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Ryuyaさんに会いに出かけた日

 アスファルトからの照り返しをまともに受けながら、歌っていた。
 「自転車で70分と少しの君の家なのに 電車の沿線は全然違って~」
  槇原敬之は「自転車でなら10分と少しの君の家なのに」と歌うのだが。
 自転車こいで、もう一時間。でも目的地に着かないんですよね。
  チャリで70分の距離なら、そら沿線もちがうわな。

 槇原敬之の歌には理想の恋人像が出てくることが多いが、この「さみしいきもち」という歌では「二人で目覚めた朝も ちゃんと遅刻しないで バイトに行く君」が忘れがたい人として登場する。しかしそんな「思い出され方」に何となしの非現実感がある。現在も憎からず思い、未練もある別れた恋人を思い出すときに、ポイントそこですか、という疑問がある。曲中これ以外に「君」の人物像についての描写はなくて(傘を借りて行ったことがあるらしい)、明かされるのは「忘れずにバイトに行ってたことだけ」なのだ。

 あの頃、恋する男性の心理を繊細に歌う点に槇原敬之の「新しさ」を感じていた。なぜ抱き寄せてしまうのか、触れていたいのか、自分側のスキマを打ち明ける感じでもなかった「男は黙って」からの移行期に、右往左往する姿と行きつ戻りつする心を見事に歌った人だった、と思う。しかしそんな彼の歌のなかでも、この歌は少し「隠されている」感じがする。
 (愛された記憶は出て来ない)
 (愛した理由を自分の気持ちでなく相手の条件で語っている)
 (さみしい気持ちに負けそうで『誰か』を探していた、か……)

 「君」は「すぐ出るから」と言いつつ鏡に向かって長い髪をまとめていたのだろうか。それとも髭を剃っていたのか。「コーヒーいらないよ!」なんて会話をしたんだろう。しかしどんな愛しい習慣も癖も、もう見ることはない。「駅を見るのも嫌だった」終わり方だった。「知らない間に作っていた切り傷のように」胸が痛んだのは、後になってからだ。
 最後の朝、彼/彼女はどんな表情だった? 「この主人公は思い出せないのではないか」という気がするのだ。相手を思うようでいて、実は自分の気持ちしか見てない。そして身勝手にも「さみしくなったら」思い出しているのだ。——こんなラブソングにさえアラートが鳴る、自分。なぜだろう。いやこの歌には別の見方がある。反発するな。この歌は「恋愛経験が少ない/具体的に恋愛経験を語りたくない事情がある男性が」「同性に対して」上辺の話をするときの「語り」に非常によく似ているのだ。ところどころのマンスプレイニング男からの見下し臭や独善もそんなポーズだと聴けば、とてもきれいに納得できる。男はよく男にこんな語り方をする——ちがう、「彼は」だ。「彼は世間にこう見せる」。

二人で目覚めた朝も ちゃんと遅刻しないで バイトに行く君が好きでした

「さみしいきもち」

 何かの事情で働くことができないマッキーファンにはつらい歌詞だ。この一節がなければ、普通に聴いていたかもしれない。しかしそれさえ主人公が(槇原敬之が)何かを隠すために語ることなら(例えば売れっ子シンガーの悩みは付き合う人が皆すぐバイトをやめてしまうことだったかもしれない)ポーズのひとつとして見えてくる。報告書に書くなら次のことだ——「この相談者は、心を明かす準備ができていない」。

 自転車をこぎながら、ずっと考えていた。

 多分、今日が相談員の人に会う日だから。歌なんか気楽に歌いながらも、自分が電話相談員をしていた短い期間の、「あの感覚」を身体に思い出させようとしていた。ダンプに煽られた熱風が顔に当たる。「彼は相談者がこのように出向くことを知っている」と分かっている。信号待ちで休日の親子連れを眺め、これから相談に行く相談者が自身とつい比較することを「彼は知っている」。ふと口ずさんだ歌の「遅刻しないでバイトに行く君が好き」という何気ない歌詞にも働けずにいる自分を思って相談者は苦しくなる、そんな気持ちも「彼は分かってくれる」。彼は今きっと窓から夏の空を眺めて、その日が相談者に与える影響を考えている。「相談者が来られるか」「ドアを開けられるか」気にかけながら待っている。分かってる。
 (相談員は全てのことに気づこうとして準備している。きっと彼も、おれがそうだったように。心を開ける。彼と話せる。これで準備ができた)

