命の循環の摩訶不思議さ

先祖供養ってキリスト教にはない概念なのかな?

私は先祖供養という言葉が嫌いで仏教から遠ざかって神道に近づいたけど、よく考えたら神道こそが先祖との繋がりを大切にする考え方だった。
物知らずだった。

神を祀らないと祟るというのも神道の長い歴史の中でわりとポピュラーな考え方で、今も根強い。それが神仏習合の中で仏教でいう先祖供養と同じような意味になってる気がする。

でも、ほんとうは、私が生きていることで“祖霊”がこの世に息づいているということじゃないかな。

祖先と自分が同じ命の流れにある、生命の循環の摩訶不思議さを感じて、なんかすごいなと思うことが1番大切なんだと思う。

感謝なんて強要されなくても、自然と何かありがたいなあ、嬉しいなあと思えるのが、本来の祀りであり、供養なんじゃないかと思う。

いいなと思ったら応援しよう!