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未来の自分を信頼していこうか

~違和感を好奇心に変える力~

前回のコラムでは「私はなぜ寄り道に惹かれるのか」について書きました。
書き終えてから、ふと気づいたことがあります。

もしかすると、私が「寄り道的な生き方」が好きなのは、目的地へ向かうことよりも、違和感と出会うことが好きだからなのではないか、と。


違和感は「止まれ」のサインだけではない

私たちは「違和感」という言葉を、どちらかと言えばネガティブなものとして受け止めています。

何かがおかしい。
しっくりこない。
気持ち悪い。
危険かもしれない。

もちろん、それは間違いではありません。
命や尊厳を守るための違和感は、とても大切です。

でも、私はもう一つの違和感もあると思っています。
それは、自分の世界を広げる入口としての違和感です。

「そういう考え方もあるのか。」
「今まで気づかなかった。」
「なんだか引っ掛かる。」

その小さな「あれ?」が自分の思い込みや固定観念を映し出してくれます。
だから私は、違和感を覚えること自体は悪いことではないと思っています。

むしろ、多方面に関心を寄せているからこそ生まれる、とても豊かな感性なのかもしれません。


子どもは、違和感の先生

例えば、子どもは毎日のように親の理解を超えることをします。
幼少期だけではなく思春期になると、さらに拍車をかけます。

その時に、身近な大人は…

  • 身の危険や他者に危害を及ぶことでもないのに「なんでそんなことをするの」と、自分の違和感をもとに子どもを矯正しようとするのか

  • 「面白いね」「なんでそう思ったんだろう」と大いに関心を寄せるのか

この違いは、とても大きいように思います。

子どもの主体性の芽生えは、親にとって違和感の連続です。

そうした中で、その違和感を「好奇心」へ変えられた時というのは、子どもだけでなく親自身も、新しい世界を見出していくのでしょう。


「あれ?」は問いの始まり

私は以前から、こんなふうに考えていました。

違和感を覚える
  ↓ 
すぐに「正しい/間違い」の判断をしない
  ↓
なぜ違和感を覚えたのだろうと自分を眺めてみる
  ↓
自分の思い込みや固定観念に向き合ってみる
  ↓
新しい世界を見出すこともある

つまり、違和感は「答え」ではなく「問い」の始まりなのだと思うのです。

新しい可能性を自ら見出す「入り口」とも言えます。

そう考えると、全ての違和感を自分の歩みから排除するのは、結構もったいないことではないでしょうか。

「なんか、いやだな…」と避けて通るばかりではなく…
「あれ?」ということを落ち着いて受け入れてみると発見の機会が増える。

それが「違和感からの可能性」という考え方です。


遊びとは、違和感と仲良くなること

こうしたことを常に思考しているうちに、私の中では「遊び」の意味も少し変わってきました。

ここで述べる「遊び」とは、暇つぶしでも、ご褒美でもありません。

正解を急がず、違和感に好奇心を向け続ける姿勢。
それこそが「遊び」が持つ可能性であり、本質なのかもしれません。

「違和感」を前向きの捉えた考え方で「遊び」につなげてみると…

「遊び」とは、違和感を排除せず新しい可能性として受け止める人間の営みなのかもしれない。

…そんな仮説が、少しずつ私の中で大きくなっています。


寄り道は、心が動くためにある

そう考えると前のコラムで語った「寄り道」の意味も次のような表現に置き換えられます。

「寄り道とは、違和感を避けずに歩くこと。」

一直線に目的地へ向かえば、確かに違和感は少ないでしょう。

しかし、寄り道には「あれ?」「思っていたのと違う」「なんでだろう」といった小さな驚きがあふれています。

そして、その違和感を「予定外」「想定外」と切り捨てるのではなく、前向きに「面白そう」と受け止められた時、新しい目的地が生まれることがあります。

そもそも私は、人は「夢を探す存在ではない」と思っています。
「心が動く経験を重ねる中で、夢と出会う存在」であると思っています。

そのため、あらゆる寄り道を排除して失敗のない道を推奨しながら「自分の夢を探せ」と、矛盾したことを大人に言われる子どもは、どうしても夢と出会う機会も減るので、もう混乱しかありません。

したがって、心が動く経験の積み方においては、最初から視野を狭める必要はないと考えます。

これは…成功を先に描かなくてもいいという考え方です。
それと同時に、心が動くものに出会うために、むしろ寄り道を推奨します。


今に活きる母の訓え

私がここまで「寄り道」を肯定できるのは、実は子どもの頃の母の言葉が大きく影響しています。

母は、答えを教える人ではありませんでした。
いつも、「あなたはどう思う?」と問いを返してくる人でした。

だから今思えば、母が育てようとしていたのは、正解を知る子ではなく、自分で問いを持てる子だったのかもしれません。


<得意より、好きを見つけなさい>

母は、こんなことをよく話してくれました。

得意なことが見つかっても、それが本当に好きなことなのかは、ちゃんと見極めなさい。
得意だからという理由だけで続けていたら、好きでもないそのことばかりをさせられる人生になるかもしれへん。

