仕事を通じた葛藤を物語る
今の仕事に就いて5年。とても学びの大きかった5年間。
そこから生まれたのが、今TALESで連載している物語。
手元で書き終えているのは物語の3分の2なので、あと3分の1が残っています。
次の創作大賞にもチャレンジすることを考えると、3月までには書き終えたい。
書き始めたのは今年だけど、2025年という年を振り返ると、そこには私の5年間が詰まっています。
そう思うと、物語に至った経緯にすこーし感傷的な気分になりました。
物語の創作秘話であるとともに、今年、なぜこの物語を綴ろうと思ったのかを、2025年とともに振り返りたいと思います。
訪問支援という仕事
「保育所等訪問支援」という仕事を5年行っています。
児童福祉法に基づくサービスで、保護者の依頼で、対象のお子さんのいる保育園や幼稚園、小学校などを訪れて、そのお子さんたちが集団生活に適応できるように支援するのが、訪問支援という仕事。
参考:子ども家庭庁「保育所等訪問支援ガイドライン」
とってもマイナーサービスで、児童発達支援や放課後等デイサービスと比べると、やっている事業所、ほとんどありません。
学校や園という場に、ひとりで行ってひとりで帰ってくるというのが、とても敷居を高くしているのではないかと思っています。
やっているところが少ないから、結果、圧倒的に知られていない。それが訪問支援。
ただ、利用した保護者さまからは、とにかく感謝されるサービスです。
「訪問支援を利用して、子どもの様子がわかった」
「学校で子どもに声をかけてくださって、ありがとうございます」
「子どもが集団活動に参加できるようになった」
先日、色々な職種の方と話すことが多いという接客業の保護者さまからは
「世の中で一番尊い仕事をしている」
とありがたい言葉をいただきました。
世の中には尊い仕事をしている人がいっぱいいると思うけれど、同僚と一緒にもらい泣きしてしまったほど、うれしい言葉でした。
そんなお仕事。保育所等訪問支援。
すんごい面白い。でも、めっちゃ大変。
なにが大変かと言うと、
保護者の依頼で、園や学校に訪問して、対象の子どもとの関わり方を先生に助言をするというサービスだから。
これに尽きます。
わかるだろうか。
先生の立場になってみてほしい。
親のスパイがやってきた気分だと思います。おそらく。
最近は、ありがたがってもらえることも増えましたが、このサービスがはじまった当初は、地獄のようなことがありました。詳細は伏せます。でも、とにかく大変でした。
基本的に、大きな壁からはじまるのがこのサービス。
では、この壁を乗り越えるためにはどうするか。
先生と仲よくなるしかない。
私たちは敵ではなく、仲間だと思ってもらうしかない。
じゃあ、仲よくなるためにはどうすればいいか?
彼を知り己を知れば百戦殆からず
当初、とにかく、さまざまに学校文化や仕組みのことを学びました。学習指導要領とか学校経営とか校務分掌とか。おかげで、学校に所属してないのに、学校のことにけっこう詳しくなりました。今では、新しい学校に行く時に学校経営計画とか読んじゃいます(なんじゃそれって思いますよね? 実は、各学校のHPに掲載されているんですよ……)。
でも、それは前提。
仲よくなるためのひとつ。
先生と仲よしになるためには、先生の思いだったり、考えだったり、学級経営の方針だったり、そういうのを聞いていって、やっと仲よくなっていけます。
今書いている物語そのもの。
先生と関わって、話を聞いていくと、その先生方を知れて、好きになって、尊敬できて、そういうところから、物語の欠片は生まれました。
だけど、訪問支援はあくまでお子さんのためのサービス。
先生と仲よくなるのもまた、ひとつの通過点にすぎません。
お子さんの笑顔が増えるのか。
楽しいという発信が増えるのか。
できることが増えるのか。
それがゴール。
先生とタッグを組んで、そのゴールを目指すのが訪問支援のやりがい。楽しいところ。面白いところ。
私は、自分が支援をする時には、助言やアドバイスをしないようにしています(していないつもりでいます)。
訪問支援のガイドラインに書かれている言葉ではあるけれど、「助言」というのは、先生に失礼な言葉だと思っています。先生にも考えがある。思いがある。子どもに関わるという意味で、私たちと先生は対等です。だから、先生と相談しながら一緒に進めます。
