お前らの家と、俺の縄張り
縄張りの話をしよう
「持ち家か賃貸か」という議論がある。
定期的に燃え上がるやつだ。
SNSで誰かが火をつけ、それぞれの陣営が「俺は正しい」という顔で正論をぶつけ合い、誰も納得しないまま静かに鎮火する。
毎回同じ流れで、毎回同じ、結論なしで終わる。
もはや季節の風物詩といっていい。
梅雨になったらジメジメするように、春になったら花粉が飛ぶように、ネットでは持ち家・賃貸論争が勃発する。
持ち家派は「資産になる」と言う。
賃貸派は「身軽でいられる」と言う。
どちらも正しい。
どちらも的外れだ。
なぜなら俺にとって「家」とは、資産でも身軽さでもなく、縄張りだからだ。
縄張り。
野生動物が「ここは俺のテリトリーだ」と爪痕を刻むあれだ。
オオカミとか、熊とか、そういうやつらがやってるあれ。
俺はそれを家と呼んでいる。
自分だけが管理し、自分だけが居住し、自分の生活スペースが空間のすべてを占有している状態。
それが「家」だ。
名義がどこにあるかは関係ない。
ローンが何年残ってるかも関係ない。
問題はただひとつ、「誰の縄張りか」だ。
実家には自分の部屋があった。
一応、俺の縄張りということになっていた。
「ということになっていた」という言い回しをあえて使うのには、理由がある。
というか、理由が複数ある。
まず、構造の問題があった。
俺の部屋は茶の間と直結していた。
廊下を挟まない。
ドアを開けたらそこが茶の間、という設計だ。
誰がそんな間取りを考えたのか。
「プライバシーってなんですか?」という顔で生きてきた人間が鉛筆でテキトーに引いた線がそのまま家になったとしか思えない。
建築士の免許を持った人間がこれを設計したなら、その免許は返上してほしい。
次に、ドアの問題があった。
閉めるなと言われていたわけではない。
ただ、閉めない方がいい、という空気があった。
あの「閉めない方がいい」という空気を知っているだろうか。
禁止されていないのに禁止されているやつだ。
法律には存在しないのに、破ったら何かが起きる気がするやつだ。
家庭版・不文律。
俺は大体それに従っていた。
さらに、ノックの問題があった。
たとえドアを閉めていても、ノックなしで開けられた。
「ちょっといい?」もない。
「入るよ」もない。
ただドアが開く。
気配が来て、次の瞬間にはドアが開いている。
俺は何も止める手段を持っていなかった。
内鍵でもあればよかったが、内鍵がないのは「そういう家」だからだ。
縄張りにおける治安は、その程度のものだった。
ほぼ無法地帯だ。
縄張りとは名ばかりの、ただの区画。
俺はそこに「住んでいた」というより「収納されていた」に近い。
今、俺は札幌で一人暮らしをしている。
賃貸だ。
名義は大家のものだ。
資産にはならない。
住めば住むほど家賃が蒸発していくだけの、経済合理性の観点からは「お前は何をやっているんだ」と言われる選択だ。
だがここは、俺の家だ。
理由は単純で、この空間のすべてが俺の生活スペースだからだ。
ドアを閉めれば誰も入ってこない。
ノックなしで開けられることはない。
茶の間と直結もしていない。
というか茶の間がない。
俺以外の誰かの気配が、どこにもない。深夜に冷蔵庫を開けても、誰かに見られない。
変な時間に風呂に入っても、誰も何も言わない。
床に寝転がっても、天井を眺めて虚無になっても、それは完全に俺の自由だ。
それだけで十分だ。
それだけで、ここは俺の縄張りになる。
資産価値は縄張りの条件に含まれない。
オオカミは不動産価値を気にしない。
それでも縄張りを命がけで守る。
俺もそういうことだ。
ちなみに。
その実家だが、数年前に久しぶりに帰ったら、知らない人間が住んでいた。
いや、なんで???
経緯は諸々ある。
家というのは俺が知らないうちにいろいろ動く生き物らしい。
とにかく知らない家族構成になっていた。
俺がかつて「縄張りとは名ばかり」と感じながらも収納されていたあの空間は、今や完全に俺と無関係の他人の縄張りになっている。
あの直結していた茶の間も、ノックなしで開けられていたドアも、今は別の誰かのものだ。
なるほど。
「家とは縄張りの問題だ」という俺の持論は、こんな自虐的な形で証明されることになった。
皮肉にもほどがある。
俺は自分の帰る家を失うことで、家とは何かを理解した。
教訓の得方としてかなり雑だ。
縄張りを失えば、そこはもう家じゃない。
持ち家だろうが賃貸だろうが、関係ない。
縄張りがあるかないか、それだけだ。
俺は自分のことを「野良犬」と自称している。
キャラクター設定ではなく、物理的な事実として。
帰るべき縄張りを探しながら、今は札幌のこの部屋に落ち着いている。
月々の家賃が消えていく虚しさはあるが、ノックなしでドアを開けられる虚しさよりはずっとマシだ。
帰る縄張りを持っているやつは、大事にしやがれ。
それは資産じゃなく、生きる場所の話だ。

