小学5年生が泣きながら単身イギリス留学した話 第5話〜深夜の火災と言葉の壁〜
※これは1995年、今から約30年前の話です。まだインターネットも携帯電話も普及していなかった時代、英語を話せない10歳の私が、イギリスで奮闘した日々を綴ります。
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もし、言葉の通じない遠い異国の地へ、あなたの大切な人が旅立つとしたら。
たったひとつだけ、その国の言葉を教えられるとしたら、何を教えますか。
父が10歳の娘に教えた唯一の英語は、これだった。
何か聞かれて困ったらね、
アイ・ドント・ノー って答えなさい。
お父さん、ウソでしょ…
もう少し何かなかった?
だけど、10歳の私は素直だった。
うん、分かった!
何か聞かれたらアイ・ドント・ノー って言えばいいんだよね?
アイ ドン…
えーっと、なんだっけ。アイ……アイ……ドント……
私は心の中で念仏を唱えるように50回くらい「アイ・ドント・ノー」を繰り返して覚えた。
両親は私をイギリスの学校まで送ってくれた。
学校はまだ春休み中で閑散としていたが、ひと足先に戻ってきていた数名の生徒や、校長先生の5人の子どもたちがいた。
校長先生との挨拶を済ませると、いよいよ別れの時が来た。
◯◯ちゃん、頑張ってね…
母は涙を拭いていた。
私は母を心配させまいと、両親が乗ったタクシーに向かって無理やり笑顔を作り、大きく手を振った。
タクシーが見えなくなるまで。

その後、私は校長先生の子どもたちと遊んだ。
色々なことを聞かれたと思う。
何歳なの?名前は?
どこから来たの?
何して遊ぶ?
私はもちろん、父に教わった唯一の英語で返した。
アイ、ドント…ノー
みんな不思議そうな顔をした。
そして別の質問をした。
私は答えた。
アイ・ドント・ノー
今度は前より少しうまく言えた。
また質問された。
アイ・ドント・ノー!!
そのうち子どもたちは「ダメだこりゃ」といった感じで肩をすくめて笑った。
だけど、小学生の適応力はすごかった。
仲良くなるのに、言葉はそれほど必要なかった。
学校の敷地や野原を走り回り、ブランコに乗り、校長先生が飼っている猫と戯れたりした。
気がつけば、あっという間に夜になっていた。

ボーディングスクール(寄宿学校)での私の部屋は大部屋だった。
二段ベッドが4台並び、8人が生活できる部屋だ。
ただ、まだ春休み中だったため、その日はほとんど人がいなかった。
寂しいだろうという学校側の配慮だったのだろう。
私は、ひと足先に戻ってきていた高校生くらいのお姉さんたちと同じ部屋に案内された。
当時、まだ返還前だった香港からは多くの留学生がイギリスへ来ていた。
香港人のお姉さんたちは優しかった。
何か話しかけてくれている。
でも私は分からない。
困った顔で答える。
…アイ・ドント・ノー
必殺アイドントノーである。
今思うと、お姉さんたちも困ったと思う。
やがて寮母さんらしき人がやって来て、ベッドを指差した。
どうやら消灯時間らしい。
一人のベッドで寝るのは怖かった。
私は日本から持ってきたうさぎのぬいぐるみをベッドの脇に並べた。
心臓がドキドキする。胸がざわざわして落ち着かない。
得体の知れない不安が押し寄せてくる。
あまりにも孤独だった。
一番お気に入りのうさぎを抱きしめる。
ママ…お父さん…
友達に会いたいよ
さみしいよ、不安だよ、もうやだよ…
声を殺して泣いた。
どれくらい時間が経っただろう。
ようやく少し眠りかけていた、その時だった。
ジリリリリリリリ!!!!!
ジリリリリリリリ!!!!!
ジリリリリリリリ!!!!!
ものすごい音が鳴り響いた。
火事だ。
そう思った。
心臓が口から飛び出しそうなくらいドキドキした。
どうしていいか分からない。
うさぎのぬいぐるみを抱きしめたまま固まっていると、香港のお姉さんが何か英語で叫んでいる。
もちろん分からない。
でも、手を引っ張ってくれた。
どうやら外へ出ようと言っているらしい。
私は慌ててお姉さんの後を追った。
長い長い螺旋階段を駆け下りる。
夜のひんやりした空気。
うす暗い建物に響き渡る非常ベル。
窓のステンドグラスは不気味に見えた。
他の部屋からもパジャマ姿の生徒たちが次々と出てきた。
みんな眠そうな顔をしている。
すると途中で、お姉さんを見失ってしまった。
どこへ行けばいいのか分からない。
私はとりあえず人の流れについていった。
たどり着いたのは大広間だった。
天井の高いダイニングルーム。
寮母さんらしき人が何か説明している。
当然、ひとことも分からない。
しばらくすると非常ベルは止まった。
生徒たちは眠そうな目をこすりながら、ときどき笑い合い、それぞれの部屋へ戻っていく。
…えっと、火事じゃなかったのかな?
私も部屋に戻ればいいのかな?
何が何だか分からないまま、私は再びベッドに入った。
心臓はずっとドキドキしていた。
イギリス留学、最初の夜。
私は一睡もできなかった。
次回、ついに始まる新学期
I have diarrhea(私は下痢です)を連呼する電子辞書の話
つづきはこちら⬇︎
第1話はこちら⬇︎
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