見出し画像

【歴史編】信長はなぜ、既存のルールに縛られない発想ができたのか??(2)

前回の記事では、信長が他の大名たちと違い、強烈な危機感と領土拡大という原動力から「天下布武」という革命的な思想を抱いたことを考察しました。

第2回では、信長の思想をさらに深く理解するため、同時代を生きた他の大名たちが何をゴールとしていたかを比較していきます。


大名たちが見ていた世界と信長が見ていた世界

当時の有力大名たちが目指していた世界と比較すると、信長の思想の独自性が際立ちます。

  • 今川義元・武田信玄(旧秩序の再構築) 今川義元は、室町幕府の旧守護として、また武田信玄は名門の家柄として、いずれも既存の権威を尊重し、その中で自らの地位を確立することを目指していました。彼らのゴールは、将軍家を補佐し、安定した武家社会を築くことであり、信長のような「旧体制の完全破壊」という発想はなかったようです。

  • 浅井長政・朝倉義景(国衆としての独立維持) 信長と同時代を駆け抜けた浅井長政は、長年の主家であった六角氏を倒し、近江一国の独立を勝ち取りました。また、越前の朝倉義景も、将軍家の要請を断ってでも、自国の安定を優先しました。彼らのゴールは、あくまで「自分たちの国」の平和と独立を守ることにありました。彼らには、信長が抱いたような「日本全体を統一する」という壮大なビジョンはなかったのです。

  • 上杉謙信(「義」を貫く) 上杉謙信は、神仏への信仰心が篤く、足利将軍家や関東管領という古い秩序を再興する「義戦」にその生涯を捧げました。彼は、自らの領土拡大よりも、正当な権威を立て、世の乱れを正すことをゴールとしていたようです。

  • 毛利元就(巧みな外交戦略) 西国に勢力を築いた毛利元就は、天下統一を目指すというよりは、大内氏や尼子氏といった強敵との間で、巧みな外交戦略と合従連衡を駆使して勢力を拡大しました。彼のゴールは、西国の支配権を確立することであり、信長のような「ルールそのものを変える」という発想は持っていませんでした。

これらの大名たちが、それぞれ「将軍の補佐」「国の独立」「義の実現」「地域の安定」といった、既存の枠組みの中でのゴールを目指していたのに対し、信長はそうした枠組みそのものを破壊しようとしました
これが、彼と他の大名たちとの決定的な違いだったように思えます。


こうして比較してみると、信長だけが、他の大名とは全く異なるモノの見方と判断基準をもっていたことがわかります。

では、この革命的な思想は、信長の具体的な行動にどのように結びついていったのでしょうか?

次回は、比叡山延暦寺の焼き討ち、将軍家の追放、朝鮮出兵構想、そして南蛮人との交流目的という3つの事例を通して、信長の思想がどのような行動として結実していったのかを考察します。


【次回】
信長はなぜ、既存のルールに縛られない発想ができたのか??(3)
信長を突き動かした「天下布武」から生まれた3つの行動




Revive
古き良きものを現代の価値観にアップデート



いいなと思ったら応援しよう!