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#8 認識汚染領域〜シンクロスフィア〜

第3章 Locus Works(後編)


Locus Works
九条様

突然のご連絡失礼いたします。
熱田大学人文学部の如月理音と申します。
大学で共同認知や意思決定補助に関する講義を受けており、その流れでLocus Works様のイベントアーカイブを拝見しました。
とくに、「言えなさ」や「詰まり」を軽くする設計、「失敗しにくくする支援」という考え方に強く関心を持ちました。
私は、対話支援ツールが利用者の思考や関係性にどのような影響を与えるのかに興味があります。
可能であれば、設計思想について短時間だけお話を伺えないでしょうか。
雑談に近い形でも構いません。
ご多忙のところ恐縮ですが、ご検討いただけますと幸いです。
如月理音

「上手いな……」
「とーぜんよ」
「これで返ってくる?」
「返ってくるタイプの人なら返ってくる。中部の学生であること示しといたし。CLOVERを広げたいならこっちの学生と接点持ついい機会と考えるかもしれない」

理音はそこで一度だけ俺を見た。

「それにさ、彼は自分の設計思想を理解してくれる相手は好きそうな気がするんだよね」

確かにキョウも経営理念がバカにならないと言っていた。
単に金目当てというだけでできるほど起業は甘くないのかもしれない。

俺が頷くと、理音は送信ボタンを押した。
俺の中では、まだどこかで半信半疑だった。
学生とはいえ企業の代表だ。
一般の大学生が送ったメールに、リアクションくれるだろうか。
けれど翌日の夕方、理音のスマホに返信が来た。

Re: 登壇内容についてお聞きしたいことがあります

如月様
ご連絡ありがとうございます。
アーカイブも見ていただいたとのこと、うれしいです。
対話支援の設計思想については、関心を持っていただくこと自体がありがたいので、短時間であればぜひお話しできればと思います。
雑談に近い形で問題ありません。
もしよろしければ、明日17時以降で30分ほどオンラインでいかがでしょうか。
ご都合のよい時間があれば教えてください。

Locus Works
九条恒一

「理音の狙い通りだったな」
「うん、さすがでしょ」

理音はそう言ったきり、少しだけ黙った。
自信ありげだったくせに、実際に来るとさすがに緊張するらしい。

「どうするよ」
「受けるしかないでしょ」
「いや、そうだけど」
「誠司、いまさら怖じ気づいた?」
「そういうわけじゃ……」

本当はもちろん少しビビってる。

「じゃあ決まり」

理音はその場で時間を返し、翌日の夕方にオンラインで話す約束を取りつけた。

翌日、大学近くの個室ブース。
会議用ソフトを起動する。
ノートパソコンの画面に、接続待機の表示が出る。
理音は椅子に深く座り、ノートを開いたまま画面をじっと見つめていた。
俺もその隣に腰かけて、机の縁をとんとんと指で叩いていた。

「緊張しすぎじゃない?」
「そりゃするだろ」
「同じ学生だよ」
「院生だろ」
「学生である点はかわりないし」

理音がきっぱりと言い切る。
胆力あるなぁ。実に頼もしい。

接続音が鳴った。
画面が切り替わる。
映った男は、写真や動画で見たのとほとんど同じ印象だった。

『はじめまして。九条恒一です』
「如月理音です」
「同じゼミの高科誠司です」
『ありがとうございます。ちゃんと来てくれてよかった』

自然な笑顔だった。
歓迎しているようにも見えるし、相手を構えさせないための技術にも見える。

『アーカイブを見て連絡いただけることって、実はそんなに多くないんですよ』
「そうなんですか」
『たまに見られるのはアクセスでわかるんですけどね。設計思想に興味があると言って問い合わせもらえるのは、単純にうれしいです』

理音は一度だけ頷いた。
ここまでは、送ったメールに書いた通りの大学生として受け答えできている。
不信感は与えていないはずだ。

「わたしたち、授業で共同認知モデルや意思決定補助の講義を取っていまして。ウェビナー拝見したら、同じワードが出てきたもので、それで気になりまして―― 」
『なるほど。ひょっとして真壁教授の講義をとっておられる?』
「教授をご存知なんですか?」
「ええ、共同認知モデルの先駆者として著作は読んでおりますし、参考にしておりますよ」

――やはり無関係ではなかった。
教授がどの程度関与しているのかはわからない。
しかし彼の話しているものと、俺たちが講義で聞いたものは同じ概念のようだ。

「そうなんですね!」

理音が戸惑いや疑念を感じさせない自然な表情でモニターの前でポンっと軽く手を叩く。
この演技力、すごいを通り越して少し怖い……。

「わたしたちの認知や判断が、他の人の言葉や行動に無意識に影響を与えているなら、外に出す言葉を整えるって空気を良くするっていうか、社会の安定に関わるんじゃないかって」
『素晴らしいお考えですね。それ、すごく大事な見方だと思います』

