい。「今日も生きてくれてありがとう」と。
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