「べらぼう」に見える、想像力の会話
今日はkatiko 様のイラストを使わせていただきました。
いつもありがとうございます。
こんにちは!
NHK大河ドラマ「べらぼう」を毎週楽しく見ています。先週、今週と徳川家お世継ぎが亡くなったり、平賀源内が亡くなったりと、不穏な展開になっていますが、私は別の部分をとても楽しく見ています。
それは・・蔦重と周りの人の「会話」
蔦重が本を扱っているということもありますが、
想像力で会話をしているところがとても面白いんですよね。
例えば、花魁の瀬川が鳥山検校に見受けされる旅立ちの前に、蔦重が言った言葉。
俺はこの吉原を、女郎たちが来て良かったというところにしてやりてえんだよ。(中略)それが二人の夢だったんじゃねえの?(中略)
俺はこの夢から覚める気は毛筋ほどもねえよ!
検校が暴利をむさぼった疑いでとらわれ、瀬川が吉原に戻ってきた時、蔦重が瀬川に一緒に本屋をやらないかと誘います。瀬川が自分の今後はわからない・・と答えた時の蔦重の言葉。
わからないんなら、楽しいことを考えてりゃいいんじゃねえの?
検校から離縁された瀬川。瀬川が瀬川の本を書くという話になり、瀬川がこんなストーリーを話します。
検校は、竜宮城の亀だったんだよ。亀になって、あっちを竜宮城に連れて行ってくれたんだよ。時が来たから間夫(蔦重)のところに帰るのさ。めぐる因果は恨みより恩がいいねぇ。
市原隼人さん名演技ありがとう。
他にも、普段の会話で想像力が働いているセリフが良く出てきます。そのたびにはっとさせられます。
このドラマ1本から江戸時代の全てを語るのはちょっと稚拙と思いますが、江戸時代の人たちは、本からこんな会話をしていたのかな?普段の会話で想像力が使われているとしたら、想像力はどんどん育って大きくなるなあと思います。
そして、書きながら気づきました。ふと自分の会話を顧みます。
「冗談」の名のもとに、人の(特に親しい人の)想像力を軽く否定していないか。
相手が想像を話すのは、私に心を許しているからなのに、相手の想像力に敬意を払わず、自分の知識だけでジャッジして「なにそれ?」「は?」と簡単に「処理」して会話を終わらせていないか。
そもそも、情報を受けては流すばかりで、「想像」をしていないのでは?
笑われてもいいので、想像力を大切にしなきゃと思う今日この頃です。
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今日の記事は、きりん【Bookきりん屋】さんのこちら記事を読みませていただいて、蔦重の想像力を思い出して、記事にさせていただきました。
きりんさん、ありがとうございました。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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