[韓国] 「歴史の正義」が時計の針を巻き戻すとき:韓国・親日財産帰属法の深層と、高市政権の「法と秩序」の行方
こんにちは、葦原翔です。
初夏のみずみずしい風が吹き抜ける今日この頃ですが、お気に入りの一杯を片手に、少し「一歩踏み込んだニュースの裏側」を一緒に覗いてみませんか。
ここ最近の日韓関係を見ていると、ある種の「大人の割り切り」を感じる場面が増えていました。
中東情勢の緊迫化をにらんで、エネルギーの緊急融通や経済安全保障の強化など、お互いの実利が一致する実務分野では、驚くほどスムーズに首脳陣が握手を交わしています。
「過去のトゲは一旦脇に置いて、未来の果実を分け合おう」――そんな空気が流れていた矢先、お隣の韓国から、私たちの「リーガル・マインド(法的思考)」を根本から揺さぶるようなニュースが飛び込んできました。
それが、2026年6月2日に公布された「親日財産帰属法(親日行為者財産の国家帰属等に関する特別法)」の制定案です。
ニュースの表層だけを見れば、「植民地時代に親日行為で不当に富を得た人たちから、財産を国が没収する法律が、12月から本格的に始まるんだな」という、これまた『いつもの歴史清算』のように思えるかもしれません。
しかし、この法律の条文を少し丁寧に読み解き、その裏にある司法の判断や政治の思惑を追いかけていくと、そこには「近代法が絶対に破ってはならないとされる禁じ手」と、「国民感情という巨大な引力」の、すさまじい葛藤が見えてくるのです。
今日は、この法律がなぜ「今」動き出したのか、そして日本の高市政権が掲げる外交方針にどんな影を落とすのかについて、じっくりと解きほぐしていきたいと思います。
1. 16年の眠りから目覚めた「執行人」
まず、このニュースの前提として知っておきたいのは、この法律が「完全な新作」ではないということです。
韓国では今から20年前の2006年、当時の盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権下で「親日財産調査委員会」という組織が立ち上がりました。
彼らは4年間の限定的な任期の中で、親日行為者が得た土地などを特定し、国家に組み入れるという任務を遂行し、2010年に一応の「解散」を迎えていたのです。
では、なぜ16年もの歳月を経て、再びこの委員会が「再設置」され、法律がリニューアルされたのでしょうか。
そこには、映画さながらの「泥沼の法廷闘争」と、法律の致命的な「抜け穴」がありました。
象徴的なのが、かつて侯爵の爵位を受けた李海昇(イ・ヘスン)という人物の子孫を巡る裁判です。
2010年に国が財産没収の動きを見せる直前、あるいは委員会が解散した後に、一部の子孫たちは対象となる土地をすばやく第三者に売却し、現金化してしまいました。
当時の法律の想定は、あくまで「そこにある土地や財産そのものを没収する」こと。そのため、「子孫がそれを売って得てしまった『現金(不当利得)』を、後から追いかけて強制的に剥奪する明確な基準」がなかったのです。
さらに、委員会が解散してしまったため、新しく隠し財産が見つかっても、それを追跡する常設の司令塔がありませんでした。
「財産を売って現金にしてしまえば、国は手出しできない」
そんな子孫側の「逃げ得」をめぐり、韓国の法務部(日本の法務省に相当)は長年、売却代金の返還を求める裁判を戦ってきました。
子孫側は「民法上の消滅時効はとっくに過ぎている」と主張し、裁判は泥沼化します。
しかし、潮目が完全に変わったのが2024年末でした。韓国の最高裁判所(大法院)が、ひとつの画期的な判決を下したのです。
「親日反民族行為者の子孫が、国家による回収を逃れるために『時効』を主張することは、権利の乱用であり許されない」
この判決は実質的に、「歴史的正義の前には、民法の時効など関係ない」と言い切ったに等しいものでした。
今回の新しい「親日財産帰属法」は、この最高裁判決という強力な武器を手に入れた与党(革新系)が、「それなら、売却代金(現金)まで完全に、合法的に回収できる常設の組織をもう一度作ろう」と動いた、実務的な総仕上げなのです。
2. 近代法の「アキレス腱」を直撃する二つの問い
実務的な必要性は分かった。でも、私たちがどうしても首を傾げてしまうのは、ここからです。この法律には、近代法治国家として看過しがたい「二つのアキレス腱」が常に付きまとっています。
一つ目は、「法の不遡及(ふそきゅう)の原則」です。
これは法学の教科書の1ページ目に「代表的な具体例」として載っているような、世界共通の鉄則です。
「行為の時点では合法だった(あるいは犯罪として定義されていなかった)ことを、後から作った法律で処罰したり、財産を奪ったりしてはならない」というルール。
これがないと、私たちは「明日、自分の行動が新しい法律で犯罪にされるかもしれない」という恐怖の中で生きることになり、社会の安定が崩れてしまいます。
1910年から1945年の間に起きた行為を、2000年代、あるいは2026年の法律で裁き、財産を没収する。これはどう見ても「法の遡及(過去に遡って適用すること)」です。
