【クラリネット*管弦楽部編】今更ながらの音楽的自己開示
註:この記事は音楽的自己開示のクラリネットかつ大学時代の管弦楽部での経験に焦点をあてたもので、当該記事の内容を前提としている
最初に
思ってた以上に長くなったから、簡単な結論。
・大学の管弦楽部は1年弱で辞めた
・管弦楽部に所属して、弦楽器とオケのことが知れた経験は、大変なメリットだった
・特に第九は乗れるチャンスがあるなら、1回は乗った方が良い
・吹奏楽出で、クラシックそんなでもないなら、管楽器はやっぱり吹奏楽の方が楽しいかも
・結局はそれなりに人が集まるので人間関係(音楽関係ない!!)
大学入学前
私の進学する大学が決まったのは、晩秋だった。
私は自分のことを、真面目ではあるかもしれないが、決定力に欠けるのが決定的に問題だと常々思っている。
そのせいか、どうも周りから見るとちゃらんぽらんなところも多いようで、高校3年の夏休みが明けても志望校どころか志望学科すら決めず、何なら国立文系コース選択のくせに理系の学科を模試に書いたりするレベルの阿呆だったので、業を煮やした担任に呼び出された。
(ちなみに高校受験でも似たようなことをしたことがある、第二志望だったけど)
「内申が良いし、模試の結果もその日の気分によるし、どこか推薦受けてみたら?」
なるほど推薦。そういう手があったか。
「まあ、もう公募推薦しかない時期だから、倍率は高くなるし受かる確率は低いかもしれないけど」
ふーん。とりあえず探しまーす。
というわけで、大学自体は関東甲信越にあるが、推薦入試は全国各地で開いてくれて、しかも面接がない大学を見つけた。
大得意な国語の筆記試験と、小論文だけ!最高じゃん!
そう思った私はその辺の気軽な模試ぐらいの気持ちで受験して、うっかり受かってしまったのだった。
合格通知が来たその秋の日、担任と学年主任が「この学年の国公立第一号だ」と大喜びしていたことを覚えている。大騒ぎしないで欲しい。
私はそんな浮き足立っている職員室で、うわー、マジかーと思っていた。全然実感もなかったし、ちゃらんぽらんに選んで、ちゃらんぽらんに試験を受けていただけだった。
実のところ試験の後、さすがにこれは落ちたな!(舐めすぎ)と真面目に勉強し始めていたので、その後に出た模試の結果が一番良かった。
(担任は、これならもっと良い大学行けた、推薦受けさせるんじゃなかったとか言ってた、ひどすぎる)
そして2学期の終わりを待たずして暇になってしまったのだった。
推薦だから、辞退はできないからね。
暇になった私は、日々ゲームをしたり本を読んだりエレクトーンを弾いたりしてゴロゴロしながら、写真でしか見たことのない大学と一人暮らしに思いを馳せていた。
(本当に頑張っていた同級生には申し訳ない)
まさか地元よりさらに超ド級の田舎だとは思っていなかったが、私の部屋にあるモノを全て持っていくわけにも行くまいし、さて何を取捨選択すべきか。
持っていく本はどれにしよう、ああそうだエレクトーンはさすがに無理だろうなあ。
エレクトーンを持って行けないということは、音楽できないのか。
ふとそう思った時に、そうしたらさすがに吹奏楽部かなんか部活があるだろうから、またクラリネットでもやろうかな、という考えが芽生えた。
楽器は持っていなかったが(中学時代は学校のモノを使っていたので)、それこそ大学にもあるかもしれないし。
喉元過ぎれば熱さを忘れる。
3年間、集団で音楽をせず、楽しかった時の記憶を思いだしながら、私は大学に入学した。
管弦楽部入部
大学で最初にできた友達が、偶然にも私と同じく部活(もしくはサークル)で楽器をやりたいという子だった。
ちゃらんぽらんな私とは違って、自分の意志をはっきり持っていた彼女は、私を引き連れて、吹奏楽部と管弦楽部の見学に行った。
へぇ、管弦楽部なんてあるんだ、と思ったのはそのときだったように思う。
