【教育シリーズ①】不登校は“親の関わり方”の問題なのか?――医療がつくってしまうもう一つの傷
※今回の記事については、
全て実際の人物像を損ねない程度に加工・
修正した架空のモデルケースとなっています。
心理の専門職が背負う守秘義務の
範囲内としての記事になります事を
予めご承知おき下さい。
一人の“頭の中の左利きさん”に起きたこと
私がスクールカウンセラーとして
関わっている学校の支援学級。
低学年に一人の「頭の中の左利きさん」が
いました。
(頭の中の左利きさんについてはこちらから↓)
1学期の大部分は大きな問題なく登校できて
いましたが、1学期も間もなく終わるという
頃から少しずつ学校に来れなくなりました。
一度、お母さんと一緒に久しぶりに
登校してきたことがありましたが、
担任の先生からの何気ない
声掛けに反応してお母さんの後ろに
隠れてしまい、それを最後に
不登校になったのです。
既に病院に通院し、
敏感さんを緩和する
お薬も服用していました。
お母さんは、
その子の敏感さんな特性に対し、
一日の大部分の時間を使って
懸命に工夫していました。
そしてある時、
通院したら病院から唐突に
こう言われたのです。
お母さんが子どもの言うことを
聞いてばかりいるから、
特性なのかわがままなのか分からない
お母さんが甘やかしすぎてるんじゃないの?
甘えは薬では治らないから
私は、それを聞いて言葉を失いました。
また、別な時に通院したら病院から
こう言われたそうです。
学校に行く努力をしなさいよ。
毎日少しずつ登校する練習をして。
それを聞いたお母さんは日曜日の
誰もいない学校にその子を連れていきました。
その結果、その子は校門前で
気持ちがいっぱいになり、
泣いて拒絶するようになりました。
その次の通院の時に、
お母さんがその事を相談したら、
こう言われたのです。
そんなんだったら、
もう学校にいけないんじゃないの?
病院からの帰りの車中、
お母さんはこう思ったそうです。
「いや、あなた(主治医)が
行かせる練習をしろって言ったから
連れて行ったんでしょ?」
「私がこの子のことをどれだけ考えて
動いても、きっと病院には伝わらない」
私は、
この話を聞いて、
まず医療従事者として大変申し訳ない
気持ちになりました。
あまりにも軸が無さすぎる。
そして、(言葉は悪いですが)この
主治医に対して率直に怒りが湧きました。
あまりにも患者さんに対する
リスペクトが無さすぎる。
お母さんとこの子は、
病院に繋がったことでどれだけ
心に傷を負ったことでしょうか。
お母さんの気持ちはごもっともです。
“医原性”という、もう一つの見えにくいストレスがある
こういう風に、病院が介入することが
別のストレスを作り出してしまうことを
医原性
と言います。
(以前に書いた記事にもまとめています↓)
病院視点で見ると、
数か月に一度の診察で処方薬の変更も
無いのですから、
カルテにdo処方(前回と同じ処方
の意味)とだけ記載して、
お母さんに伝えた内容まで記載して
いなかったのかもしれません。
それで軸が定まらない、
その場限りの発言になった可能性は
考えられるなあと思いました。
また、
(本来あってはいけないことですが)
一日の長い診察時間の最後の方に
受診した場合、若干対応が荒くなる
ことも無いとは言えません。
(医療従事者も人間ですから、
その日の1人目の患者さんと
50人目の患者さんでは疲労度によって
対応が違うことだって無いとは言えません)
でも、
それは患者さんには全く関係のないことです。
“医療が教育より上位”という、疑われない前提がある
私が最も根本的な問題だと思うのは、
「医療が教育より上位」
であるという暗黙の社会的序列・
社会的構造です。
これに対して、
医療側も教育側も何の疑問も
抱くことなく、
盲目的に絶対視しすぎて
いないでしょうか。
生命の維持や実際の病気の
治療などに際してはもちろん、
医療が専門性を発揮するところです。
しかし、
こと不登校のような「現象」に
対しては、その背景にある要因
(不安症や小児うつなど)
は医療で介入できても、
「不登校」という現象そのものに
医療は介入できません。
加えて、
長年の経験を積み上げてきている
教育に比べて医療は圧倒的に
不登校に対する経験値が乏しいのが
現状です。
でも、
「医療が教育より上位」という
この価値観を疑わず、
絶対視する姿勢
(=ドグマティズムと言います)が、
時として
状況をより混沌とさせてしまう
のだと感じています。
そして、これが不登校についての
医原性の根本問題
だと思っています。
そして、
前回までの記事で取り上げてきた
パターナリズムの
雰囲気もどこかしらに感じますよね。
(パターナリズムについては
こちらの記事から↓)
境界をまたぐ活動をしていると、
たびたびこのような精神医療に関わる
ドグマティズム・パターナリズムで
苦しまれているご家庭を目にするのです。
お母さんが選んだ“もう一つの道”
では、この問題に私たちは
どう向き合えばいいのでしょうか。
結局、悩んだ末にお母さんは
転院を選択し、県外の遠方の
病院にかかることになりました。
私は、お母さんの選択を支持し、
これまでの苦労をねぎらいました。
分かってきた【振り子】の価値観
こうやって記事にしてきて改めて感じた
ことがあります。
私は精神医療の陰の部分、
これまでの歴史。
その暗く冷たいところに未だに
横たわっているように感じてしまう、
この独特なパターナリズムがはっきりと
好きじゃない
こと。
看護学校で私が学生さんたちに
教えていることと私自身の価値観が
一本の線になったこと。
(それについてはこちらの記事↓)
長くなってきましたので、
この問題に対する私【振り子】の考えは
次回の記事でまとめていきたいと思います。
今回もお読みいただき、
ありがとうございました。
次の記事はこちら↓