相談して、時には「こういう方法もありますけど、どうですかね?」と提案をします。
「ちょっと……」と言われたら、「ですよね!!」と笑顔で引っ込めます。
難しいと言われるのであれば、それは見立て不足。先生のことを知れてなかった自分のスキルの問題。
逆に、先生が「やってみます!」となったら、すごくうれしい。ほんとにうれしい。
でも一番うれしいのは、先生が実際にやってみたら、お子さんができた!笑顔になった!!という話。これより、うれしいものはありません。
ここに、訪問支援の楽しさがすべて詰まっています。
先生とやったーと手を取り合ったり拍手したりできると、最高。
ほんとうによかった、とやっている側も心から思えるサービスです。
ただ、こういったポジティブなエピソードだけではありません。
なかには、とてもしんどい話がいくつもありました。
物語が生まれたのは、そういったしんどかったケースに対して自分ができなかったこと、不甲斐なさ、至らないと感じたことがきっかけになります。
(※以下ご紹介するケースは、意味合いを損ねない程度に一部架空の内容となっており、実際のケースではございません)
しんどかったケース
ある年、担当するお子さんが、クラスのなかでいじめられるということが起きました。
その子は、もとは支援級。
高学年になって通常級に転籍してきました。
その子は数年間ずっと支援級にいながら、同じ学年の子たちと交流してきたけれど、転籍してきて仲間になったら、扱いは変わりました。
あいつは変だ、言っても聞かない、なに言ってるのかわからない、しつこい。
いじめた子どもたちの主訴はそうでした。
でも、対象のお子さんは、「友だちがほしい」と私に話していました。
「先生、仲よく喋れる友だちを作りたい。友だちとアイドルの話がしたい」
そう言っていました。しつこかったのは、その理由からでした。
私はほんとうに偶然、そのいじめられる現場を見ました。
いじめが起きて、保護者も、先生もつらかった。
あれは、だれの責任でもなかった。だれも悪くなかった。
お子さんはただ、友だちがほしいだけでした。
私にできることは、何もありませんでした。ただ起きていく事実を見つめ、お子さんや、保護者や、先生の話を聞くしかできませんでした。
どうして、こんなことが起きてしまったんだろう。
私にできることはなんだったのだろう。
だれも悪くないはずだった。
物語を書く原点、となったできごとです。
考えさせられたケース
ところが、この疑問に重なるようなケースと出会いました。
対象の子は、ふつうであれば特別支援学級いるようなお子さんでした。 だけど、進んだのは通常級。 その子を知っている周りは、みんな心配しました。とてもやっていけないだろう、と。
でも、出会った先生が、スーパーマン。
とにかくもう、すごい先生でした。訪問支援としてやることは何もないんじゃないかっていうくらい、全体の指導が整っているから、クラス自体が落ち着いていて、余力でお子さんの特性に合った配慮もしてくれる先生でした。
なによりポジティブな言葉が多い。
クラスを褒めまくる。子ども一人ひとりにあった声かけをされる。
だから、クラスの雰囲気が信じられないくらいよかった。対象の子が困っていても、みんなが当たり前に手伝ったし、できないことができるようになったら、みんながその子をいっぱい褒めました。
先生の真似をしているみたいに、クラス全体があたたかい空気でした。
その子は、一年間で信じられないくらい成長をしました。
次の学年になって、先生が変わっても、もとのクラスの子たちが対象の子を理解していたから、子どもたちが自発的に、当たり前に、その子が困っていたら助けたし、声をかけていました。
その子が、他の子を助けることもありました。
このケースに出会って思ったのは、子どもたち同士がお互いをわかり合うというのは、どういうことなのだろうか、という疑問でした。
いじめのケースと、このケースでは学年がちがいます。
学校も先生もちがう。管轄する教育委員会だってちがう。
一緒くたに議論できる話ではありません。
そういった差異や差分に気をつけながらも、排除されてしまったあの子と、当たり前に自然と受け容れられていたあの子、なにがちがったのだろう、と。
それが、疑問として残りました。
先生や学校を責めたいのではない