精力的な彼女は、他のサークルも見て回ってはいたが(掛け持ちもしていたっけな)、最終的にどっちにする?と私に訊いてきた。
うーーーーん。あんまり決め手がないんだよね。
「私はさー、そんなことでって思われるかもしれないけど、先輩がカッコよかったから管弦楽部かな」
え、そ、そうだった・・・・・?(誰や)
「ブランクがみんなより長いからさ、吹奏楽もプレッシャーだし。コンクール出るんでしょ」
んーーーーー。吹奏ならコンクールは出るだろうね(知らんけど)。
「管弦楽部は定期演奏会だけって言ってたし」
うーーーーーん。
私はもう少し考えると答えて帰宅し、一人暮らしの部屋のベッドに寝そべって答えを出した。
よし、管弦楽部にしよう。
友達が一緒に入るということもちょっとはあったが、吹奏楽は中学で経験した。
それなら、次はオーケストラだ。エレクトーンの役に立つかもしれない。
エレクトーンはここにないけど。
オーケストラの内実には興味がある。
それに、今年の定期演奏会の曲が好きな曲だ。
そうして私は管弦楽部の一員になった。
――吹奏楽部と管弦楽部(特に管楽器に)に対立があったことはあとで知ったので、最初に言っておいてくれたらもうちょっと慎重に決めたかもしれない。
管弦の練習場所は、音楽棟だった。
音楽の授業だけをやる建物で、上階の数階はピアノの練習ができる個室がならんでいた。
半分教員養成的な側面のある大学だったので、そちら方面のみが専門の学部の人は、みんなピアノの練習も必須で、そういう意味では施設は充実していた。
先輩たちは結構厳しい人ばかりだった。
一日中解放されたその音楽棟で、授業がない時間帯も練習をするように言いつけられた。
土日も朝から晩まで練習。
私は余っているクラリネットがあったからまだ良かったが(もうひとりの1年生は自前の楽器を持っていた)、他の管楽器の同期は買わされていた。
それなのに、バイトなんてさせてもらえない。
バイトをする時間があるなら練習しろ、と何度言われたことか。
部費にプロの先生のレッスン代、クラリネットだからリード代。
年度末には次の1年生の為に楽器を買うよう言われていたが、お金は飛ぶ一方で貯まりやしない。
2年生になったらバイトできんの?
経験者ばかりの管楽器の中で、3年間のブランクがあったのも痛かった。
クラリネットの同期は高校で吹奏楽をしていた子だったので、天と地ほどの差があった。
幸い、クラリネットはひとつ上の2年の先輩ひとりだったのだが、彼女は非常に優しくてあまり否定的なことは言われなかった。
後に私が年末に断固として辞めると言った時も、とても親身になってくれた。
他の楽器の先輩たちが、顔を合わせれば矛盾したことを言ってきたって、それ以上に管楽器の同期たちとは仲が良かったので、多分それだけでは辞めてはいなかったと思うが。
隣の部屋では、弦楽器のメンバーが練習していた。
弦楽器は、基本的には初心者が多く、楽譜が読めない人も居た。
入部からすぐ基礎練や定期演奏会の練習を始められる管楽器の同期が多い中、そういった楽譜にカタカナで音をふって、弦の位置や楽器のことを学んでいく。
管楽器のメンバーだって、短期間にそういったことを学ぶ大変さを、中学なり高校なりの部活で経験してきているのだから、特にどうということもなく、大変だけど頑張って!という気持ちで見ていた。
が、それはこっちの言い分で、弦楽器の人たちからのあたりは強かった。
同期とは仲が良かったと思う。
でも、ちょっと合奏したり、ちょっと管楽器だけでの合わせをしたらイライラした弦の先輩が乗り込んでくる。
「ちょっと!!!うるさくて弦の音が聞こえないんだけど!!」
マジで言ってんの!?当たり前じゃない!?
「ちょっと!変なピッチで吹かないでよ!!!」
マジで言ってんの!?!?あなた方の弦ピッチガタガタですけど!?!?