過去に韓国の憲法裁判所は、「真実和解のための歴史清算は、極めて高い公益性があるため、例外的に遡及が認められる」というロジックで合憲判断を出していますが、今回の法改正は、その「例外」の範囲を、子孫が得た現金にまでさらに広げたことになります。
法槽界の一部からは、「例外をどこまで広げれば気が済むのか」という冷ややかな声が今も上がっています。
二つ目は、「連座制の禁止」です。
大韓民国憲法第13条3項には、はっきりとこう書かれています。
「すべての国民は、自己の行為ではない親族の行為により、不利益な処遇を受けない」
言うまでもなく、「先祖が犯した過ちの責任を、現代を生きる子孫に負わせてはならない」という人権の基本です。
推進派は「これは刑罰(連座)ではなく、そもそも不当に得た財産(利得)を本来の持ち主である国家に返すだけだ」という精緻なレトリック(論理の組み立て)でこれを回避しようとしています。
しかし、現代を生きる子孫からすれば、自分が生まれる前の先祖の行動を理由に、今自分が所有している財産や現金を国家によって剥奪されるわけですから、実質的な不利益を被っていることに変わりはありません。
「歴史的正義(実質的正義)」のためなら、「近代法の基本原則(形式的法治主義)」を一定の範囲で書き換えてもよい――。
この優先順位の置き方こそが、日本、あるいは欧米の法感覚から見たときに、強烈な「不信感」や「違和感」を生む根源になっているのです。
3. 「空気」に抗えない政治のリアリズム
興味深いのは、この法律が国会を通過した際の政治的な舞台裏です。
現在の韓国の政治構図は、歴史清算をアイデンティティとする革新系が与党、そして未来志向の外交や保守的な法秩序を重視する保守系が野党という形になっています。
普通に考えれば、保守系(野党)は「私有財産権の侵害だ」「連座制の懸念がある」として、この法案に猛反対しそうなものですよね。
ところが今回、国会の法制司法委員会において、この法案は異例の「与野党合意」で処理されました。
なぜ、野党(保守系)は反対しなかった(あるいは、できなかった)のでしょうか。
ここに、韓国政治における「情緒(感情)の絶対性」というリアルがあります。
韓国において「親日派の不当な財産を没収する」というスローガンは、誰も反論できない聖域、いわば「絶対正義」です。
もし野党(保守系)が法理的な正当性をいくら理路整然と主張したとしても、世論からは一瞬で「親日派を擁護するのか」「売国奴の味方か」という激しいバッシング(政治的パッシング)が巻き起こります。
来るべき選挙や現在の支持率を考えたとき、そのリスクはあまりにも大きすぎます。
そのため野党(保守系)がとった戦略は、正面衝突を避け、「実務的な条件闘争」に持ち込むことでした。
「法律の趣旨には賛成する。ただし、委員会がダラダラと永続するのはおかしいから、任期は3年(最大2年延長の計5年)に限定しよう」
こうして、野党側がいくつかの実務的なブレーキをかける条件と引き換えに、法案はあっさりと合意に至りました。
さらに、国会内で対立している他の重要法案(集団訴訟法など)の交渉カードとして、このテーマを早期に妥結させた方が得策だという戦略的判断もあったでしょう。
与党(革新系)が掲げる強力な「歴史清算」のドライブに対し、野党(保守系)が世論の反発を避ける実利的な判断と条件闘争を行った結果、異例のスピード合意と公布へと至りました。
政治的なイデオロギーの対立さえも、「反日・親日」という底流にある巨大な国民感情のプールに飲み込まれていく。そのダイナミズムは、良くも悪くも極めて韓国的だと言えます。
4. 高市政権の「法と秩序」との正面衝突
さて、ここで視点を日本、特に現在の高市政権に向けてみましょう。
高市総理が掲げる外交・安保政策の背骨にあるのは、明確な「法の支配(Rule of Law)」と「国際法の遵守」です。
元徴用工問題や慰安婦問題において、「1965年の日韓請求権協定という国家間の約束がすべてであり、これを韓国側の国内事情でひっくり返すことは許されない」という毅然としたスタンスを崩さないのは、まさに政権の根幹がそこにあるからです。
高市政権から見れば、今回の韓国の法改正は、まさにその基本スタンスに対する「静かな、しかし根本的な挑戦」のように映るはずです。
「一度合意したことや、近代法の基本原則(法の不遡及など)を、国内の政治事情や国民感情(歴史正義)で容易に上書きしてしまう国である」
日本側が抱くこの根深い不信感に、今回のニュースは新たな燃料を投下することになります。たとえ今回の法律の対象が韓国籍の個人(子孫)であり、日本の政府や企業に直接的な実害が及ばないとしても、「ルールの安定性」を重んじる高市政権にとっては、韓国という国の「法治のあり方」への警戒感をいやが応にも高める結果となります。
では、せっかく温まってきた日韓の実務協力は、これで再び冷え込んでしまうのでしょうか?
