ろろろのめ第33回 文化の潮流が変わった。二元論から多面性へ【エンタメとポップカルチャーの新時代】
文化の潮流が変わった。二元論から多面性へ【エンタメとポップカルチャーの新時代】
ーキャンセルカルチャーの終焉とWoke疲れ ― エンタメが示す新しい価値観ー
はじめに
2024年11月6日アメリカ大統領選挙は、ドナルド・トランプが激戦7州すべてで勝利し、過半数を超える312人の選挙人を獲得した。共和党の候補者が総得票数で民主党の候補者を上回るのは20年ぶり、大統領の返り咲きは19世紀のグローバー・クリーブランド以来、132年ぶり史上2人目の快挙である。
この結果は、アメリカ社会に渦巻いていた空気に対する必然的な帰結に過ぎない。長い間滞留していた大衆の感情が、ついに顕在化したのである。2020年代中盤、エンターテイメントとポップカルチャーは「キャンセルカルチャー」と「Woke疲れ」から脱却し、多面的で人間らしい価値観へと移行している。本稿では、セレブリティの戦略変化や音楽・映画の潮流を分析し、この不可逆的な文化シフトを解説する。
Woke疲れとキャンセルカルチャーの限界
2010年代後半、ハリウッドや音楽シーンでは、リベラルな価値観を積極的に表明することが「正しい」とされてきた。この流れが「アイデンティティ・ポリティクス」や「キャンセルカルチャー」を拡大させたが、結果として、大衆は「Woke疲れ」と呼ばれる反発を抱くようになった。
過剰なポリティカル・コレクトネスは、次第に偽善的なパフォーマンスに映り、SNS上での断罪文化は人々を疲弊させた。この空気の転換点となったのが、シドニー・スウィーニーが出演したジーンズ広告である。政治色を排したシンプルで魅力的な表現は、広範な支持を集め、純粋に「良いものを楽しみたい」という欲求が強い力を持つことを証明した。


セレブリティ戦略の変化 ― 多面性の時代へ
テイラー・スウィフトは、長らく政治的発言を控えることで幅広い人気を得ていたが、時代の流れとともに立場を表明するようになった。一方で、シドニー・スウィーニーやサブリナ・カーペンターといった新世代のセレブリティは、政治的メッセージを避け、あくまでエンターテイナーとしての活動に注力している。
彼女たちの姿勢は、大衆が「完璧なロールモデル」ではなく、「不完全で人間らしい存在」に共感していることを物語る。炎上やゴシップさえも戦略として活用する彼女たちの行動は、単なる逆張りではなく、現代のセレブリティに求められる柔軟性と戦略性を体現しているのだ。

音楽・映画に見る潮流の変化
この文化的な変化は、音楽チャートや映画の興行成績にも明確に表れている。政治的メッセージを強調した作品は減少し、個人の感情や「リアルな本物らしさ」を表現する作品がヒットしている。その代表例がCharli XCXのアルバム『brat』である。完璧さを拒絶し、ありのままの自分をさらけ出すスタイルが、新しいポップの価値観として高く評価された。
この流れは、映画界では「セラピー映画」として具現化されている。「セルフラブ」、すなわち「ありのままの自分を認めて大切にすること」を主題にした作品が目立ち始めたのだ。自己肯定感を高め、他者に依存せず自らの意思で行動する主人公の姿は、完璧でなければならないという社会のプレッシャーから人々を解放する。
形骸化したリベラリズムの失敗と「避難所」の誕生
セルフラブを創造するリベラルな感性は、本来、個人の自由と多様性の受容を内包するものだ。しかし、SNSで蔓延した形骸化したリベラルの方法論は、この本質を見失った。それは、自己受容から始まる内省的なアプローチではなく、「何が正しいか」を外部の規範に求めた結果、他者への断罪と監視を内包したからである。この「断罪マインド」が蔓延したSNSは、人々が心の安寧を求める場所ではなく、常に自身の言動が監視される「戦場」と化した。
このため、人々は、正義を振りかざす形骸化したリベラルな言説から距離を置くようになった。それは、セルフラブが標榜する「ありのままの自分を愛する」という思想とは正反対の、「常に正しい自分を演じ続けなければならない」という重圧を与えたからだ。
セレブリティたちはこの変化を敏感に察知し、大衆が求める「避難所」をエンターテイメントとして提供している。この文化の潮流は、右派・左派や善悪二元論といった単純な評価軸からの脱却を意味する。今後、この不可逆的な変化を前提として、エンターテイメント産業だけでなく、社会全体がより複雑で人間らしい方向へと進んでいくことが予想される。
KATSEYE「Mean Girls」が示す多面的な価値観
このような潮流の変化を象徴する作品として、KATSEYEの「Mean Girls」の歌詞が挙げられる。この楽曲は、単なる善悪二元論を超越し、あらゆる女性たちへの祝福を歌い上げている。
God bless the sweet girls God bless the dream girls God bless the queen girls that turn the other cheek girls God bless the free girls And, yes, God bless even the mean girls
優しい女の子に、神の祝福がありますように
夢見る女の子に、神の祝福がありますように
女王のように、耐え忍ぶ女の子たちにも
自由な女の子にも神の祝福を
そして、意地悪な女の子にも神の祝福を
この歌詞は、優しい女の子や夢見る女の子だけでなく、世間で「意地悪」とレッテルを貼られる人々にも祝福を与える。さらに、社会が断罪しがちな「hot girls」や「thot girls」(性にオープンな女性)にも祝福を送っている。
God bless the hot girls God bless the thot girls God bless the shot girls That go get what they want girls God bless the free girls And, yes, God bless even the mean girls
ホットな女の子に、神の祝福がありますように
性にオープンな女の子にも神の祝福を
お酒を楽しむ女の子にも神の祝福を
欲しいものは自分で手に入れる女の子たち
自由な女の子に、神の祝福がありますように
そして、意地悪な女の子にも神の祝福を
さらに、最終節では「トランスジェンダー女性」や「その中間にいる女の子たち」にも神の祝福を願うことで、性別やアイデンティティの境界線さえも超越し、人間としての多様性そのものを肯定している。
God bless the T girls And all the in-between girls
この楽曲は、他者を断罪するのではなく、ありのままの多様な姿を受け入れるという、新しい時代の価値観を音楽で表現している。これは、まさにエンターテイメントが「避難所」として、複雑で人間らしい世界を肯定していることの、一つの証明と言えるだろう。