いや、正直びっくりした。
弦楽器の人たちに、あんなにかみつかれると思ってなかったので。
もちろんこれは私の当時の体験談で、どこの管弦楽団でも弦と管の仲が悪い――というかつっかかられるという話ではない。
高校の時、音楽系の部活のクラスメートに突っかかられた経験(この記事参照)から、単に経験者と未経験者の軋轢なのかもしれないな、とは後に思ったが。
大学のオケで弦が全員経験者なんて、もうそんなの音大か芸大では、とも思ってしまう。
うーーーん、難しいね。
夏休み
夏休みがやってきた。
夏休みと言えば、そう、合宿である。そう?
それなりの大所帯で2泊(だったかな?)するような経験がなかったので、ちょっと緊張はしたし、練習以外の生活の部分はしんどいなと思う部分もないわけではなかったが、朝から晩までクラリネットの練習一辺倒なこと自体は、中学時代も夏休みはそうだったので、そう苦痛ではなかった。
プロの先生も合宿に顔を出してくれたので(レッスン代はかかるよ)、有意義だったと思う。
内容を覚えていないのが残念だけど(失礼)。
でも近年、クラリネット専門雑誌に先生が載っていた(というかコラム書いていたんだっけな?)、ちゃんと覚えていますよ先生・・・・・・先生は忘れたと思うけど・・・・・・と思っている。
問題はそのあとやってきた。
大学の夏休みは長い。
当時(まあ今もだけど)私の母は長らく足を痛めていたのだが、私の夏休みに合わせて(私に許可を取らず)手術をする計画が立っていた。
えーーッマジで!?
つまりは、合宿まで参加したら、その後は帰ってこいということだ。
家のことを父と弟にさせるわけにはいかないと。
知らねーーー親父がやれーーー!!・・・・・・などと言えるわけもなく(反抗しづらい、学費も仕送りも頼っていた、バイトできないし)、私はへい、とおとなしく帰省することにした。
「オヤ ガ ニュウイン シュジュツ スルノデ キセイ シマス」
部長に言ったら、クラリネットで一番下手くそなヤツが夏休みの練習をしなくていいと思っているのか、と返ってきた。
「ソレ ハ ヨクナイ ト オモイマス。 デモ ニュウイン シュジュツ ナノデ カエリマス。 ヤスミアケ ニ キマス。 ソレデハ」
言い置いて、私は帰った。
実際母の入院は2ヶ月かかり、両足だったので、合計4ヶ月かかった。
※2回目の入院は次の春休み、また私が帰らされるのである。その時はもう辞めてるけどね!!
というわけで、私の夏の音楽活動は合宿前の練習と、合宿だけで終わった。
夏休み明け
さて夏休みが終わり、「ただいまー」と音楽棟のレッスン室を開けたら、なんだか変な空気になった。
なんだ?まあ、いいか。必要なら誰か何か言ってくるでしょ。
練習が終わって、地元とは違ってかなり涼しい風が吹くようになってるなあ、なんて感傷的に思いながら、同期たちが出てくるのを待っていた。
いつも、全員ではないにしろ、数人で固まって家に帰るようにしていたからだ。
※東京から車で来られる範囲のド田舎の為、夜になってからは女子学生は絶対に一人で出歩かないよう、折に触れ指導される学校だった。
果たして同期たちは出てきたが、夏休み前とは違うことがひとつあった。
あれれ~~~??おかしいな~~~?真ん中に先輩(男)がいるぞ~~??
同期たちも、管も弦も含めてみんないるぞ~~~???
取り囲んでなんか、なんか恐ろしい(婉曲表現)ぞ~~???
