【直母拒否】悲しみと復帰までの道のり
母乳育児、こんなにたいへんだとは思ってもみませんでした。
わたしの産後〜3ヶ月までの流れは以下のとおり。

こんな感じでいまは拒否がなくなり、完母にはなれなかったけど、混合栄養を継続中です。
同じように拒否に悩むだれかに希望を与えられれば…と思い、
復帰までのあれこれを記録に残そうと思います。
書く予定のこと
拒否のきっかけとつらさ
復帰までにしたこと
AIの使い方
保護器のあれこれ
哺乳瓶の乳首
搾乳機と搾り方のコツ
桶谷式の助産師訪問
拒否のきっかけ
もともと入院中から、ギャン泣きして吸えないことが多かった。
ほんとうは完母で育てたかったけど、退院直前でも10mlぐらいしか出ていなかったので、完ミの場合と同じ量を飲ませていくことになった。
母からは「自分のときはたくさん出たから大丈夫」といわれ、
助産師さんや友人からも「じょじょに増える」と言われていたので
「まあこんなもんか♪」と、のんきに構えていた。
退院後は保護器をつかいながらだったが、片側5分を2回で計20分、毎回、お手本どおりやっていた。
でも、2週間後の母乳外来でも片側5mlくらいしか飲めておらず、
1か月すこし過ぎて測ってもらったときには、20分で8mlくらいしか飲めていなかった。
ぜんぜん増えてないじゃん!!?!!!
授乳を見てくれた助産師さんからは「哺乳瓶でいいやと思ってマジメに吸ってないね」と言われた。
そんなあ。
今まで毎日、毎回20分も吸ってたのに? この1か月なんだったの??
いよいよ焦りはじめて、体勢をいろいろと試したり、泣いても無理やり直母しようとしたりした。
すると、こちらの焦りや必死さが子にも伝わったのか、そのあとから本格的な拒否が始まった。
喪失感
必死に体をのけぞらせてギャン泣きで拒否されると、自分の存在が否定されたみたいに感じる。
拒否されたあとにミルクを作るときの情けなさったらなかった。
母乳でもミルクでも「赤ちゃんが元気に育ってればOK☆」という決まり文句はたくさん見たし、
栄養や免疫の面からも、そこまで大きな差はないこともわかった。
自分が拒否されているわけではないのも頭ではわかる。
母乳以外で愛情を注ぐ方法はいくらでもある。
完ミになったとしてもなんの問題もない。むしろこの執着から解放されれば楽になる。
産む前だって「どっちでもいいや、出たら母乳かな」くらいの感じだったのに、
なぜか「やっぱり母乳で育てたかった」という気持ちが日に日に強くなった。
直母は母親の特権だし、飲んでくれている姿をみるのは想像以上に幸せなことだった。
それが突然なくなって、とてもショックで、悲しかった。
その喪失感の大きさには自分でも驚いた。
不公平感と後悔
なんで自分だけ?
母測してもいつまでも一桁。
NICUとか、帝王切開とかで授乳ができずに母乳が増えなかったという話はよく見るが、
母子ともに元気なくせに母乳が出ない、自分のようなケースはほとんど見たことがなかった。
色々調べると、とにかく吸わせることが大事だったとあとから知った。
そういえば入院中、「預けてゆっくり休んだ方がいいよ~」という友だちの助言を真にうけて、夜間同室せず、3時間おきの授乳だけをやっていた。
分娩も計画無痛だったし、夜のお世話もなまけた、自分がラクすることばっかり考えたバチが当たったんだ…とおもった。
なんども産んだ直後にもどってやり直したいとおもった。
混合がこんなに大変だとは知らなかった。母乳がこんなに出ないとは思わなかった。
Xで「○ml出た!」とか「幸せな時間♡」とか見るだけでも勝手に傷ついてたし、直母できるようになった今でもズキズキしてしまう。
3時間ルール
産院で「ミルクは消化に時間がかかるから3時間あけるように」と言われていたので、
泣いていても、手をペロペロしてどうみてもお腹がすいてそうでも、ギャン泣きの子を抱えたまま、罪悪感や困惑や悲しみにまみれながら、なんとか3時間やりすごさないといけないのがキツかった。
いま思えば厳格に守る必要はなかったと思うけど、当時は守るものだと思っていた。
そんなこんなで産後のホルモンバランスの乱れや寝不足にくわえ、直母拒否のストレスがくわわり、
ふとした時に涙がでてくるし、授乳の時間が苦痛でしかたなかった。
夫が仕事にでかけたあとの心細さ、夫が帰ってくるまでの時間を逆算したときの絶望感は、いままで体験したことのないものだった。
なんか辛気くさい話になっちゃったね。
次は復帰までのことを書きます!↓