九条恒一はそう言って、少しだけ前に身を乗り出した。
その瞬間、画面越しなのに、相手の温度が半歩こっちへ寄ってきた感じがした。
自分の話をちゃんと理解してくれる相手に気をよくするタイプなんだろう。
おれはあまり口を挟まず、彼の言葉を聞くことに専念する。

彼のプロダクトにおける基本的な考え方は、先ほど理音が触れた内容がベースとなっていた。

スマホにより、実質常時オンライン接続となった現代のトラブルは、半分がオンラインにまつわるものである。
特にSNSや連絡ツールによる情報の摂取やコミュニケーションの齟齬が、日常生活のコンディションに大きな悪影響を与えることも多い。
そのためツールにAIエージェントを連動させ、相手の言葉の解釈、返答の最適化、情報の選別を行うことでオンライン空間における快適性を確保する。

それがCLOVERに始まるLocus Worksのプロダクトの基本コンセプト、ということだった。

「実際のところ、九条さんはエージェントやシステムが言葉の候補を出すことが、人の考え方そのものに影響する可能性を、どのくらいあると思っていますか」

理音の言葉に、画面の向こうで九条恒一が少しだけ笑った。

『かなりあると思っています』

即答だった。

『というより、影響しないと思って設計するほうが不誠実ですね。人は、安心できるものを選ぶので。
だからこそ、その“選びやすさ”をどう設計するかが大事なんです』
「――それって」

俺はここで初めて口を挟んだ。

「結局、人を特定の方向に誘導するってことじゃないですか」

恒一は否定しなかった。
少し真剣な面持ちになる。

『そうです。ただ、僕は“誘導すること”自体を悪いとは思っていません。たとえば、衝突を減らす。孤立を減らす。言葉の失敗で関係が壊れるのを減らす。
そういう方向に促すことは、かなり多くの人にとって利益になる』

利益。
善悪じゃない。
救いでもない。
利益になる。

「冷たく聞こえましたかね。でも高科さんももうすぐ就職活動の時期でしょう?」
「ええ……そうですね」
「プロダクトって、まず役に立つかどうかなんです。ユーチューバーやアイドルような人気商売はともかく、商品、ことウェブサービスは生活を便利にするから普及し、みんなが使っているから好きになる。まず役に立つか役に立たないかなんですよ。」

確かにそうだ。例えば俺は理音と連絡を取るときにメールを使うことはない。もっぱらLINEである。
アイコンをタップするだけでメッセージを送付でき、相手の言葉も過去のやりとりも履歴も一画面で表示される。
俺にとってその便利さが当たり前であり、なくなってしまったら本当に困る。
選択の余地はあるが、その選択は好みを貫くことで不便を受けいれるかどうかにあり、等価値の選択ではない。

「役に立つ。そして印象がよい。結果使われて親近感を覚えられて使われる。ベネフィットこそ価値の源泉なんです」
「その価値が言葉を誘導すること、ということなのですか?」
「誤解を恐れずに言えばそうです。そうですね……。例えば今ブログ等の投稿サービスはAIによる校正サービスがついていたりしますよね。いうなればCLOVERの対話支援はその延長線上にすぎません」
「誤字脱字を直すのと、言葉そのものを変えるのは違うのでは?」
「高科さんは、これから面接受けられるとき、ありのままの自分で勝負しますか?」
「それは……」
「今もそうです。あなたはわたしに対して言葉を選んで話しかけている。それが礼儀であり、正しい対応だからです。CLOVERの機能はその対応への思考コストを省き、もっとも確度の高い正答を示すだけ」
「思考コストを省く……。コミュニケーションにおいても楽をするということですか」
『誰でも、少し楽になれる権利はあると思ってるので。
それを見つけて、ちゃんと手渡せる形にするのは、少なくとも悪ではないでしょう』

九条恒一の言葉は正しかった。
俺はそれに対して反論できる言葉を持ち合わせていなかった。
そのまま数度のやり取りをして、会合は終わった。
通話が終わる頃には、恒一は最後まで感じのいい人だった。
押しつけがましくなく、質問に逃げず、言葉を丁寧に返す。
少なくとも今この時点で、俺は彼を“敵”とは呼べなかった。