あっけに取られていると、弦の同期がひとり寄ってきて、
「あのねー、最近は練習後、順番に誰かの家で晩ご飯食べてるんだけど、一緒にどう?」
「あっうん、大丈夫かな!私は帰る!!!」
不穏なモノを察知して、私は脊髄反射でそう答えた。
そうしたら、管の同期がひとり、
「じゃあ私一緒に帰るわ(全然家の方向別なので私は再び察した)」
「じゃあそれでお疲れ様でしたお疲れまた明日ッ!!!!」
2人でダッシュで見えないところまで離脱した。
「どう、どう、どういうこと!?なにあれ!?」
「話せば長くなるんだけど、断ってくれて良かったぁああ!説明できるし!取り込まれなくてよかった!」
「取り込まれ・・・・・・」
話を聞くに、合宿後私が居ない間に何がどうなったのか、先輩(男)の取り合いが発生したらしい。5~6人ぐらいの同期の間で。もちろん継続中、南無三。
せっかく居合わせなくて済んだのだから、このままあのグループには入らずに居た方がいい、というアドバイスを受けた。もちろんだとも。
彼女も距離を置いているそうだが、夏休みという長い練習時間がある期間、全く無関係というわけにもいかないのだと言っていた。
その後数日間は連日夕飯に誘われ続けたが、断固として断っていると、そのうち誘われなくなった。助かった。
ただ、先輩(男)が管楽器、しかも木管だったことは私にとって問題をややこしくした。
一緒に練習する時間が長いのももちろんだし、金管とも練習場所が近く、一緒に入部を決めた友人がコトの中心人物のひとりだったこともあって、弦楽器の同期の子たちから定期的に色々探りを入れられるようになった。
どちらの人の様子も、自分の練習で精一杯で存じ上げません!
弦の友人にも、管の友人にも言われた。
「私の味方だよね、私に協力してくれるよね」
頼む、私を巻き込まないでくれ。
どうして私はこうなんだ!小学生の時から巻き込まれる!!
人の恋愛に首を突っ込む趣味はない!
助けてくれ!!
先輩(男)を徹底的に避けつつ、取り巻きの同期たちの聞きたくもない話を聞いていて、金田一少年の事件簿みたいなことって、本当に起きるんだなぁ・・・・・・と思っていた。
もちろん他害的な事件は起きてませんけど!
文化祭
山奥だったので、一足早い冬が来る頃、大学の学祭があった。
管弦楽部はド寒い夜に居酒屋をテントで出すことになっていた。
私ももちろん下ごしらえなどの手伝いはしたが、主な役割が受付だったので、日が落ちて寒い中コートを着てぼーっと立っていた。
もうひとりの受付が先輩(男)と同じ楽器の、超美女先輩だったので、客はみんなそちらに並んでいた。
むなしい。私も美しく生まれたかった!
私要るか?と思っていると、すすっと先輩(男)がやってきて、
「寒くない?」と私に訊いた。私?と思いつつ、いえまあ大丈夫です、と答える前に、彼は私の手を取った。両手。両手を両手で包んだ。
「あえ!?」
「俺の手暖かいから暖めてあげるy」
「大丈夫っす!!!!!!!!!!!」
丁重とは言いがたい早さで私は手を払いのけた。
そそそそ、そそそういうとこやぞおまえ!!!!
あれか?こうされてよろこばぬ女はいなかったってやつか!?ああ!!?
あいにく、私は一切喜びませんやめてください!!
その後受付の仕事もさすがに忙しくなったので、自然に野郎(口の悪さ)は避けて過ごした。
私はさすがに耐えきれず、後に中立の同期に愚痴ったが、公衆の面前(部内)ではあったので、誰か見ていないわけでもなかっただろう、多分。
定期演奏会
話は前後する。
定期演奏会が近づいてきた。
練習は大変を通り越して苛烈だったし、金田一少年みたいになって(なってない)、結構モチベーションが下がっていた。
相変わらず弦にも管にも先輩にはチクチク言われていたが、金田ryが面倒すぎて正直嫌味ごとき逆に気にならなくなってきていた。
平行して自分の楽器も探さないといけない。
親に相談したら、いいよ別に好きなので、とかいう謎に太っ腹な返事が来たのでそれが唯一のモチベーションだったか。
あと、クラリネットとしてもちろんメインは吹かせてもらえないが、定期演奏会のメイン、交響曲の前座「ニュルンベルクのマイスタージンガーより第一幕への前奏曲」の2ndを吹かせてもらえることになっていたので、それだけはと必死で練習した。
この曲をやる為に入ったんだからね。
ちやほやされている先輩(男)は、どう見ても同じ楽器の先輩美女が好きで、でも彼女は1年を侍らせてるからなのかどうなのか(多分私たちの入学より前から揉めていた気がするけど)、ひどく嫌っているようで空気が悪い。
ていうかよぉ、好きな相手がいるなら気を持たせるようなことすんな!!!浮かれてんのか!!?
