『「逃げてもいい」という甘言の真実』
「つらかったら、逃げてもいい。」
SNSやメディアでは、この言葉がまるで現代人を救う魔法の処方箋であるかのように繰り返されている。
もちろん、この言葉そのものを否定するつもりはない。
命や尊厳が脅かされる環境から逃れることは、生き延びるために必要な判断である。
逃げなければ未来そのものを失う状況は、現実に存在する。
しかし、私が危惧しているのは、その重要な前提をすべて削ぎ落とし、「逃げてもいい」という一節だけが独り歩きしている現状だ。
それは、あまりにも無責任である。
なぜなら、「逃げる」という行為には、必ず代償が伴うからだ。
人は誰しも、自分だけの「城」を持っている。
仕事でも、会社でも、地域でも、人間関係でもいい。
長い時間をかけて信用を積み重ね、自分の居場所を築き上げる。その居場所こそが、その人にとっての城である。
だからこそ、逃げるということは単に場所を移すことではない。
自ら城門を開き、その城を手放すという選択なのだ。
複数の城を持つ者ならまだいい。
資産も、人脈も、肩書もあり、次の居場所が用意されている人間であれば、ひとつの城を失っても立て直すことはできる。
しかし、多くの人はそうではない。
唯一の城を捨てれば、そこに待っているのは新しい城ではない。
城壁も屋根もない、野原である。
そこから再び城を築くには、想像を絶する時間と労力を要する。
一兵卒から城主へ返り咲くことが容易ではないように、一度社会的な居場所を失った人間が、再び同じ水準まで這い上がることは決して簡単ではない。
だが、私は特殊な環境下では、簡単に「逃げてもいい」と言って良いと考えてもいる。
子どもはいつだって「逃げてもいい」。
理由は単純だ。
子どもの背後には「保護者」という巨大な城が存在しているからである。
学校から逃げても、部活動から逃げても、友人関係から距離を置いても、生活そのものは保護者という城壁に守られている。
だからこそ、逃げるという選択肢が成立する。
だが、大人は違う。
大人には、自分の城を代わりに守ってくれる存在などいない。
生活も、家賃も、食費も、信用も、自分自身で維持しなければならない。
それが「大人」であるからだ。
さらに忘れてはならない現実がある。
社会のあらゆるポストには「定員」が存在するということだ。
あなたが去れば、その空席はすぐに誰かが埋める。
会社も組織も、市場も、驚くほど冷淡である。
一人が辞めても、世界は何事もなかったかのように回り続ける。
つまり、「逃げてもいい」と軽く口にする人は、その後に失われる椅子や信用まで保証してくれるわけではない。
あなたが失った城を、誰かが代わりに取り戻してくれることもない。
耳障りの良い言葉だけを切り取れば、人は安心する。
だからこそ、この言葉は拡散される。
しかし、現実はそんなに甘くない。
もっとも、私は「どんな状況でも踏みとどまれ」と言いたいわけではない。
戦国時代を見ても、本当に優れた武将は無意味な籠城戦をしない。
勝てない戦なら退くものだ。
だが、その撤退は敗走ではない。
一の丸を放棄し、二の丸へ下がり、防衛線を立て直す。
兵をまとめ、補給を整え、敵を誘い込み、機を見て反撃する。
これは逃走ではなく、「戦略的撤退」である。
退くことそのものが目的ではない。
再び奪還するために退くのである。
現代社会も同じだ。
転職するなら、次の職場を探しながら退く。
資格を取る。
人脈を作る。
生活資金を確保する。
信用を維持する。
そうした準備を積み重ねた上での撤退は、決して敗北ではない。
それは次の勝利のための布石である。
危険なのは、恐怖だけに背中を押され、防壁も補給も退路もないまま野へ飛び出してしまうことだ。
それは戦略ではない。
単なる遭難である。
何を隠そう、私自身にも「逃げた」経験がある。
新卒で入社した会社で人格を否定され、心が折れ、その場から逃げ出した。
だが、逃げた瞬間に人生が好転するような奇跡は起こらなかった。
待っていたのは、泥を啜るような日々だった。
失った信用を積み直し、小さな仕事を一つずつ積み重ね、ようやく居場所らしい居場所を築くまでには長い年月を要した。
今の職場は、当時の会社と比べれば規模も資本も決して大きくはない。
それでも、あの頃よりはるかに「自分の城」と呼べる場所になっている。
だから私は知っている。
逃げた先に、魔法のような楽園など存在しないことを。
あるのは、ゼロから城を築き直すという、泥臭く果てしない現実だけである。
甘い言葉に、自分の城の鍵を渡してはならない。
今いる場所が命や尊厳を奪う戦場ならば、迷わず退け。
しかし、それは逃走ではない。
城を奪い返すための撤退でなければならない。
退いた先で知略を巡らせ、力を蓄え、人脈を築き、泥を喰らいながら新たな陣地を築く。
そして、もう一度、自分の人生の城主として立ち上がる。
大人にとって本当の優しさとは、「逃げてもいい」と無責任に背中を押すことではない。
逃げた先に待つ現実を隠さず伝え、それでもなお生き抜く術を示すことである。
確かに城を失ったとしても終わりではない。
だが、奪い返すには覚悟がいる。
その覚悟まで含めて語ってこそ、「逃げる」という言葉は初めて責任を持つのだ。
