小学5年生が泣きながら単身イギリス留学した話|第13話〜ボーディングスクールのお菓子事情〜
※これは1995年、今から約30年前の話です。まだインターネットも携帯電話も普及していなかった時代、英語を話せない10歳の私が、イギリスで奮闘した日々を綴ります。
前回の話はこちら⬇︎
HSP(Highly Sensitive Person)と聞くと、なぜか思い出してしまう日本のお菓子がある。
**SASHA(さしゃ)**だ。

いや。
もう「華奢(きゃしゃ)」でよくない?
そうツッコミたくなるくらい繊細で美しい、1995年発売のお菓子である。細いチョコレートが何層にも編み込まれた見た目は、もはや工芸品だった。
私はこのSASHAをわざわざイギリスへ持ち込み、誰にも見つからないように少しずつ食べていた。
こんな芸術的なお菓子を作る日本、すごい。
クレイジーだ。
ホームシックになるたびに箱を開けては、日本のお菓子を眺めて感動していた。
一方、イギリスで食べたパンチの効いたお菓子たちも忘れがたい。

直訳すると「消化ビスケット」。小林製薬の社員でも中にいるのか?と疑いたくなるネーミング。スリムドカンくらいのインパクト。
でもおいしい。全然消化が間に合わないくらい食べてしまう。

真夏の夜の夢みたいに消えて無くなるチョコレート。口に入れると、中のエアリーな部分がシュワシュワっと消えていく。寮では大人気だった。

学校や駅ではチョコレートやスナックの自動販売機をよく見かけた。中でもこのウエハース生地のTime Outが一番好きだった。ちなみに、イギリスはなぜかチョコにオレンジを入れたがる。

アメリカでは Chips。イギリスでは Crisps。最初にビネガー味を食べた時は衝撃だった。しかもむせるくらい結構強めのビネガー。でも不思議なもので、苦手な相手と数年一緒にいると慣れてくるように、だんだんクセになる。そのうち普通のポテトチップスでは物足りなくなった。

ただの真っ赤な紐である。どう見ても紐である。しかも、そんなにおいしいわけでもない。なのに食べ続けてしまう。まるでスルメだ。当時のイギリスの小学生は、だいたい口から真っ赤な紐を垂らしていた。

イギリスを代表するチョコレートメーカー、Cadbury。中でも一番好きだったのが、かじると中からキャラメルがとろ~り出てくるこのチョコレート。
でも、こんなお菓子を好きなだけ食べられたわけではない。お菓子は貴重品だった。
ボーディングスクールの小学生が自由にお菓子を買えるのは、月に一度の外出の時くらいだった。
その日になると、寮母さんに連れられて小さなお店へ行く。
ただし、お金も自由には使えない。事前にお小遣いを申請しなければならず、もらえても5ポンド程度だった。
だから何を買うかは真剣勝負だった。
そして、もうひとつ特別な日があった。金曜日の夜。映画デーである。
その日だけは、お菓子を食べながら映画を観てよかった。みんな自分のベッドから布団や毛布を抱えてきて、テレビのある部屋へ集まる。
床に座る子。寝転がる子。友達同士でテントにした布団から顔を出す子。
映画が始まると、部屋の明かりは消された。広い部屋の中で光っているのはテレビだけ。みんな毛布にくるまりながら映画を観る。
……と言っても、静かに鑑賞するわけではない。
陣地争いで揉める。
登場人物にツッコミを入れる。
後ろの席からお菓子が飛んでくる。
「うるさい!」
「そっちこそ!」
と小競り合いが始まる。
笑ったり、映画に文句を言ったり、お菓子を交換したり、途中で寝てしまう子もいた。
その部屋には大きな暖炉があった。
もう使われてはいなかったけれど、いかにも昔のイギリスらしい立派な暖炉だった。ふと見ると、暖炉の脇には古い落書きが残っていた。
名前と日付が書かれている。日付を見ると、100年近く前のものだった。私はその落書きを何度も眺めた。
この落書きを書いた子は、どんな子だったんだろう。私みたいにホームシックになったりしたのかな。それとも親元を離れても平気な子だったのかな。寮生活は楽しかったのかな。
今でも金曜日の夜になると、あの時間が懐かしくなる。
テレビの明かり。
友達のおしゃべり。
布団にくるまった感触。
週に一度だけ許されたお菓子の時間。
そして、100年前の誰かが残した落書きのことを。
次回、「Why Japanese people!?」
イギリス人を混乱させた日本人の名前とは。
第一話はこちらから⬇︎
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