 自分が電話相談に関わっていたのは15年以上も前だ。心は戻っても情報は古い。自分は対等に話せるだろうか? 時間的に拘束しておいてウンザリなどさせたくない――そんな自分側のおそれがあることも、胸に留めておく。
 (今日は心を預けて、全部出そう)

 2025年8月17日(日)正午過ぎ、短い夏休みが終わる日だった。


 今日会うのは、主に障害者手帳をもつ人たちや、行政の判断あるいは医師の診断などがあって就労移行支援が必要と判断された人たちに向けて、支援を行なっている相談員の方、Ryuya さんだ。性的少数者は「病気でも障害でもないから」その属性のみでは、その事業所「ダイバーシティ・キャリア」の主たる支援対象ではない。性的少数者には障害や就労の有無にかかわらず利用できる「LGBTQ+個別キャリア相談」という相談窓口(Zoom対応)も開かれている。

 しかし、その「LGBTQ+個別キャリア相談」が開かれていても、「いわゆる『健常者』の」性的少数者からの相談が「ダイバーシティキャリアセンター」の方にも溢れていて、相談に乗りきれていない葛藤があるようだった。


 いや二人とも「健常者」って言葉キライなんだけどね。だって健ヤカ常ナル者って誰だ? そんな人がいるか?――それはともかく。

 現状の何を語り合うにせよ、自分がやり残して来たことに向き合うことになるのだ、ということは理解していた。切迫感も焦燥もそこにある。
 ポイントはおおまかにふたつだ。

 いわゆる「当事者」の相談員がいる窓口に性的少数者が集中するなら、他の、例えば行政の窓口などが利用しにくいなら、当然理由が気になる。
 またネットで自己開示しているゲイの文章を読んでも、まだポーズがあり、後ろ手に隠した不安やつらさがポロポロこぼれている感じが気になっていた。文章にみる心の流れが、しばしば一貫していないのだ。読みながら「大丈夫って言うけど大丈夫じゃないじゃん」と感じることがある。

 そんなことを、現役の相談員と、話してみたかった。

他の窓口が利用しにくいのか

 Ryuya さんのところは、基本的に障害や病気がある人のための就労移行支援事業だ。しかしいわゆる「健常者」である性的少数者がそうした設立目的に特化された相談窓口にたどり着いてしまうのはどうしたわけなのか。今は自治体をはじめとして様々な「困りごと相談」の窓口があり、そこに壁を感じていなければ、性的少数者はそちらに相談できるはずだ。「窓口の利用しづらさ」には利用時間などといった制約もあるのだが(考えられる要素はひとつではない)、しかしもしそちらの窓口対応が依然として安心できないのであれば。……「今日はキツい話になるのかも」と思っていた。

相談者も「主訴」を意識して相談しなければならない

 ネットで発信するマイノリティにも(相談する人にも)「主たる訴えはどれか」が分かりにくい人がいる。簡単に言えば「カミングアウトする必要はない/まだまだ言えない世の中でしんどい」型。相反するふたつのメッセージが混在する。もちろん多義的なテーマでもの語りナラティブがそうなることは重々あり得るのだが(よくあるし、そうなる必然もある)、ここに齟齬が生まれる。「この人が『カミングアウトする必要なんかない』とするそのココロがどこにあるか」読まない/読み取れない/読もうとしない人は大勢いるという「受信側」の問題があるし、「世間は清く正しく美しく放置しておいても勝手に自己完結する『当事者』が便利だから大好きで飛びつく」という問題である。そして「カミングアウトする必要が自分にはないと言ってみたい『当事者』」と幸福な合意形成をする。しかし歓迎と祝福のムードの中、実はポイントだったかもしれない「まだまだ言えない世の中」という問題は置き去りになる。そんな場面をどれほど見ることか。
 もし複雑な事情を伝え、状況を見つめ直してほしいなら(現段階でそれが不要だと誰が考えるだろうか)、「カミングアウトさせない社会で、私はカミングアウトしないと決めて今まで切り抜けてきた」と書かなければならないし、「もしカミングアウトできる社会だったとしても」同じ結果で同じ決断をしていたかと自分に問うこともしながら書くことが求められるのだ。「同じ決断ではなかった」と思うなら、そう書かなければ伝わらない。カミングアウトしないことで失わずにいるものを数え上げれば、それらは社会生活を営む上で不可欠なものばかりだ。「カミングアウトは必要ない」ではなく、「カミングアウトの必要を度外視して生きざるを得ない」状況があるだけなのだ。

