【不登校】配慮を求めても、苦しさが変わらなかった理由
春休みが始まりましたね。
桜も咲き始めて、季節はちゃんと進んでいるのに
なぜかこの時期、
私は少しせっかちになります。
早く、早く、って。
学校がある日々に比べると
少し気持ちが軽くなるお母さんも、子どもたちもいるかもしれません。
私は、ベランダから制服を着た子たちを見かけなくなるだけでも、少しホッとしていました。
でもやっぱり、頭の片隅には浮かぶんです。
進級のこと。
担任の先生は誰だろう。
クラスはどうなるんだろう。
あの子と一緒かな。
そして
4月になっても、
やっぱり行けなかったらどうしよう。
次から次へと、考えが出てきますよね。
子どもが不登校になると、
どうしても担任の先生とのやり取りは増えるからこそ余計な先入観や思い込みは捨てて、コミュニケーションをはかりたいところです。
最近、Threadsで
「配慮」という言葉が話題になっていました。
「どうせ、配慮なんてしてもらえない」
そう思ったこと、ありませんか?
私は、ありました。
期待して傷つくくらいなら
最初から期待しないほうがいい。
そんなふうにして、
自分の心を守っていた気がします。
正直に言うと私は
「どうせ先生には、
私たち親子のことなんて分からない」
そう思っていました。
ちょっと拗ねてますよね(笑)
これは、ノートを書き始める前。
娘が中学2年生の頃の私です。
そこからノートを書き始めて、
中学3年生に進級する頃には
同じ「進級」なのに
感じ方が変わっていました。
それはなぜか。
少し、立ち止まって
考えてみてほしいんです。
毎日、手探りで
どう声をかけるか悩んで
どう関わるのがいいのか分からなくて
一番近くで見てきたはずの私でさえ
子どものことが分からなくなった。
正解も
希望も
願いも。
分からなくなったんです。
だったら、先生が分からないのは
当たり前なんですよね。
だからこそ思うんです。
「配慮してほしい」と願う前に
もっと大切なことがあるんじゃないかって。
外側に「配慮」を求めても
苦しさは、あまり変わらない。
先生に「分かってもらえない!」と
絶望する前に
私たちが自分に問いかけた方がいいことがある。
次回は、そのことについて書いてみようと思います。
最後まで読んでくれて
ありがとう
裕美。