私は、そこまで単純な巻き戻りは起きないと見ています。なぜなら、2026年現在の国際情勢は、日韓に「喧嘩をしている余裕」を与えてくれないほどシビアだからです。
現在の両国関係は、歴史問題と実務協力を完全に切り離す「ツートラック(二極化)外交」のフェーズに入っています。
経済安保・防衛協力: サプライチェーンの安定、対中・対北朝鮮シフト、エネルギーの相互融通など、両国の「むき出しの国益」が一致する分野は、首脳間でドライに、かつ着実に進められる。
歴史・法理問題: 日本政府は「韓国の国内問題」として基本的には静観する。ただし、一線を越えて日本側への実害が出る兆候があれば、高市政権は「法と秩序」に基づき、極めて冷徹な対抗措置を辞さない構えを見せる。
韓国側としても、この法律は「国内の支持層向け・国内の歴史清算」という意味合いが強いため、これを外交カードにして日本を挑発するメリットはありません。
お互いに「地雷の場所」を分かった上で、そこを踏ないように歩くような、緊迫感を含んだ「大人の管理外交」が続くことになります。
5. 静かに忍び寄る「カントリーリスク」の正体
しかし、外交ルートがコントロールされているからといって、すべてが安泰というわけではありません。
この法律がもたらす最もリアルな影響は、政治ではなく「経済の現場(ビジネス)」に現れる可能性があります。
それは、「善意の第三者」を巻き込むリスクと、それに伴うカントリーリスクの再評価です。
先ほど、親日派の子孫たちが財産を売却して現金化したという話をしました。ということは、その土地を「親日財産とは知らずに、正当な対価を払って買い取った民間人や企業(善意の第三者)」が現代に存在しているわけです。
今回の法律では、回収の対象は「子孫が得た利益(現金)」とされていますが、調査の過程で、過去の土地取引の正当性が厳しく精査されることになります。
もし、その網の目が広がりすぎたり、運用の現場で行き過ぎた追跡が行われたりして、日本企業が絡む合弁事業の基盤や不動産、あるいは現地の取引先に少しでも不利益が及ぶようなことがあれば、事態は一変します。
高市政権は「投資家保護」と「国際法遵守」の観点から、猛烈な抗議や対抗措置をとらざるを得なくなるでしょう。
ビジネスの世界で最も嫌われるのは、「不確実性」です。
「この国では、何十年も前の出来事を理由に、後から作られた法律で現在の財産関係が揺るがされる可能性がある」
そうした印象が日本の経済界に改めて植え付けられることの損失は、決して小さくありません。
韓国への新規投資やビジネス展開を検討するボードルーム(役員会)で、「リーガル・リスク(法的リスク)」の項目に太い赤線が引かれることになる。
この「目に見えない心理的冷え込み」こそが、今回の法案がもたらす、最も本質的なカントリーリスクの正体なのかもしれません。
おわりに:私たちは「ルール」とどう向き合うか
「歴史の正義」を貫くために、法の安定性を犠牲にするのか。
それとも、「法の安定性」を守るために、過去の不条理に目をつぶるのか。
この問いに、万人が納得する唯一の正解はありません。
韓国社会が「正義の具現」を選びがちなのは、それだけ植民地時代が残した傷跡と、それに対する「未完の清算」への悔恨が、今を生きる人々の心に深く刻まれているからでしょう。
しかし、過去を変えるために未来の約束(ルール)の信頼性を削っていくアプローチは、国際社会という「冷徹なルールのネットワーク」の中で、時に高いツケを払わされることになります。
高市政権が掲げる「法と秩序」という物差しは、単なる外交等ポーズではなく、そうした「ルールの信頼性」を担保せよという、国際社会の標準的な要求を代弁している側面もあります。
日韓は今、同じ価値観(民主主義や資本主義)を共有しているようでいて、その根底にある「法(ルール)に対する哲学」において、決定的な溝を抱えたまま並走しています。
私たちはこのニュースを、単なる「お隣の国の政争」として片付けるのではなく、「もし自分がルールの書き換えを迫られたら、何を最優先にするだろうか」という、自分自身の法治観を問い直す材料にしてみるべきなのかもしれません。
あなたはこの「時効なき清算」のゆくえに、どのような未来を見ますか?
それでは、今回はこの辺で。また次回のnoteでお会いしましょう。
いいなと思ったら応援しよう!
読んでいただきありがとうございます!もしこの記事が面白い、役に立ったと感じたら、下の「チップを渡す」からサポートしていただけると嬉しいです。あなたの応援が、次の記事を書く大きな励みになります。