 主訴は何か。こうした(捻じれた)状況を「相談」に当てはめると、相談者側に「語り方」の、また相談員側には「聴き方」の、習熟を進めなければならないのではないか、という思いがある。そもそもその非常に多くが「同性を好きになってしまうことに悩んでませんか」と呼びかけている相談窓口が、もし「あなたは悪くない。それは医学的にも異常ではありません」だけを言うために待っていられたら困る。そうした言葉は「一部の相談者には」必要だし「誰もが何度でも」聴くべき言葉であることは否定しない(それどころか全身全霊で同意する)が、「それは当然としての/その上での/その先の」悩みもあり、多くの相談はそれで終われない。「主訴」は何か?
 例えば Ryuya さんのところの「LGBTQ+個別キャリア相談」も、相談には「それのみでは終われない」ニーズがあることを示すものだ。

 どんな方が支援の現場に立ち続けているのか知るだけでもよい。会ってお話ししてみたかった。表向き「話せない」事情も双方あると分かってはいるが、そこはルールを守れる二人であると考えた。話せないことは避け一般的な話に終始してもいい。おれだけが話してもいい。そう思って、会う約束をしたのだ。


 考え事をしすぎていたかもしれない。盛大に道に迷った。「スマホの地図アプリが画面真っ黒で見えません」とか何やかんやあって、結果30分間お待たせした Ryuya さんにやっと待ち合わせ場所付近に着いたと報告し、「電話しつつ頭を下げる人」をリアルで群衆に見せつけた。泣きたい。泣きたくはない。
 「いえいえ20分ですから」
 「30分ですよ!」
 この会話さ、先にRyuya さんの言葉、後がおれの言葉だと思うでしょ?
 
 ……ま、そうなんだけどね。逆なら怖いよね。びっくりした?

話がどんなテーマの時であれ、パフェ食わないと死ぬ呪いを子どもの頃にかけられている

 さて、Ryuya さんとの会話をどう書こうかな……
 Ryuya さんとの対話には内容的にはシリアスな部分があった。事前のメールでのやり取りではそれこそ待ち合わせ場所を決める以上のものではなかったが、性的少数者の「相談のしにくさ問題」が話題の中心で、それがすべてであることは互いに言葉にせずとも了解事項だった。どのような課題が横たわっていて、どのような支援がデザインできるのか問題意識を共有する時間だ。しかしこれは note だ。読み物として成立するよう書くべきであるし、そのまま書いてもなあという思いは出かける前からあった。そのまま書けない話もあるだろうしな、ということもあったし。
 ひとつ思うことがあった——「話を聴くプロ」と「自己開示する講師」ならどんな風に理想的な対話をやり遂げるものか雰囲気を伝えたらどうだろうかと。これから相談に行くことを考えて不安に感じ警戒もしている人たちに対して、ひとつのメッセージになれないかと。「槇原敬之の歌」に始まったこの文章は「相談者に向き合う時に相談員がどれほど迎え入れる準備をするか」言葉を尽くすためにある。もし相談者に「心を開く」準備があったら?

 おれは相談員という仕事を知っている。分野もアプローチも同じではないけど、Ryuya さんとは感覚的に通じる面があるだろう、と考えた。それで安心する。何をベースに価値観を育てて来たかも、それゆえの思考の傾向も、完全に同じではなくとも近いと予測することができる、と考えた。それを安心につなげる。こっちの学びの浅さがバレてしまうなと思いながら、「それなら隠す必要もない」と心を開いていくことをする。無論あちらもおれから精査されることを理解している。相談者は相談員をよく見ているものだ。

 無駄話をはさんだり、笑う場面もあった。Ryuya さんが言葉を選びながら話すときの癖がキュートで、つい同調効果ミラーリングしそうになり、可笑しくて笑いだす瞬間もあった。相手はプロで、信頼関係ラポールが前提的にある状態でそれをする必要など全くない。ただ「それをしたら笑うだろうな」と思い、いたずらを仕掛けようとして、そんな自分に笑ったのだ。またRyuya さんの側も、やはりこちらのアイコンタクトや非言語的ノンバーバルな表現をよく見ておられたらしい(と、後で聞いた)。リラックスしてポジションを奪い合うのではないラリーを続ける。今回は相談ではないから内容は普通の報告会であるし、ことさら「理想的な相談員と理想的な相談者」を役割演技ロールプレイするのでもないけれど、互いの力量によっては理想的な対話セッションができることを再現し、その安心感と心地よさを味わうことに努めた。この日は理想的な「相談」がどんなもので、それが実現可能かを確認する時間だったのだから。「性的少数者には安心できていない現実」について話しながら、相談員と相談者のポテンシャルに思いを馳せていた——「どちらも育つことができるはずだ」、と。

