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薩摩藩の「経営理念」が体現された街並みが残る知覧城〜お城マニアへの道 No.176

こんにちは!

歴史と食がつながると、旅はもっとおもしろくなる。
お城さんぽの楽しさをお届けしたい!
アラフィフ旅ライターの更科そば子です。

前回は、シラス台地の空堀が圧巻の志布志城をご紹介しました。

今回も「島津氏の本城と支城」シリーズ、知覧城です🏯

知覧といえば、特攻隊の基地として知られ、「薩摩の小京都」と呼ばれる武家屋敷群が有名です。

でも実はその武家屋敷群の背後に、南九州の中世山城の典型例として国の史跡に指定された、知覧城があるのです🏯

南九州ならではの特徴にはどんなものがあるのでしょうか?

ではでは、お城検定目線+更科そば子の旅目線で学んでいきましょー!


基本情報:知覧城

  • 城名:知覧城(ちらんじょう)

  • 区分:続日本100名城

  • 所在地:鹿児島県南九州市知覧町郡

  • 築城者:不明

  • 築城年代:15世紀ごろ

  • 城郭構造:山城

  • 天守:なし

  • 主な城主:佐多氏

  • 別名:なし

  • アクセス:JR九州新幹線「鹿児島中央駅」から鹿児島交通バス「知覧特攻観音入口」行で約10分、「中郡」下車後徒歩約15分

  • 本丸までの所要時間:約1〜1.5時間

👉 ポイント

  • シラス台地を利用した空堀・断崖が特徴の南九州中世城郭の典型例

  • 空堀の底から曲輪までの高低差は30m超え

  • 1600年頃に原因不明の火災で廃城。人の手が入らなかったため遺構が良好に残った

  • 廃城後は知覧麓(外城制)が整備され、現在の武家屋敷群につながる

知覧城の歴史

知覧城は、平安時代末期、この地を統治していた郡司・知覧忠信が最初に城を構えたとされます。
「知覧」という地名は、この知覧氏に由来しています。

室町時代に入ると、島津氏一門の佐多忠光がこの地の領主となり、知覧城を居城として整備しました。
その後、島津氏の内紛に伴い一時伊集院氏の配下に置かれましたが、1420年(応永27年)に島津久豊が奪い返し、再び佐多氏の居城となります。

その後、江戸幕府の一国一城令により、島津家は薩摩と大隅の2国を領有しながら、鹿児島城のみしか保有を認められませんでした。
つまり、知覧城は廃城とせざるを得なかったのです。

江戸時代の薩摩藩は、他藩に比べて武士の人数が多く、藩の4人に1人は武士階級でした。
人数が多すぎたため、藩士の全員を鹿児島城下に住まわせることができませんでした。

そこで薩摩藩は、外城制(とじょうせい)という独自の制度を整備します。
知覧城も、知覧麓(ちらんふもと)という集落が置かれ、佐多氏が武士団を率いて常駐することに。
それが現在の知覧武家屋敷群のルーツです。

知覧麓にその機能を譲ることとなった知覧城は、廃城後ほとんど手が入らなかったため、南九州の中世山城の姿をそのまま残すこととなり、1993年(平成5年)に国の史跡に指定されました。

見どころ情報(検定向け)

● 高低差30m超えの空堀

知覧城最大の見どころは、石垣を積まず、自然の地形をそのまま巨大な堀や切岸(きりぎし)として活用した、日本でも珍しいダイナミックな構造と美しい景観です。

「本丸」「蔵の城」「今城」といった中心部の曲輪と、それを取り巻く周辺の曲輪のあいだには深い空堀がめぐらされ、空堀の底から曲輪までの高低差はなんと30メートルを超えるそうです。

ちなみに、曲輪のことを「城」と呼ぶのは南九州の特徴だそうです。

前回の志布志城も20mの空堀を有していましたが、地質でこれほどお城の姿が変わるのは本当におもしろいです!!

