私はなぜ「寄り道」に惹かれるのか
~予想外の自分と出会うための余白~
目標を持って人生を進めること。
未来を描いて計画を立て、自分との約束を守ること。
こうしたことも、もちろん大切です。
ところが私自身のことを振り返ってみると、私を本当に育ててくれたものは、計画通りに進んだ出来事ばかりではありませんでした。
むしろ…
何気なく始めたこと。
思いがけない試練。
寄り道先で見つけた気づき。
ノイズにしか聞こえなかった違和感。
そうした出来事の中のほうが、新しい自分の可能性と出会ってきた数が圧倒的に多い気がします。

もちろん、自ら挑んだことで招いた不測の事態に凹むこともありました。
それでも振り返ると、私は「人生をうまく進めること」よりも「人生と出会い続けること」のほうが性に合っているようです。
だから「寄り道」が私は大好きなんでしょう。
ここでいう「寄り道」とは、目的地に向かうことをやめることではありません。自分の人生と出会うための「余白」です。
このコラムは、なぜ私はこんなにも「寄り道」に惹かれるのかを、自分自身の歩みを振り返りながら探ってみた記録でもあります。
完成予想図より予想外の感性
最近、「ブリコラージュ」と、その対義語として語られることの多い「エンジニアリング」という言葉について考える機会がありました。
どちらが優れているという話ではありません。
私自身、この二つを場面によって使い分けているからです。
「ブリコラージュ」とは、もともとフランス語で「手元にあるものを活かしながら組み合わせていくこと」を意味します。
完成図を先に決めるのではなく、その時々の出会いや状況を活かしながら形をつくっていく考え方です。
その一方で「エンジニアリング」は、目的地を定め、完成形を描き、そこへ向かう道筋を設計する考え方です。
私は、このどちらも人間にとって大切な力だと思います。
実際のところ、私が自社で携わっている組織の文化形成デザインの仕事でも、この二つの視点を使っています。
組織が目指す方向性を見つめ直し、理念や価値観を言語化し、未来を描く。
そこにはエンジニアリング的な視点が欠かせません。

しかし同時に人の心が本当に動く瞬間は設計できないことも知っています。
理念が腑に落ちる瞬間。
自分らしい言葉と出会う瞬間。
仲間との対話の中で、新しい価値観が芽吹く瞬間。
それらはいつも、予定通りではなく、日々の営みの中で起こる思いがけない対話や気づきから生まれてきます。
だから私は、フレームワークはエンジニアリング的な大胆なアプローチで、感性を育む営みは緻密なブリコラージュ的なアプローチで臨んでいます。
そして最近感じるのは、この二つはどちらも必要だけれど、順序が大切なのではないかということです。
先に設計ばかりが強くなると、人は目的地へ向かうことに夢中になります。
そうすると、目の前を通り過ぎる新しい可能性や、自分自身の小さな心の動きを見落としてしまうことがあります。
一方で、ブリコラージュだけでは、せっかく見つけた可能性を形にできないこともあります。
まず感性との出会いがあり、その後に形にしていく・実現するための工夫が生まれる。
まずブリコラージュ的に「なんとかする」という能動性があり、その積み重ねがエンジニアリング的な「なんとかなる」につながっていく。
私は、そんな流れがとても自然なことなのではないかと感じています。
段取りを間違えたりどちらかに偏るのは不自然なものとなるためか、人は疲れ果てるようになっているようです。
自由な野に解き放つ道場
私が運営している「ジブンのヨハク探求道場」も、そんな考え方から生まれています。
誰かを理想の姿へ導きたいわけではありません。
誰かを救いたいわけでもありません。
ただ、一人ひとりが自身の感性と再会するための余白をつくりたいのです。
私は迷える羊を囲いの中へ導きたいのではなく、それぞれが自由な野を歩けるようになることを願っています。
その人だけの景色。
その人だけの問い。
その人だけの歩幅。
それらを信じたいのです。

そういえば、この道場の参加者の振り返り記事を読んで「主体性と自律の相関性」について考える機会がありました。
一般的に「自律」とは、自分を律し、感情や行動をコントロールすることとして語られます。
もちろん、それも大切な力です。
けれど私は、その前にもっと大切なものがあるように思うのです。
何に心が動くのか。
何にワクワクするのか。
何に違和感を覚えるのか。
そんな感性との出会いです。

