見出し画像

【歴史編】信長はなぜ、既存のルールに縛られない発想ができたのか??(1)

信長を突き動かした「危機感」と「領土拡大」の掛け算

「信長はなぜ、既存のルールに縛られなかったのか?」
――この問いを考える上で、まず理解しておきたいのが、当時の「既存のルール」です。

戦国時代、武士たちの世界を支配していた最大のルールは、
「将軍家を頂点とする秩序」でした。
多くの大名は、将軍家を補佐する、あるいは将軍から官位をもらうことで自らの正当性を主張しました。
これは、室町幕府という古い権威に縛られることで、「国を治める大義名分」を得るための常識だったのです。


しかし、信長は、他の大名とは根本的に異なる、強烈な「危機感」に晒されていたように思えます。

武田信玄守りの固い甲斐国を、上杉謙信豊かな越後国を、
それぞれ強固な基盤としていたのに対し、
信長が継いだ尾張国は、東西南北を強敵に囲まれた、
まさに「四面楚歌」の状況でした。
東には海道一の弓取りと謳われた今川義元、北には一筋縄ではいかない斎藤道三が構えていたのです。
この環境は、信長に「攻め続けなければ生き残れない」という切迫した危機感を植え付けたのではないでしょうか。

この危機感を乗り越える唯一の道こそが、「領土拡大」でした。
彼は、尾張一国にとどまるという発想を捨て、隣国を併合することで自らの力を高め、敵の脅威を取り除こうとしました。
この「危機感」と「領土拡大」という二つのキーワードが掛け合わされて
生まれたのが、信長の掲げた「天下布武」という思想ではないでしょうか。

これは、単なる「武力で天下を統一する」というスローガンではないというのが最近の学説のようです。
では、なにか?
それは、旧来の権威や秩序を根本から破壊し、自らの手で新しい日本を創造するという学説です。
これまでの文脈を見ていくと、かなり戦国時代では革命的なビジョンだったように思えます。
他の大名たちがそれぞれのゴールを目指す中、信長だけは全く異なる場所に目を向けていたことがわかります。

では、信長と他の大名はそれぞれ何を見ていたのか?
これを次回、考察してみます。


【次回】
信長はなぜ、既存のルールに縛られない発想ができたのか??(2)
信長と他の大名でどのような世界をそれぞれ見ていたのか?



Revive
古き良きものを現代の価値観にアップデート


いいなと思ったら応援しよう!