冒頭にも書いた通り、私は先生たちと仲よくしたい、仲よくなりたい、一緒に子どもたちを支えたい、と思っています。
手を組めれば、お子さんたちにとって驚くほどいい影響があることを知っているからです。
けれど、今の学校は、先生たちにとってとても過酷です。
教員不足。教えなければいけないものの種類と量。保護者対応。教育委員会や文科省から降ってくるやたらと多いアンケート。──業務量の多さ。
そのなかで、めげずに、辞めることもせず、今なお、教育の現場で先生という仕事をしている先生たちにはリスペクトしかありません。
私はいつも先生たちと話すと、「この先生は子どもが好きなんだな」と感じます。「教えることが好きなんだ」と。
ほんとうに尊敬できる先生たちと、5年間でたくさん会ってきました。
色々学ばせてもらいました。学ばせてもらったものが、次の支援に生きたことがいっぱいあります。
だから、物語には、先生たちの尊敬も込めました。
ニュースになるのは、教員の不祥事ばかりです。
でも、その倍も何十倍も、すごく素敵な先生たちがいっぱいて、素敵な実践を重ねていらっしゃることが知られてほしいと思っています。
そういう願いが、物語には込もっています。
日本の教育課題
一方で、日本の教育は、国連から勧告を受けています。
これはとても考えさせられたニュースでした。
障害者を分離して教育するのは差別のはじまりだ、という。
知らない方がいらっしゃるかもしれないので補足すると、日本の学校には、大きく分けて、
通常の学級(普通級、通常級)
通級指導教室(通級、取り出し)
特別支援学級(支援級)
特別支援学校(支援学校)
こういった分類があります。※カッコ内はよく聞く通称。
特別支援学級は、昔は特殊学級や、障害児学級、特別支援学校は、養護学校などと言われてきました。もしかしたら、読み手の世代よっては、そういった言葉のほうが馴染みがあるかもしれません。
今日本で行われている特別支援(Special Needs Education)は、障害などの特性がある児童は、本人たちのニーズと特性にあった教育をしたほうがよい、という考えの基にあります。このSpecial Needsに合わせた学級や学校が特別支援学級や学校であり、結果的に通常の学級とは分けて行われていることが多いです(※詳細は下記リンク参照)。
これを、国連は「分離教育」であり、「差別」のはじまりであると日本に勧告しました。
この勧告があった直後、Xでは、いろんな声がありました。
そのなかで一番、私が読んで衝撃を受けたのは、
「障害者が通常級にいたら、みんなが困る」
「お世話係が増える」
「授業進行の邪魔になる」
そういう、一般の人たちの声でした。
ああ、これこそが、分離教育の結果なんだ、と衝撃を受けました。
特別支援教育がはじまって20年近く……その前は特殊学級や、一律の教育として、はみ出てしまう子は排除されてきて、致し方なくお世話係を担う子たちがいた……
私が経験した2つ目のケース。
あの子たち、あのクラスの子たちは、対象の子がいることに困っていませんでした。当たり前にいる存在として、受け容れていました。その子が、困っていたら、だれかが怪我をして転んだ時のように「大丈夫?」と声をかけていました。他にもいた特性のある子たちにも、みんな同じようにしていました。だって、それが当たり前だから。
もし、あれがお世話係で、みんなが困っている状況だったというなら、私は自分自身の目を塗りつぶしてやりたい。支援者として失格です。
あのクラスの当たり前は、絶対にネガティブなものではありませんでした。
けど、それが、世間の当たり前ではない。
これまで分離されてきた世界で生きてきた人たちにとって、当たり前の光景ではない。
その結果がXの声。
その結果が、もうひとつのいじめのケース。
対象の子は、ずっと個別に、支援級で、放課後等デイサービスで、SST(ソーシャルスキルトレーニング)を受けて、人との関わり方を学んできました。声のかけ方。距離感。視線のやり方。相槌……
でも、通常級に混ざったら、意味を成しませんでした(※)。学んできたはずなのに。何年も、ずっと。
それは、よく言われるその子のスキル不足だけが問題なのでしょうか。
(※スキル般化の問題もあります。スキルというのはそもそも練習場面では身につかないとこれまで指摘されています)
当時、保護者が、私に訴えたことがあります。