 おれが考えていたこと。——「相談窓口はいくらでもある。その社会的機能を能動的に育てて行こう」と書くこと、それがひとつめ。

①できるだけ行政の相談窓口を活用する

 自治体等の相談を活用していくことは、窓口を存続させる上で大切です。
 あなたはこう考えるかもしれません——Ryuya さんがいる「就労支援」に特化した相談窓口でも相談件数と内容は集計され、あなたの悩みは共有されて全国の相談窓口を「成長させる」のではないかと。それは「社会の在り方に対するとても健全な期待」ですが、相談件数を国に計上するのは「行政の」相談窓口です。行政を活用することを意識して行かなければ、国は「性的少数者からの相談はない」と見なし、そこの予算をカットする。だからあなたが相談を必要としているなら、①「性的少数者なのですが相談できますか」と問い合わせること、②実際に相談に行ってみること。それが、サービスの存続につながるのです。
 「必要な人がいない」と判断されれば事業の維持に予算が割かれ続けることはありません。明日も明後日も性的少数者は日本のどこかで生まれ、あなたがそうだったように成長して苦しむ。だからこそ相談窓口は存続させなければならないし、利用はニーズの重要な可視化です。事業を支えるだけでなく、どんな支援が必要なのか人々が知る上でも、あなたの経験が必要です。「経験談が」必要なのです。
 
 「性的少数者も相談できますか」という一本の電話が相談窓口の体勢を整えることがあります。相談員が勉強会を催すきっかけになることがあります。あなたは明日の相談事業を作ってもいるのです。——今は到底そう思えなくとも、事実そうなのです。「支援につながる」とはそういう営為です。

・ 行政が提供している既存の相談窓口をできるだけ活用する
・「期待」ではなく「信頼」。心を開き、思いを預ける
・「ここは合わない」「相談員が勉強不足」と感じたら、別の窓口へ

 そして、「できるだけ対面相談で」「Zoom相談なら自分の映像はONに」すること。これがふたつめ。

②相談員に対しては「必要な情報を提供する」

 Ryuyaさんのところで就職相談を受けるなら、障害者手帳など公的書類の提示が必要なケースがありますが、ごく一般的な相談の場において、あなたが個人情報を明かす必要はありません。本名や住所、連絡先を訊かれることはありません。しかし相談員に対して積極的に明らかにしたいポイントがあります。相談員に「話す」だけでなく、「話している間のあなたの様子を」相談員に見せることです。

 Ryuya さんは私と対話をしながら、私の表情や口調の変化など、反射的なものを含めて反応を見ていました。これはじろじろ見られる経験ではなく、テストでもなく、相談者(あなた)が「観察されている」と感じることはありません。実際、熟達した相談員側には「観察する」という意識さえありません。自然と情報を得るのです。しかしその情報こそ非常に大切なのです。
 この非言語的ノンバーバルな情報は、あなたという人について、あなたが現在おかれた状況について、あなたがどんな状態かについて、とても多くのことを相談員に知らせます。Zoom相談で相談者側が自分の映像をオフにしていると、相談員に届く情報は半分以下になります。他に何もしなくても、自分の映像をオンにするだけで、効果はアップします。対面相談がある窓口なら、なるべく対面相談に行きましょう。それだけで「あなたを支えようとする相談員を助けられる。あなたもあなたを助けている」のです。相談員という伴走者を得て、あなたも現在の困難な状況をコントロールしているのです。相談に行くと、自分を助けるために努力した自分を頼もしく思えるはずです。事実あなたは、ご自身を助けるために出かけることができた。

・Zoom相談では、相談者は自分側の映像をONにしよう
・相談に行くことで、誰より自分が自分を助けているのだということ


自分の「過去のやり残し」と向き合う日だった

 経験上、自分も「どこにも持って行き所がない」悩みや「何かそこから回りまわって社会が良くなることにつながるかもという一心で」爆発しそうな思いを預ける場を求めている人がどれだけ多いか知っていました。匿名で相談するのが精一杯で、支援につながるなど次のアクションに移ることができない人も多いことも感じていました。それは相談員をしたことがある人なら誰でも身に染みているようなことです。