● 枡形虎口

「枡形虎口(ますがたこぐち)」は、本丸などへ通じる道の入り口を、L字やクランク状に曲げ、侵入してくる敵の勢いを止めて多方向から一網打尽にするための高度な防御構造です。
知覧城では、それらがかなりの規模にわたって良好に残っています。

普通は石垣を積んでつくる枡形虎口を、シラス台地を切り出すことで作り上げているのが特徴。
中世の山城でありながら、近世城郭の防御思想が加わった複合的な構造が見どころです。

● 知覧武家屋敷群

城下に広がる知覧武家屋敷群も見どころです。

「薩摩の小京都」と呼ばれる知覧武家屋敷庭園は、江戸時代の情緒が残る町並みと、国の名勝に指定された7つの庭園が最大の魅力です。

知覧城→武家屋敷群と順番に歩くことで、戦国時代から江戸時代への薩摩の統治の変化が実感できるとのこと。
武家門をくぐった先にある切石の目隠しもぜひ見てみたいです!

城下町グルメ(※試験には出ません!)

と、いうわけで!皆さんお待ちかね!
お楽しみの城下町グルメ情報のお時間です!

「薩摩の小京都」はおいしそうなスイーツが目白押しでした!

■ 知覧茶スイーツ

南九州市の知覧は、全国屈指のブランド茶「知覧茶」の一大産地です。
温暖な気候と豊かな土壌が生む知覧茶は、香り高く深いコクが特徴です。

武家屋敷群のカフェで抹茶スイーツやお茶をいただくのが、知覧観光の定番コースとのこと🍵
知覧茶シュークリーム、おいしそう!!

■ あくまき

知覧町の郷土菓子「あくまき」は、もち米を竹の灰汁(あく)に浸し、竹の皮で包んで長時間煮込んだ伝統的な和菓子です。
独特のもちもちした食感と香りが特徴で、きな粉や砂糖醤油をまぶして食べるのが一般的です。

常温で数日から10日程度日持つため、戦国時代の兵士が携帯食・戦陣食として使ったとも伝わり、歴史度も高い一品です。

知覧茶専門店・川口茶舗さんでは、知覧茶とともにあくまきを販売しており、お茶と共にいただけるそうですよ!

■ かるかん

かるかんは、薩摩藩の銘菓として知られている山芋と米粉を使った伝統和菓子です。
江戸時代に薩摩藩で生まれ、参勤交代の際に江戸に持ち込まれたことで全国に広まったとされています。

知覧では知覧茶をかるかん生地や餡に練り込んだ商品が売られており、かるかん特有のしなやかな弾力と山芋の風味に、知覧茶の爽やかな香りとお茶のまろやかな甘みが絶妙にマッチしているんだとか。

薩摩の小京都で薩摩藩のお菓子をいただく。
いや、マジで最高でしょう!

更科そば子的感想まとめ

島津氏を調べていくと、「城をもって城とせず、人をもって城と成す」という言葉が出てきます。
これは、強固な物理的城郭に頼るのではなく、「国を守り支えるのは、団結した人々の心や人材である」という人間重視の統治・防衛思想を表しています。

島津家は、本城である鹿児島城をあえて天守閣のない簡素な造りにし、領内各地に「外城」と呼ばれる武家屋敷群を分散配置しました。
武士たちは各地の麓に根を張り、地域と一体になって藩を支えていたのです。

そして、平和な江戸時代においても決して油断せず、武芸を磨き続けたとされています。
お城は失われても、誇り高い心と人材を育て続ける制度はしっかりと残した薩摩藩だからこそ、明治維新で大活躍することになるのだと思うと、やっぱり歴史は繋がるなあと感じます。

そして、薩摩藩の理念の体現である外城の一つが、知覧に残っているのです。
その街並みを眺めながら、知覧茶と知覧茶スイーツ、ぜひにいただきたいです😋

次回は、宮崎県宮崎市の佐土原城です。

伊東氏の城を島津家久が奪取し、日向経営の拠点としたお城。
「伊東vs島津」100年の争いの終着点です。

次回も島津氏ゆかりのお城です、楽しみです!!

もしあなたも私と一緒にお城とグルメの旅を楽しんでいただけるなら、スキ&フォローで応援してもらえると嬉しいです☺️

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