知識は、いつか背中を押してくれる。
以前、教育者の工藤勇一先生のラジオやYouTubeでとても衝撃を受けた、といった記事を書いたことがあったのですが。
私の今の、
「不登校ということに必要以上に悲嘆したり劣等感を抱いたりせず、やれることをやっていこう」
というスタイルは、工藤先生の考えに励まされている部分がとても大きいのです。
なので先のことで迷った時、不安が強くなった時。
私が子どもの教育ということで心の支えにしている方のおひとりでもあります。
今日は、あるお母さんに工藤勇一先生について紹介したときのお話をしたいと思います。
お子さんが少し不登校気味、という方でした。
※この記事は実際の出来事をもとに、個人が特定されないよう一部内容を変更・再構成しています。
私は紹介しただけでした。
「こういう先生がいらして、私たちの問題を解決してくれるわけではないけど、教育の分野にこういう考えの先生がいらっしゃるということが私には救いなんですよ。」
何気ない世間話の合間に。
私はそんなニュアンスで、工藤先生のお名前と、YouTubeのチャンネルがあるよ、というようなことを簡単に紹介しただけでした。
詳しくこの動画!
とか、
この言葉!
とか、
このノウハウ!
とか、そういうことは一切言ってません。
もちろん私は専門職としてではなく、ごく普通に不登校の親の立場で。
ただ控えめに
「この先生のお話に、私は気持ちを救われています。」
と、言っただけでした。
後日、
「あの時、工藤先生のことを教えてくださってありがとうございます!」
と、そのお母さんから連絡をいただきました。
はて?
なんのことだろう。
詳しい話を伺うと。
どうやら、学校の先生から連絡をいただいた時に、工藤先生の動画のひとつからヒントを得て、お母さんから
「こういう方法をとってもらえませんか?」
と相談をしたのだそうです。
先生方もそれを受け入れてやってみようと決断されて。
そうしたところ、少しずつお子さんの足が学校に向くようになり、登校する日も出てきたとのこと。
私は決して「なにがなんでも学校に行けばいい」と考えている派ではありません。
けれどお母さんの明るい声、そして無理やりにではなく自分から学校に足を向けるようになったというお子さんの話を聞いて、
「よかったですね!」
と、なんのてらいもなく返していました。
うーん、
ふふふ。
こういうお話を聞くのは嬉しいことですね。
さてでも。
結果以上に私がうれしかったのは、このお母さんの中に
「まだやれることがある」
という気持ちが生まれたであろうことでした。
情報や知識だけでは、人は動かない。
もちろん工藤先生のさまざまなご経験、ご実績、それを伝える力のすばらしいことは言うまでもありませんが。
実際にがんばったのは、素晴らしかったのはそのお母さんご自身。
そしてそっと背中を押されて、自分の足で学校に向かったそのお子さん。
それと、お母さんの相談によって「じゃあやってみますか」と実行してくださった学校の先生方。
更に言うとこれは、いつでも誰でも同じような結果が出ることだとは思いません。
このお子さんにとって、それがたまたまトリガー(きっかけ)となったという話だと思います。
その方法が子供に合うかも?と決断できたのは、普段よくお子さんを見ているお母さんがいてこそ。
親の目×お子さんのがんばり×学校の先生×工藤先生のノウハウ
それにもうひとつ、
タイミング。
これが全部合わさったのだと思います。
だから私はこの流れを
「登校してよかったね!」
だけで終わらせるのはちがうかなと思うし(よかったのだとは思いますが)
ここを読んだ誰かが
「同じようにやってみる!」
としたところで、必ずしも同じ結果になるわけではないのだと、あらかじめお伝えしておきます。
そもそも不登校の35万人にいつでも効くノウハウなどというものがあるのなら、そんなものを作り出すことができたら、こんなにもたくさんの人たちが不登校に悩んでいるはずがないのですから。
知識は、いつか背中を押してくれる。
私がこの話を聞いて、また、普段からつくづく思っているのは。
不登校について発信されている情報や知識は、どれも「正しい」「間違っている」と簡単に言えるものではない、ということです。
ただ、
そのときの本人や家族の状態、
その子の特性、
学校との関係、
タイミング。
そういったものにその情報や知識が合っているかどうか。
それは本当にケースバイケースだと感じます。
だから私は、
「これをやれば大丈夫」
という話よりも、
「こんな考え方もあるよ」
という話を知りたいし、伝えたいなと、最近よく思うようになりました。
なにより私自身がそうやって、今この場所に立っているように感じているから。
情報や知識、そして努力したことは必ずしもすぐに役に立つわけではないのだけれど、決して無駄ではない。
すぐには役に立たなかったことが、
数か月後、数年後、
「あの時聞いたことが、今、使えるのでは?」
「これはあの話と似ている。やってみようかな」
と誰かの背中をそっと押すこともあると思うのです。
それはもう、元の知識や情報とは同じものではないかもしれない。
でもきっとそれは、その人自身の経験や毎日の葛藤やいろんな人のいろんな話と混じり合った、その人にしか使えない、確かな知恵になっていくのだろうと思います。
