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「境界をまたぐ心理士」と山村での活動【山村シリーズ①】

その村がある場所は私の住む市から西へ約60km

山をいくつか抜けた先の高地にある人口3500人ほどの小さな村
村内の多くは森林に覆われ、清流の流れに沿って集落や田畑が広がる典型的な里山景観が残っています。

65歳以上の人口は約4割で、一般的なコンビニ(セブン-イレブン・ローソン・ファミリーマートなど)は村内にありません。

信号があるエリアもごく限られているため、
1日1回も信号を見ることなく過ごす日常が当たり前にあるこの場所に、
私は2017年から関わっています

村には旧小学校の廃校を活用した幼保連携型こども園が1つと、小学校と中学校がそれぞれ1つずつあります。
高校は村のある高地から麓まで下り、車で40分ほどかけて隣町まで通わなくてはなりません。

その年に生まれる子どもの数は約15人
これがそのまま学年の人数になり、こども園から中学校卒業まで共に歩む仲間となります。

この村から、私が役員を務める臨床心理士会に講師派遣依頼がきたのです。

内容は、
村の小・中学校の先生対象で3年計画の自殺ゲートキーパー養成講座を行なうこと

計画書を読むと、
3年間自殺予防の知識や対策の習得実践的研修を行なった後、4年目以降は学校内で蓄積した自殺予防の知見をまとめて、新しく異動してくる先生方に学校として伝えていく」とありました。

そうしたシステムを回すための大切な大切な
初めの動力部分としての自殺ゲートキーパー養成講座を、

村として初めて臨床心理士会に要請したのでした。

この高台の山村に行くためには、片道数十キロかけて山村の周りにある3つの中核都市(うち一つは私がいる市)のいずれかから臨床心理士を派遣しなければなりません。

研修時間は2時間であり、往復の時間と研修時間を合わせると余裕で6時間は取られます

それと、難点がもう1つありました。
報償費が異様に低かったのです。

というか、初年度は確か交通費のみでした。

理由はうろ覚えですが、
①当初は村の福祉課(にいる保健師さん)が講師を務めることになっていたので予算がついていなかった、
②途中で臨床心理士会なる団体があることを知り、手探りで講師派遣依頼を出してみようかとの話になった(福祉課内で)、
③そんなわけで、講師謝礼自体を村の予算に組み込んでおらず、何とか引っ張ってこれたのが福祉課の予算からかき集めた交通費のみだった、

とか、確かそんな理由だったかと思います。
そのような状況で、村としてはまさに手探りのダメ元での派遣要請でした。

この案件の取扱いには非常に困りました。
なにせ6時間かけて交通費しか支払われないという「地雷案件」です。

かといって社会的意義は決して少なくなく
さながら「やりがい搾取」のような、
専門家に一番罪悪感を抱かせるかたちの案件だったからです。

協議の末、人身御供として選ばれたのが私でした。

貴重な休みを割いて向き合うにはあまりにも割に合わないこの仕事を、
どうにかして処理できないか?

それも無理せず罪悪感も抱かない形で。

そして、考えた末に閃いたのです。

職場に交渉して出勤扱いにしてもらえれば良いんだ
と。

ただ、報償費がほぼ出ないことを事務長に何て言えばよいか…。

超絶にコスパの悪いこの案件
ビジネスライクに話しても絶対上手くいかなそうだったので、
違った側面から攻めるべく作戦を立て、

こっそり水面下で調整しました。

まず村の保健師さんに連絡して、
臨床心理士会に送った派遣依頼書
私の勤務先にも送ってもらいました。

今まで外部から心理室に講師派遣依頼が来たことが無かった(というかコメディカルでもおそらく初めて)ので、
事務長の性格を考えると地域から要請されるという

この出来事自体が良いフックになる

と考えたのです。
そして、

たとえこの案件が病院として不可
だったとしても、

外部から派遣依頼が来る心理室

というイメージアップにつながり、
1人職場ながら院内での

心理室のプレゼンスは向上するだろう

と読みました。
こうして

失敗しても元は取れる体制を構築してから、

事務長に近々近隣の行政から講師派遣依頼が
くるかもしれない事を伝えました。

数日後に派遣依頼書が病院に届き、
事務長に呼ばれました。

そして、こう言われたのです。

勤務時間内に帰ってきてくれれば良いよ
あ、行く時は事故が怖いから、ちゃんと社用車使ってね

と。
まず、報償費の件は何も言われなかったことにびっくりしました。

それで考えました。
組織から見たら心理士が一日病院に張り付いて得られる収入も、
外部に出向いてほぼ無報酬で活動してくるのも、
微々たる差でしかないのかも、
と(この場合は良い意味で)。

というか、それを言うなら心理室立ち上げ時に
何らの収益も病院に入れられずに数か月過ごしている
私がいるので、

あの時と比べれば頑張っているじゃないかと
事務長に思ってもらえていたのかもしれません。

そのような流れで、地雷案件の人身御供だった私は
病院から給料が支払われる労働時間内に活動する
という流れを上手いこと作り出し、この村と関わるようになったのでした。


そしてこの時の私はまだ知りませんでした。

この自殺ゲートキーパーの仕事を3年務めた後、
現在に至るまでかたちを変えて村との関係が続くこと。

5歳児健診3歳児健診に中学校の思春期保健講座
村民のメンタルヘルス関係の個別面談
保健師さんへのコンサルテーションと、

活動が少しずつ広がっていくことに。


続きはまた次の記事にまとめますが、
この流れでいくとシリーズになると思います。

何回シリーズになるかは私も予想がつきません(^^;

お忙しい日常のひとときに。
お読みいただければ幸いです。

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