イブ物語|判断寓話|エラとヨル|第三十九話 ルーベント
私の目の前に、ありえない光景が広がっている。
地鳴りとともに揺れる地面。
晴天を覆い隠す巨大な影。
先を見通すこともできないほど、巨大な何かが私の前にいた。

エラとヨル 第三十九話
【ルーベント】
ローズとの約束を守り、商隊を護衛しながら、ルーベントが現れるというオアシスを目指した。
ヤークと呼ばれる、ラクダに似た生き物は大人しく荷を運ぶ。
砂漠に適性をもった強靭な足は、砂に沈んで重くなる場所を一歩一歩進んでいく。
鞍をつけられたヤークは、二人までなら楽に乗せることができた。
私はオトが操るヤークにまたがり、隣にはすでに乗りこなしているエラが続く。
一列に長く連なる商隊を守りながら、蜃気楼のように揺れる地平線を目指す。
方向は、先頭を進むローズが示していた。
何日か後、私たちは大きなオアシスにたどり着き、荷を下ろしていた。
「本当にここに来るの?」
私はまだ、半信半疑のままでいた。
日差し避けのテントを張り、オアシスの水を汲む。
一口含むと、からからになった体に水が染み込んでいくのを感じた。
エラは自分の乗っていたヤークが気に入ったようだ。
餌を与えて、むしゃむしゃと食べる顔を飽きもせず眺めていた。
しばらく小休憩を取ったあと、あたりが慌ただしくなる。
日陰で腰を下ろしていた私とオトは、その物音に気づいて立ち上がった。
ズシン、と地面が揺れる。
砂漠の砂が、ぱらぱらと岩肌から落ちる。
その音のする方向を見ると、私は言葉を失った。
――何かが近づいてくる。
目の前の光景を表す言葉が、すぐには思いつかない。
隣に立つオトも目を見開いている。
「ヨル! カメだ!!」
エラが指を差して叫んでいる。
――カメ?
カメの形をした巨大な岩だ。
ただ、動いている。
甲羅と思われる場所には、外壁に囲まれた幾つもの建物が見えた。
動く街。
それが今、まさに目の前に現れた。
「もたもたするんじゃないよ!」
ローズの声が飛ぶ。
その声に反応した男たちは、慣れた手つきでヤークたちを落ち着かせている。
近づくたびに大きくなる揺れで、立っているのもやっとだった。
オアシスを目の前に、巨大な影が止まる。
ドン、という音とともに、カメは砂に沈んでいく。
揺れが収まる頃には、ルーベントの街並みだけが広がっていた。
遠くの門が開く。
甲羅に張りついた建物からも、幾つもの梯子や、滑車に吊られた昇降機が降りてきた。
どこから湧いたのか、人々の姿が見える。
慣れた手つきでテントや屋台が張られ、あっという間に市場が生まれた。
「案内はここまでだ」
そう言うと、ローズは私の背中を叩く。
軽く叩かれたはずなのに、バランスを崩して転びそうになる。
「ありがとうございます」
私はそう言うと、街へ向かって歩き出した。
ルーベントの門は開かれている。
武装した門番らしき男たちがいたが、私たちには目もくれない。
「出入り自由なんですね」
オトがぽつりと言う。
子どもたちが私たちを見つけて走り寄ってくる。
手には小さな花や果物を持っていた。
「お姉ちゃんたち、これいらない?」
無邪気な笑顔を浮かべている。
いつの間にか、たくさんの子どもたちに囲まれていた。
「ありがとう。でも、いらないわ」
私が言っても聞きもしない。
それぞれが手に持った品を差し出してくる。
その時、声が上がった。
少年の手を掴むエラの姿。
その手には、私の腰にあったはずの小さなポーチがあった。
「痛えな、離せよ!」
悪びれる様子もなく、悪態をつく少年。
エラはその顔にぐいっと顔を近づけて言う。
「あんたら、私たちに何かしたらわかってるね」
普段とは違うエラの姿。
鋭い眼光が子どもたちを見据えた。
「チッ、あんたらもこの街の人間か……」
そう言うと、少年は手に持っていたポーチをエラに渡し、頭を掻いた。
その姿を目にした子どもたちは、蜘蛛の子を散らすように私たちの周りから離れていく。
「ヨル。気をつけて」
エラからポーチを受け取りながら、私は自分の軽率さを反省した。
ここは外の世界とは違う。
子どもたちですら、生きるために必死だ。
近くを台車を引く少年が横切る。
載せられた満タンの水樽は重く、足場の悪い地面に何度も足を止めながらも、必死に歩いていた。
「まずは、宿を決めましょう」
オトもいつもより、表情が固い。
大通りも真っ直ぐではなく、無秩序に積み上がるような家や、家とも呼べない小屋が並んでいる。
建物も、すぐには何階建てなのかもわからない、不思議なものが多かった。
しばらく進むと広場に出た。
すると、近くにいた憲兵風の男が近づいてきた。
「お前ら、見ない顔だな。いつ着いた?」
突然声をかけられ、私は身構えた。
そこへオトが割って入る。
「今日着きました。砂漠の薔薇の“友人”の紹介です」
“友人”の部分だけが、少し強く感じた。
憲兵風の男は頷く。
「そうかい。友人の紹介なら、わかるよな?」
憲兵風の男は、口角を上げる。
「はい」
そう言うと、オトは何枚かの硬貨を憲兵風の男に握らせた。
男の顔が明らかに変わる。
「困ったことはないか?」
「“安全な”宿屋を探しています」
オトはいつもの柔らかな表情のまま答えた。
男は顎に手をやると、少し考えて言う。
「安全な宿屋なら、この先の“白カラス亭”だな」
そう言うと、通りの奥を指差した。
「ありがとうございます。優しい憲兵さん」
オトがいつもより、艶っぽい声を出す。
「おお、困ったことがあったらいつでも言えよ」
「そうだ。宿屋にはラークの紹介だと言いな。悪いようにはしないから」
男は鼻の下を少し伸ばしながら答えた。
オトは小さく手を振ると、宿に向かって歩き始めた。
「オト。大人だ」
エラが呟く。
私もその光景を見て、オトの凄さを感じていた。
宿屋の看板が見えかけたところで、路地から男の声が聞こえる。
何か言い争っているような声だ。
私が視線を向けると、若い男が二人組の男に絡まれていた。
ゆすりか、たかりか。
今にも殴られそうになった若い男が、二人を突き飛ばしてこちらへ向かって走ってくる。
だが、通りに出る寸前で捕まってしまう。
エラが腰に手をやってクロとシロを握ろうとした、その時だった。
別の方角から怒鳴り声が響く。
「ここが、誰のシマかわかってるのか?」
振り返ると、大柄な男が二人組を睨みつけていた。
その声に、男たちは縮み上がる。
若い男も腰を抜かしたように座り込んでいる。
殺伐とした空気が広がる。
数秒の沈黙。
その静寂を破る声がした。
「買い物も静かにできないの……」
その声の先には、青い髪と透き通るような肌をした女性が立っていた。
私は言葉を失う。
彼女の瞳の色が、あまりに異質だったからだ。
赤い瞳。
それは今まで見た中でも、もっとも赤く、吸い込まれそうな瞳だった。
その姿を目にしたエラが、震えるような声で呟く。
「ニコ……?」

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