集中できないんだよな。要は練習に。
でも、悔しいことに管楽器の先輩は全員上手かった。普通に上手かった。
高校で楽器やっていたらこんなに違ったのか?というぐらい。
下手くそとなじられたって、事実そうなのだから、ぐうの音もでなかった。
言い方!とかはもちろん思うし、しんどいなと思うこともあったけど、練習しないといけないなあという方向に気持ちが向いて、頑張れたんだと思う。
定期演奏会の追い込み時期までは。
追い込みの時期になってくると、管楽器だけの合わせだけでなく、夏合宿以来減っていた、弦楽器を含めた全体の合奏も増えた。
つまりはまた夏合宿の再現で、弦はピッチが合わないのに、管のピッチズレは指摘されたり、上手く合わないのは管のせいだと言われる。
わからない、本当にそう?出音が遅いのなら指揮より早めに吹けば良いの?
当時の指揮者は弦楽器のプロの方だったので、弦楽器が演奏しやすいように振ると言っていた。
そんなことある?そんな違いある?初心者が多いから?
難しい。私には管弦楽は向いていないかもしれない。
管楽器の各プロの先生の中でも、金管の先生が管楽器合奏の指揮を執ってくれていたが、その先生の指揮はやりやすかった。
やっぱり私は吹奏楽部に入るべきだったのでは・・・・・・?
そして今頃蒸し返すが、吹奏楽部はコンクールの為に頑張っていて、管弦楽部は定期演奏会の為に頑張っていた。
コンクールでもないのに、とコンクールでないのに何が悪い、で仲が良くなかったが、私はそのとき確かに思っていた。
コンクールでもないのに、どうしてこんなに頑張ってるんだろう、と。
定期演奏会のゲネプロの日、一緒に舞台に乗るOBOG、プロの先生がやってきた。
基本的にプロの先生はみんな弦楽器だったと思う。
管楽器は、現役生がいない楽器ぐらい。
舞台袖に行くと、たくさんの弦楽器が置かれていて、先生方が片っ端から調律していた。
「えっ、全部やってもらうの!?」
びっくりして同期を捕まえて訊くと、そうだという。もちろん本番当日も。
プロの先生が入った合奏の弦楽器の音は、びっくりするぐらいピッチが合って聞こえたし、いきなりレベルが上がって聞こえた。
管楽器の指導に熱が入っていたのも判る。こういう絡繰りだったのか。
なんだかな。こうなったら、そうだね、私が一番下手かもしれない。
そりゃあ普段からバチボコに言われるわ。
それ以外の定期演奏会の思い出はあまりない。
(人間関係のゴタゴタを除く)
第九演奏会
定期演奏会が終わってしばらくすると冬がやってきて、つまりはクリスマスと年末が近づいてくる。
市(だったと思うけど忘れた)の合唱団と一緒に、例年開かれているらしい第九コンサートと、子供たち向けのクリスマスコンサートが立て続けにあって、今度はそっちの練習だった。
クリスマスコンサートは、子供が知っているような曲をやるので(ジ○リとかね)、吹奏楽部ノリがちょっとあって楽しかったかな。
第九は、正直あの合唱が入る第四楽章しか私も知らなかったので、他の楽章の勉強になった。
それに、合唱団が入ったゲネプロの時に、合唱団を背負ったらこんなになるのか、というのは本当に良い経験になった。
第九は1回乗るといい、人間の声で全然自分が鳴らしている音が聞こえなくなる。クラリネットの私ですら。というかオケが聞こえない。
まあ、それでちょっと弦の先輩の気持ちが判ったといえば判ったけど、キレてくるのが妥当とは思わなかった。今も思ってない。
そしてその第九のコンサートの練習中に、私はもうここを辞めよう、と決めた。
それは、第三楽章だったか第四楽章だったか、合奏練習中、指揮者にクラリネットパートを繰り返し吹かさせられていた時だった。
それ自体はままよくあることだし、何も思っていなかったが、何度か練習させてOKを出した後、指揮者はこう言って笑った。
「まあ、これだけ練習したって、どうせクラリネットなんて、ここは聞こえないんだけどね!!」
あははは、とみんなも笑っていた。
いや、事実そうかもしれない、私は座席に居ないからわかんないけどさ。
でも、一生懸命吹かせて、おまえがそれを言うワケ!?