「このあいだ、担任の先生に、もっとはやく通常級に転籍していればって言われました。親として、ほんとうはそうしたかった。でも、個別の支援を受けたほうがいい。転籍は、はやい。まだ集団に入るための練習をしたほうがいい、そう今まで学校には言われてきました。
──その結果が、これですか?」
正解なんてわからない。低学年のうちに転籍していたら、いじめられなかったのか? と聞かれたら、そうではないかもしれません。なにかべつのトラブルがあったかもしれません。
だけど、通常級とか支援級、特別支援学校があることで、保護者も子どもたちも分断され、なかには孤独感を抱き、互いの存在を知らずに育っていく。
分けられて育てば、その子たちとの関わり方や、その子たちがどういう考えを持っているのかなんて知らなくて当たり前。
そういう連綿とつづくものが、世の中には流れている。
これが、とても悲しかった。
私はただ、支援級や支援学校を否定しているのではありません。なかには、集団ではなく、個別の、刺激が少ない環境のほうが自分らしくいられるという子どもたちもいます。そういう保護者の方もいます。
けど、それは本人たちがそうしたいと選ぶもので、苦しんで悩むものではないはずです。
当たり前に、みんな一緒に学んだり過ごして、互いのことをわかり合っていく過程というのが、本来の社会のあり方ではないだろうか、と思います。
それを、なぜ学校では分断するのでしょう。分断して、途中で合流すれば相容れない。
タイミングが悪ければ、いじめや、不登校、非行、二次的な障害、自殺などの問題に発展します。
私は、それが、とても悲しかった。
だから、物語に託そうと思った
国連の勧告を受けて、教育現場では、今も少しずつ少しずつ変わろうとしています。変わってきている教育を受けている今の子どもたち。その子どもたちが、大人になってきて、やっと少しずつ変わってくるのではないかと思います。
諸外国──そのうち、フルインクルーシブ教育を取り入れているイタリアは、五十年前のバザーリア法(※)以降、改革をつづけてやっと、どんな子でも同じ場所で学ぶことが馴染みつつあると聞きます。
(※バザーリア法は、精神医療における転換で有名な法律だが、イタリアの障害児教育にも影響を与えたと言われています)
だから、日本であらゆる多様性が包摂される社会になるのは、五十年、八十年、世代交代を終えて、おそらく百年くらいかかると思っています。
それは、とっても遠い先。
きっと私は、生きているうちに見ることのできない社会だと思います。
でも、そのあいだに、変わっていく過渡期のあいだに、いじめのケースのようなことは、いっぱい起きます。わかり合えなかった結果、怖い事件だって起きるかもしれません。
私のような支援者ひとりが関われるケースは、20人とか多くて30人。
同じ志を抱いている人も、どれくらいいるのかわかりません。
届かない人は、届けられない人は、いっぱいいます。
目の前の人にしか届けられないことを、どうやったら他の人に届けられることができるだろうか?
──物語に託そう。
もう同じ悲しい思いをする子がいないでほしい。
「友だちがほしい」「アイドルの話がしたい」という当たり前で純粋な思いが無碍にされるような社会であってはならないと思います。
2025年の振り返り
今年も変わらずいろんなケースに出会って、うれしかったり楽しかったりして笑って、悲しかったりつらくなったりして泣きました。
でも、私の気持ちは物語に詰まっています。
願いを物語にしました。ファンタジーに、託した。
まだ完結はしてないけれど、物語に託している願いは、2025年の振り返りとともにあります。
ということで、
2025年の振り返りは、創作めちゃくちゃがんばった
この一言です。他作品含めて、100万字書きました。がんばった、うん。
詰まっている願いは、ここまで書いた通りです。
ファンタジーで、生々しさを上手く包みこんだつもりです。生々しい部分もあるけど。
異世界ファンタジーは人によっては読みにくいかもしれません。苦手な人もいると思います。
でも、もし、ハリー・ポッターを楽しんだことがあれば、少しだけ楽しんでいただけるかもしれません。
完結を目指して、来年もがんばって執筆つづけます!
以上、振り返りでした!
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