通話を切ったあと、俺はしばらく黒くなった画面を見ていた。

「……どう思った」

理音が先に聞いた。

「善人っぽい。少なくとも嘘をついて言いくるめようとする感じはなかったかな」
「自分の言葉の正しさを、本気で信じてる?」
「そうだね。そんな感じ。悪意がある感じじゃない」
「確かに」
「ただ……人のことを“もっとよくできるもの”として見てる気がする」
「そういう感じはあったかも」
「しかも、それを隠す気もない」

改善できる。寄せられる。利益になる。
そう思っていること自体を、恒一は悪いことだと思っていない。むしろ善意の側に置いている。 
彼の正しさを否定はできない。
でも少し引っかかるものがあった。口を挟んだのもそのためだ。

「それにしてもすごいな理音」
「何が?」
「さっき話してたとき、すごく自然というか、本当に興味ありそうな感じだった。裏とかなさそうで」
「そう? 女なら、あれくらい隠せる人は多いんじゃない? 本心の一つや二つ、出さずに喋ることくらいあるし」
「じゃあ理音も俺にたいして何か隠してるのか?」

ほんの軽口のつもりだった。
だが理音は一瞬だけ真顔で俺を見ると、

「どうだろうね」

そう言って、目を伏せた。
……まさか俺と一緒に行動することが多いのは、親同士仲が良くて、それで仕方なくとかだったりしないよな。
俺が不安に駆られていると、理音が顔をあげた。

「それでどうする? 九条さんの作ってたガイド、他のも触ってみる?」

理音はいつも通りの雰囲気だった。
俺は疑念を打ち消して話を聞く。

「案内とか研究支援とか、用途別のやつ」
「見た目が違うだけだろ」

あとはフィードバックする情報の設定、くらいか。

「たぶんね。でも、そこを確かめたい」

俺たちは再びLocus Worksのデモページを開いた。
一般公開されているデモ版だったが、いくつかのガイドに触れることはできた。
最初は学内案内用。
画面には、ヨツハとはまた違う女性型アバターが出てくる。髪は短く、服装も少しカジュアルで、声も少し明るい。

『学内情報でお困りですか?
必要なら、一緒に確認していきましょう』

次に研究支援。
今度は眼鏡をかけた中性的なアバターだった。説明は論理的で、少し専門寄りの語彙を使う。

『まだ仮説が出来上がっていなくても心配ありません。
今ある材料から、使えそうな論点だけ先に拾ってみましょう』

就活支援。
スーツ姿の、少し年上に見えるアバター。声も落ち着いていて、安心感を前に出してくる雰囲気だった。

『うまくまとまらなくても大丈夫です。今までのエピソードを話してくれれば、こちらでまとめて整理します』

そこで、俺は画面から手を離した。

「……ふざけるなよ」

怒りが抑えきれなかった。

「――誠司?」

俺は直感していた。
使っている単語こそ違うが、ヨツハと同じ受け止め方。返答の仕方。寄り添い方。

「それは小春のものだ!」

なぜヨツハに小春を感じたのか。
その理由。
Locus Worksのエージェント群は、小春の優しさを抽出し、模倣している。
小春が誰かを傷つけないように、心を削ってでも選んでいた言葉を、何も失わずに利用している。

「――ありかよこんなの」

証拠なんてない。小春だけを学習したわけじゃないこともわかっている。
これは俺の勝手な連想かもしれない。
だけど、誰かが他人のために大なり小なり努力して行った振る舞いを無料で活用していることに変わりはない。
さらに腹立たしいのは、それを非難したところで無意味だということだ。
人間の振る舞いそのものを模倣することに、違法性は存在しないのだから。

「誠司……」

俺の怒りを感じ取ったのか、理音が俯く。
PCの画面から、AIアバターが優しくこちらを見つめていた。


帰り道、バイトがあるらしい理音と大学の正門の前で別れた。
あたりは薄暗くなり始め、人の顔が少しずつ見えにくくなっている。
通り過ぎる学生たちは、誰もが自分のスマホを見ていた。
画面の向こうの誰かと話をしているのだろうか。
俺はポケットの中でスマホを握ったまま、しばらく動けなかった。
Locus Worksは、普通のベンチャー企業だ。
ただ現代の技術を活用し、コミュニケーションの支援をしているだけ。
それが人の優しさをコピーして再配布しているのだとしても、誰かの権利を害しているわけではない。
だから何一つ、非難できる点はない。
それでも――。
空を見上げる。
夕方の薄い青の下で、大学のガラス窓が鈍く光っていた。
ヨツハの中に、小春の欠片が残っている。
そして本人から剥がれたその欠片は別の場所に少しずつ拡散していく。
俺はゆっくり息を吐いた。
Locus Works。
九条恒一。
俺の中で、一つだけはっきりしたことがある。

彼の正しさを、俺は認めない。

夕方の空気は、6月にしては妙に冷たかった。


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