楽しめるわけなんてない、不登校。そのハードルを下げる。
こんにちは、裕美です。
「お母さんがまず、自分の人生を楽しみましょう!」
不登校に悩むお母さんなら、一度は耳にしたことがある言葉かもしれません。
でも、この言葉にウンザリしているあなたへ。
ウンザリして、正解です。
今日は、そんなお話をさせてください。
「望むこと」は選べない。
先日、こんな言葉を見かけました。
「人は自分が望むことをすることはできるが、望むこと自体を選ぶことは出来ない」ドイツの哲学者、アルトゥル・ショーペンハウアーの言葉だそうです。
これ、本当にそうだなと思ったんです。「望むこと」って、それだけで一つの才能であり、豊かさ。周りが「望みなさい!」と言って選ばせることなんて、到底できないんですよね。
娘が不登校だった頃、私の中には常に「強迫観念」に近いものがありました。
• 「何に困ってる?」
• 「学校、一緒について行こうか?」
• 「今の気分はどんな感じ?」
朝の欠席連絡ひとつとっても、アプリの回答時間ギリギリまで「もしかしたら行けるかも」という淡い期待を捨てきれず、結局行けなくて落ち込む毎日。
常に子供の心を探り、選択を迫られ、出口のない迷路を彷徨っているようでした。
本当に、本当に苦しかった。
だけど、今なら分かります。
本当は、何もしてあげられないし、何もしなくて良かったんです。
冒頭の哲学者の言葉と同じで、本人が「望む」のを待つしかない。
親にできるのは、その土壌を整えることだけだったんです。
よく「回復するまでそっとしておきましょう」と言われますが、大事なことが一つ抜けている気がします。
確かに休養は大事。
でも、家で元気にゲームをしている子供を見て、
「いつまでこのままなの?」
「様子を見るっていつまで?」
とお母さん側の限界が先に来てしまう。
私は、娘の不登校を「大変なこと」だと受け止めました。でもそれは、人生が「大きく変わる」タイミングだとも思ったんです。
だからこそ、それまで通りに悩むのをやめ、資格の勉強をしたり、オンラインサロンで学んだりしました。
徹底したのは、「自分のご機嫌は自分でとる」ということ。
もちろん、すぐに「楽しむ」なんて無理でした。
だって、目の前の現実は辛かったから。
なので私は、最初は、楽しんでいる時間に「気づく」ことだけを始めました。
私はすぐに忘れてブーブー文句をたれてしまうので(笑)それを一冊のノートに書き記すことにしたんです。

• ノートを開いた瞬間に感じる、自分に帰ってきたような「おかえり」という感覚。
• コーヒーを一口飲んだ、その一瞬。
• 娘がふと笑った時に、自分の中に流れた安堵感。
「あ、今、私ホッとしたな」
「今、少しだけ嬉しかったな」
そんな小さな小さな、日常に埋もれた「安心」を一つずつ集めていきました。
そうしたら、少しずつ、でも確実に、私の中に根っこが生えるように安心が育まれていったんです。
「お母さんがまず楽しみましょう」という言葉に絶望しているあなたへ。
無理に楽しもうとしなくて大丈夫。
まずは、自分が一日の中で「何を感じているか」に気づくことから始めてみませんか?
「うれしい」も「たのしい」も、「ムカつく」も「苦しい」も。
自分が、どの感情を拾い上げているのか。
まずはそれを知るだけで、景色は少しずつ変わり始めます。
お母さんが、自分の人生を楽しみましょう
じゃなくていい。
お母さんが、自分の人生の楽しい時間に気づきましょう?
ちょっとしたことで、私たちは幸せになれるんです。
自分で高くしてしまった、楽しいや嬉しいのハードルを、下げてあげたらいい。
何も信じられなくなって、楽しかったことも楽しめなくなった私が、少しずつ自分を取り戻せたのは、こうして自分の中に「安心」を育んだからだと思っています。
そして今。読んでくれているあなたにも、ほんの少しだけの安心を手渡せたなら、嬉しいです。
裕美