でも、本当に好きなことが見つかったら、それを深めるために、自分に何が足りないかを見つける人になりなさい。
学びは、人から与えられるものやあらへん…自分で見出すものなんやで。

幼い頃は、なんとなく聞いていました。

今振り返ると、母に「勉強しなさい」と言われた記憶がありません。
それは実のところ、兄とは違い「勉強しろ」と言ってもやらないので、半ばあきらめの境地だったと晩年語っています。

それでも「この子は好きなことが見つかれば、勝手に学び始めるやろ。」といった信頼が、母にはあったのでしょう。


<計画より、心が動いた瞬間を大切に>

もう一つ、よく覚えている言葉があります。

計画なんて、未来の自分が立てるもの。
そんなことより、今の自分の心が動いた瞬間を大切にしなさい。

計画に執着すると、目の前の大切なことを見落としがちになるねん。
計画を立ててその通りに動くと、頭は楽になるけど、心を置いてきぼりにすることもあるんよ。

何をしでかすかわからんあんたはヒヤヒヤするし、あんたのやることは理解でけへんことばかりやけど、オモロイからずっと味方ではいてあげるわ。

当時は意味が分かりませんでした。
しかし、今になって…「寄り道が好き」という私の感覚は、この頃から芽生えていたのかもしれません。


<思い通りより、自分を信頼しなさい>

母が最後によく話してくれたのは、こんな言葉でした。

思い通りになる未来を信じてはいけません。
思い通りにならなくても、想定外のことが起きても、その時の自分なら向き合えると信じられる人になりなさい。

真っすぐ生きるというのは、真っすぐな道を歩くことやないねんで。
曲がりくねっても、遠回りでもええから、必ず心が動く道を見つけなさい。

今なら分かります。
母が私に伝えたかったのは、おそらく「寄り道をしなさい」ということではなかったのでしょう。

「未来の自分を信頼できる人になりなさい。」

その一言に尽きるのだと思います。


知らなかった自分に出会い続ける勇気

もちろん、違和感を楽しむには「余白」が必要です。
仕事や家庭で疲れ切っているとき、人は違和感を避けたくなります。

それは主体性がないからではありません。
ただ、これ以上処理するものを増やしたくないだけなのです。

だから「そんな生き方はあなただからできる」というあきらめに近い言葉で片付けないで欲しいのです。
私はみんなに「もっと遊びましょう」と言いたいのではないのです。

まずは、違和感を安心して味わえる「余白」を取り戻してほしいのです。「余白」が生まれたら、違和感はストレスではなく、必ず「好奇心」へ変わっていきます。

さらに私は「主体性」という言葉も、もしかしたら多くの人とは少し違う意味で捉えているかもしれません。

一般的に主体性とは「自分で決めた目標へ向かって行動する力」だと語られます。
でも、私が大切にしたい主体性は「自分でも知らなかった自分に出会い続ける勇気」です。

だから「寄り道」も必要になります。
「違和感」も必要になります。
「遊び」も必要になります。
「余白」も必要になります。

自分はこういう人間だと決めつけるのではなく…
こんな自分に必ずなるという覚悟を決めるのではなく…

「まだ知らない自分」がいることを信じ続ける。
私は、その姿勢こそが未来の自分を信じてみたくなる主体性なのだと思っています。


未来の自分を信頼していこうか

経験上、私は一つだけ確信していることがあります。

「あれ?」を能動的に拾い続けていると、いつか「あら!そういうことか」と腑に落ちる瞬間が訪れます。
その瞬間は、どこかに用意されていた答えに出会うというより、自分だけの景色を見出したという感覚に近いのです。

そして、その積み重ねが「これが私なんだ」という、どこか素直に自分自身を受け止められる感覚につながっていきます。

そして私が信じて疑わないのは…「人は、自分が予想外の自分に救われた経験があるほど、他者の予想外にも優しくなれる」ということです。

そうした人が少しずつ増えていくことで、「ありがとう」が自然に循環する社会が育っていく。

苦手なことも安心して言え、違いを面白がれる関係が生まれる。

そうした関係を、一人ひとりが少しずつ耕していくことで、家庭にも、職場にも、地域にも、新しい文化が芽吹いていくのだと思います。

家庭でも、職場でも、地域でも。
そんな文化は、誰かが教えて育てるものではありません。
一人ひとりが少しずつ耕していくものなのだと、私は信じています。

だから今日も私は、目的地だけを目指すのではなく、小さな「あれ?」を探しながら寄り道をしています。

Backstage,Inc.
文化形成デザイナー
河合 義徳

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<参考コラム>「寄り道」の魅力↓↓↓


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