 本来であれば既存の行政窓口などの相談機関が、既に充分に対応できるようであればよかった、企業が労働者を支えられればよかった、もっと大きなそもそもの「YES」を国が国民に向けて発しなければならなかった。相談機関は「声を上げてくれるのを待つ」面がどうしてもありますが、相談に行く人がまず不安を抱えてしまうのであれば、窓口として変化して行かなければならない。声を届けることに何がハードルになるのか考え抜かなければならない。安心を作ることは、作る側が待っていてはできません。そうした焦燥も危機感を、活動の現場から離れて久しいけれど、思い出していました。

 自分も相談事業に関わっていた過去もあり、それ以前に活動家であり、本のこともそうかもしれませんが、マイノリティが安心してアクセスできる窓口が増えることを願って来たのです。医療に関しては、講師を続けて「窓口になれる」人材に育ってくれるよう願って来ました。

 だからこそ、今回 Ryuya さんに会いに出かけたのでした。相談にすらアクセスできない人が大勢いて、せっかく窓口までたどりついても支援につながれない人もまた大勢いると、思い出すために。社会に期待しながら、傷ついて、失望して。歌ひとつ安心して聴けない、大好きなアーティストの歌でも落ち込んでしまう人たちがいることをこれからも考えて行くために。


 さまざまなニーズが「もっとも安心できそうなところに」一極集中しやすいことは、考えるまでもなく当然です。しかしたとえばRyuya さんのところは「就職したい人のために」開かれているのであり、その本来の目的を考えれば、就職を目的としない相談が窓口をパンクさせ、他の利用者の相談機会を制限してしまうリスクは重く考えられなければなりません。目的を障害者の就職に特化した窓口/セグメントであるという点は、社会にとって人にとって、非常に豊かなこと。その窓口がパンクして機能不全にならないよう、利用する側が「障害者として就職を見据えた相談でないなら」他の窓口を活用することも、いま大切なことだと感じました。

 事業のサイトを眺め、Ryuya さんと話しても感じるのは、「性的少数者の悩みをよく知るだけに、そこへ思いが走っている」ということ。割り切れないのだろうし、見捨てておけないだろうし、話を聴いてしまうのは分かる。ある程度、そうなることは避けられないし予期されたこと。しかし性的少数者からのキャリアに関する相談は「LGBTQ+個別キャリア相談」で受け、障害者からのキャリア相談は「ダイバーシティ・キャリア」で受け、性的少数者からのキャリア以外の相談については、なるべく他の相談窓口を利用してもらうしかない。本来そうではあるし、結論としてそこを徹底するしかないのだろう、と感じました。事業側としては大変苦しく割り切れない思いなのだなと、文字通り「断腸の思い」であろうことは、Ryuya さんの日記からもひしひしと伝わって来るのだけれど。
 うん。悩ましいよねえ。これは。

 それでも「お互い踏ん張るしかないよなあ」と、(おれは)思いました。「ボロボロになっている相談者に、窓口を育てろと書くことは本当にいかがなものなのか」という迷いは、もちろんあったけれど、……いつも自分たちで発信していくしかなかったじゃんすか。修正しつつ、進むしかなかった。
 企業が労働者の環境を整備する上で、性的少数者も安心して働けるよう取り組みを模索している時代、それに応えて差し伸べられた手をちゃんと握り返すことも大切だ。ニーズの可視化をここでも重ねて、流れも大切にして。
 就職を考える性的少数者は「LGBTQ+個別キャリア相談」に相談したらいいね。思うにぴったりな人はこんな人——「就職・転職を考慮中で」「企業内外の前進を支えたい」「よき循環を信じる」「キャリアアップの相談がしたい」。いい流れは生かさないとね。

  障害や病気をもち就職が不安でたまらない人、相談さえ困難としか思えない人も、一度はRyuyaさんに相談してみるといい。3時間にわたって話して感じたのは、彼が相談員として経験豊かで、資質としても恵まれており、安心して相談できる専門家だということでした。
 これはそんなレポートです。

  これから相談を考える(もしくは相談するなど考えることもできないでいる)人たちに向けて、この経験を言葉にしようとして、何日も悩みました。この記事でやりたいのは安心してもらうことだし、心理面でのハードルを下げることだった。それが上手にできたかどうか分からない。でも誰かが受け取ってくれることを祈って、アップしておこうと思います。

 カメラはONに、できれば対面相談へ。相談員がどんな人たちだか知ってる?  まだ見知らぬあなたがドアに辿り着けるよう祈ってる。あなたが話そうと決心したことがどれだけ奇跡的であるか分かってる。彼らはあなたがつかんだチャンスを最大限生かせるように必死になる。だから、あなたは時々、相談員を助けもするのです。何をすればいいと思いますか。できる限り心を開き、話すのです。——頑張って。

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