あの瞬間、大学に入学してからこの部活で、嫌味を聞き流したり、いろんな人間関係を横目に耐えていたことがばーーっと頭に浮かんで、はい無理!終わり!辞める!!!!と強く私に決心させた。
だって、肝心の音楽で、私の音は要らないんだよね!
その日の帰り道、私は暗い山道を下りながら親に電話をかけた。
まさにその日か、その翌日、私が吹きたいと思った楽器を親が買ってくれようとしていたからだった。
「まだ買ってないよね?!」
「まだだけど、どうしたの?別のにする?」
「要らない」
「え!?」
母がものすごく驚いていたのを覚えている。
「私、辞めるから、部活。要らない、楽器。とりあえず今日明日で買うのはストップで!!」
そして私は翌日、クラリネットの先輩に辞めます、と伝えた。
先輩も寝耳に水といった顔で、おろおろしていたが、とりあえず年内は勿論在籍すること、年が明けたら退部させて欲しいことを伝えた。
まあこういう話はもちろんあっという間に広がるもので、あっという間に「あいつ辞めるぞーー!!」みたいな視線とか、どうして急に!?1回話し合いましょう!?みたいな慌てっぷりを見て、私は笑っていた。
いざ辞められるって本気で言い出されると、こんなに慌てるんだなって。
年明け、私はもう練習には参加していなかったが、OGの先輩がわざわざド田舎のキャンパスにやってきて、「1回話し合いましょう」をやった。
「ちやほや先輩(男)にセクハラされたから辞めるって聞いたんだけど、本当?!それだったら、あっちが悪いしあなたが辞めなくても」
それを聞いて、私は本当に声に出して笑った。
今でも笑える。あんなに避けていたのに。文化祭のお手て握られ事件のことか?
「いえ、私は、あの人にセクハラは受けてません。私の尊厳と、あの人の名誉のために、それだけは言っておきます」
私以外の同期は、どう見てもセクハラ受けてたけど、本人が良いなら良いもんね。
それはセクハラじゃない。というか、私がチクることではない。
そう、とOGの先輩は言って、私の様子を見て、もう戻る気はなさそうねとため息をついた。
こういうのにも、うんざりしているんだから。
辞めた
そして私は1年で、管弦楽部を辞めた。
楽しい瞬間もあったし、勉強になったこともたくさんあったけど、まあ、やっぱり管楽器は吹奏楽部の方が楽しかったかな、という感想を残して。
あんまり(仕方ない事情を除いて)途中で辞める、ということを許さない親の元で育ったので、嫌だし我慢できなくなったから辞める、という選択をしたのも初めてだったかもしれない。
それはそれで良い経験だったかも。
でも、辞めるのはいいけど、そのまま吹奏楽部にスライドは許さん!的な空気があったし、もう狭い学内で出会ったときにそれらと戦うのも面倒くさかったし、落ち着いたら吹奏楽部に顔を出して見ようかなとも思ったけど、そのままどこの部活にもサークルにも属さないまま、4年間経ってしまった。
今になってみれば、やっぱり弦楽器の雰囲気とか、どうやって合奏するのかとか、オーケストラに所属したことは、エレクトーンの方に多大な経験をくれたし、知らなかったことをたくさん知れたので、管弦楽部に入って良かった。
だから、吹奏楽出身でクラシックが好きな人は、オーケストラの方に所属してみるのも楽しいかもしれない。
私はそんなにクラシックが好きなわけではなかったので、ばちぼこに言われたり、音楽的な部分で鼻で笑うようなマエストロのいる環境に我慢してまで頑張れなかっただけで。
あそこが、今時のゲーム音楽ばっかりやるような団体だったら頑張れたかもね、ダメだったかもね(適当)
多分ダメだね!!
たらればは不要なのだ!
そして、結局は仕事と同じで人間関係も大事なのだ!!!
おわり。長すぎるって(何回目だよ)。
多分、次の社会人スタジオ編で音楽的自己開示は終わり!!
