雑記のような執筆の悩みのような|子どもたちの、ほんとうの願いとはなにか
8月が終わりますね。来週からは9月です。
すでにはじまっているところもありますが、9/1から学校がはじまるところも多いのではないでしょうか。
夏休み明けから二学期ではなく、最近は前期後期制も増えて、まだ前期などもありますが、夏休み明けというのは区切りのひとつではないかと思います。
9/10〜16は、自殺予防週間となっています。
夏休み明けは子どもたちの自殺が増える期間と言われますが、子どもの臨床に携わる者のひとりとして毎年意識する時期であり、いつも以上に子どもたちの思いを聞き逃してはいけないなと思います。
子どもたちが吐露する気持ちを、働くようになってから九年、色々聞いてきました。
テストで100点が取れるようになりたい。
友だちがほしい。彼女/彼氏がほしい。
第一志望の学校に合格したい。
子どもたちの気持ちや願いというものはとても大事で、本人のニーズと呼ばれるもので、臨床や支援に携わる者はみな大事にするのではないかと思います。
この本人のニーズや願いと呼ばれるものは、文字通り言われた通りを受け取ってしまってはいけない、と痛切に思うことがあります。
子どもによっては相手によってちがう願いを口にします。これは子どもだけじゃなくて、大人だってそうです。会う人喋る人によってちがうことを言うのは当たり前で、よくあることで、どれがほんとう、というものではないです。揺らぎがあるのが当たり前です。
けれど、支援や臨床に携わっていると、どうしても言質を取りに言ってしまうことがある。
保護者に言ったことだからほんとう。
仲のよい友だちに話してたことが一番合ってる。
先生と一対一で話した場面だから、真実に近い。
どれも一場面でしかないのだけど、どれかを〝ほんとう〟の言質にしてしまうことがあります。
あるいは、対する大人側が願っていることを、その子の発言に汲み取って解釈してしまうことが多くあります。
どれもほんとうで、あるいはどれも異なってしまうかもしれないのに、〝ほんとう〟を決めようとしてしまうところは、そら恐ろしいものを感じます。
逆に、どんな大人に対しても同じことを言う子たちがいます。
みんなと同じようにできるようになりたい
この言葉を、そのまま受け止めていいのか、という話です。
同じことを言っているから正しいのでも、〝ほんとう〟でもないですが、みんなに言っているから〝ほんとう〟だと思われてしまうことがある。
「みんなと同じようにできるようになりたい」に隠されている子どもたちの気持ちのなかには、さまざまな事柄や物語が詰まっています。
それは簡単に、自己肯定感が低いから、という簡単な理由で片づけられるものでもないです。
子どもたちの願いを聞くことや、気持ちを聞くことは、正しさを求めるではなく、決めつけるものでもなく、常に聞きつづけることや問いつづけることではないか、と思っています。
子どもたち自身に聞きつづけることもそうだけど、自分自身にも問わなければいけないことがあります。
これは子どもがほんとうに願っていることなのだろうか、と。
常に〝ほんとう〟を問いつづけることが子どもの気持ちを聞くことなのではないだろうか。
自分が書く物語のなかでも、自戒を込めながら問うことがあります。
物語の中でも、登場人物たちを俯瞰して綴りながら、このキャラクターの物語は、ほんとうにこれでよいのだろうか、と。
今の私が書くのはこの物語。でもこれが正解だとは思っていない。
どうあってほしいかは今の自分が思っていることだけど、これがすべてだとは思っていない。
同じ登場人物、同じ舞台だけど、ちがう物語もありえるかもしれない。
落ち着きのない子
大人しくて目立たない娘
空気の読めない孤児
それから、これから公開をはじめる「できそこないの王子」
今の自分が出した答えだけど、一年後の自分はちがうことを考えるかもしれません。
創作大賞の中間発表までは、あと二週間。
仕事はこれからが一年で一番悩む時期。
仕事でも、物語執筆でも、同じようなことを考えながら9月を迎えます。
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