主体性は、コントロールから生まれるのではなく、感性との出会いから生まれる。
そして自律は、その主体性を形にするために後から必要になる力なのではないか。
そんな仮説に辿り着きました。
もしかすると、主体性はブリコラージュ的な要素であり、自律はエンジニアリング的な要素なのかもしれません。
自分が大切にしたいもの
以前から私は「未来の自分を心配する」より「未来の自分を信頼したい」という感覚を大切にしています。
未来を心配すると、正解を探したくなります。
失敗しない方法を求めたくなります。
確実な道を選びたくなります。
ところが、自分を信頼していると少し景色が変わります。
寄り道が怖くなくなる。
揺らぐことが怖くなくなる。
予定外の出来事を歓迎できるようになる。

私はスローライフという言葉にも、そんな意味を感じています。
この場合のスローとは、ゆっくり暮らすことではありません。
地方で暮らす人たちは決して暇ではありませんし、自然と向き合う暮らしはむしろ忙しいこともあります。
それでも豊かさを感じるのは、効率だけでは測れない寄り道が暮らしの中に残っているからなのかもしれません。
近道ではなく、その道のりそのものを味わう。
だから結果としてスローになる。
そんな感覚です。
そして時々、私は縄文時代にも思いを馳せます。
もちろん実際の縄文人の暮らしを知ることはできません。
それでも、自然と共に生き、その場その場の恵みを活かして暮らしていたであろう採集民族型の姿には、どこかブリコラージュ的な世界観を感じます。

もしかすると私は、弥生時代以降の計画や効率を発達させた世界観よりも、自然との対話を大切にしていたであろう縄文的な感覚に、どこか懐かしさを感じているのかもしれません。
こうして振り返ると、私が惹かれているものには共通点があります。
遊び。
余白。
寄り道。
主体性。
ブリコラージュ。
地方の顔が見える関係性。
ありがとうの循環。
そして禅や仏教にも通じる感覚です。
それは、正しい答えを教えることではなく、その人自身が自分なりの気づきや悟りと出会う旅を信じることなのかもしれません。

だから私が運営に携わる場所では、自然とこんな言葉が並びます。
教育より発芽。
管理より醸成。
正解より探究。
到達より出会い。
計画より直観。
最適な近道よりも素敵な寄り道。
完成予想図より予想外の感性。
そして、自主性より主体性。
遠回りに見える寄り道も、振り返れば人生の大切な一部になります。
不完全だからこそ面白い。
不完全だからこそ未知がある。
だから私は今日も、少し寄り道をしながら歩いていきたい。
その途中で出会う景色や人や自分自身を信頼しながら。
常々語ることですが、私は誰かの答えを否定したいわけではありません。
ただ、自分自身の問いを大切に育てていきたいのです。
その問いがどこへ連れていってくれるのか。
その寄り道を楽しみながら生きていきたいのです。
想定外が起きても、その時の自分の感性と知恵を信じてみる。
思い通りにならなくても、その状況だからこそ生まれる景色を探してみる。
そうした寄り道が多い生き方だからこそ、そんな力が少しずつ育まれてきた気がします。

自分を信頼するとは、思い通りになると信じることではありません。
思い通りにならなくても、その時の自分が向き合えると信じることです。
だから私は今日も、自分を少し信頼しながら歩いていきたいと思うのです。
寄り道のあとに見えてきたもの
そして今回、このコラムを書きながら、もう一つ気づきがありました。
ここまで書き上げるプロセス自体が、ブリコラージュ的でした。
最初から結論があったわけではありません。
ある違和感から始まり、そこから主体性、自律、寄り道、スローライフ、縄文的な感覚、禅や仏教の世界観へと、思いがけない連想を重ねながら、自分自身の考えを探っていきました。
まさに、その時々に目の前に現れた材料を組み合わせながら形にしていく、解像度を挙げていくプロセスがブリコラージュそのものだった気がします。
それと同時に、こうして自分自身の歩みや考え方を振り返り、言葉として整理していく行為は、どこかエンジニアリング的でもあるのかもしれません。
なぜ自分はこう考えるのか。
なぜ寄り道に惹かれるのか。
自分の中に散らばっていた点をつなぎ、一つの物語として眺め直してみる。
それは、自分自身を管理するためではなく、自分自身を信頼するための構造を整える営みのようにも感じます。

そう考えると、ブリコラージュとエンジニアリングは対立するものではなく、自分らしく生きるための両輪なのかもしれません。
感性との出会いがあり、その後に振り返りがある。
寄り道があり、その後に意味づけがある。
だから私はこれからも、寄り道を楽しみながら、ときどき立ち止まって振り返るという繰り返しになるのでしょう。
その中で、少しずつ自分への信頼が高まるような気がするのです。
結局、私が惹かれているのは「寄り道」そのものではなく、寄り道の中に潜んでいる「自分でも予想していなかった自分との出会い」なのでしょう。
その出会いを信じられる限り、人生はまだまだ面白くなる気がしています。

Backstage,Inc.
文化形成デザイナー
河合 義徳
