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小学5年生が泣きながら単身イギリス留学した話|第14話〜Why Japanese people!? イギリス人を混乱させた日本人の名前〜

※これは1995年、今から約30年前の話です。まだインターネットも携帯電話も普及していなかった時代、英語を話せない10歳の私が、イギリスで奮闘した日々を綴ります。

前回の話はこちら⬇︎

ポタモ~コ!!


P.E.(体育)の先生がそう私を呼んだ。

新種のすみっコぐらしか何かだろうか。

ぐでたまとか、ポチャッコみたいなやつかい?

私の名前は〇〇子という。純和風、おばあちゃんみたいな純ジャパニーズしわしわネームだ。

どうやら高学年にいたもう一人の日本人、ともこさんの名前と混ざってしまったらしい。

(ちなみに、ともこさんは日本人だったが、イギリス育ちなのか日本語は話せなかった。)

イギリス人からしたら、「トモコ」も「ハルコ」も「アヤコ」も「ルリコ」も、そして「ポタモコ」も大体同じなのだろう。

そう思うことにした。

もっとも、私の母も人のことは言えない。

何度説明しても私のイギリス人の友達の名前を覚えられず、

あぁ~エリザベスね!

と全員まとめてエリザベスと呼んでいた。

ちなみにエリザベスは一人しかいない。

体育はラクロスやネットボールが主流

日本人は他にも数人いたが、みな中高生のお姉さんたちだった。

そして、基本的にそのお姉さんたちと交流することは禁止されていた。

「No Japanese」

あなたは英語を覚えに来たのだから、日本語を話してはいけない。

そう言われていたので、普段は遠くから姿を見るだけだった。


ホームシックだった私は、最初の頃は毎晩のように両親へ国際電話をかけていた。

しかし、宿敵B(第7話参照)が、

「ポタ子が毎晩パパとママに電話してる!」

と寮母さんに告げ口したことで、電話は禁止になった。

今思えば、親にとっては大変な出費だったと思う。

当時はまだインターネットも普及しておらず、LINEもメールもない。

日本との連絡手段は、手紙か電話、あるいはFAXくらいだった。


また、Day Girl と呼ばれる通学生の日本人のお姉さんもいた。

ある日、そのご家庭からおにぎりをいただいたことがあった。

久しぶりの日本食だった。

涙が出るほど嬉しかった。

ところが部屋に戻るとBに見つかった。

そして案の定、寮母さんに告げ口された。

「夕食が食べられなくなるから」

という理由で、おにぎりは取り上げられてしまった。

いや、イギリスの給食の方がよっぽど食べられ・・・

失礼、
今でも、あのおにぎりの無念さは忘れられない。


そんなふうに、ことごとく日本とのつながりを断ち切られていた私だったが、ある日だけ例外があった。

高校生たちが集まる部屋で、日本人のお姉さんたちと話をする機会があったのだ。

高校生の部屋は特別だった。

小学生の大部屋のように、パンツやハサミが宙を飛ぶこともない。

それぞれのプライベート空間があり、静かで落ち着いていて、なんだか大人の世界だった。


その日集まっていたのは、

アイさん。

マイさん。

ユウさん。

そして私。

日本人が集まっているのが珍しかったのか、一人のイギリス人の女の子がやってきた。

彼女は順番に指をさした。

あなた、マイでしょ?そちらはアイでしょ?そしてユウ?

みんな頷いた。そして、わたしの方を見て言った。

アイ(I)と、マイ(My)と、ユウ(You)がいるんだから――
あなたは絶対にミー(Me)だ!!

No, I'm ポタコ.

彼女は頭を抱えた。

Why Japanese people!?


厚切りジェイソンが叫ぶはるか前に、イギリス人は叫んでいた。

オリジナルはイギリス人の方が先だったことを、ここに記しておきたい。

次回、ボーディングスクールの課外活動。

乗馬、パイログラフィー(焼き絵)、そして大道芸。

なぜか私はイギリスでジャグリングまで習うことになる。

第一話はこちらから⬇︎


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